快楽の街、その147~快楽の女王㉜~
次回投稿は、8/31(水)13:00です。
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「・・・あ~あ、ここまで準備したけど駄目だったわね」
リビードゥの本体は、ザラタンロードの頭の上にいた。この場所こそが最も安全と考え、悪霊としての本体をいくつかに分割できるリビードゥは、最初から一部をこの場所に残していた。一部さえ無事であるなら、他の部分も時間をかければ再現できるからだ。自分を磔にした十字架すら演出。縁がある物には違いないが、最初からそんなものなど関係がなかった。
果たして、存在を保つことには成功した。だが目的を果たしてはいない。もっともっと、世の中の人間に快楽を伝えなければ。極めるほどに、苦痛や死すらも快楽にすることができる。その素晴らしさを知ってほしいとリビードゥは心から考えている。強制しても構わない。だって、自分が快楽を教えた人間は、ずっと笑顔を浮かべながら穴という穴から体液を垂れ流して喜んでいるではないか。死すら快楽に変えることができるなら、世の中に恐れるものなどないではないか。リビードゥは本気でそう考えてきたが、笑顔が既に壊れた人間のものだということは理解できなかった。
リビードゥは考える。
「そうねぇ・・・元の力を取り戻すのには、百年はかかるかしら? ジェイクの坊やの力は謎だけど、さすがに一世代限りのものでしょうし、百年経った後に彼が生きているなんてことはないでしょう。アルネリアはまた邪魔をするかもしれないけど、今回の経験を踏まえて準備すればよいだけのこと。場所はやっぱりまたターラムかしらね・・・それとも他の歓楽街がよいかしら? それもまた、色々な都市を見て回ればいいだけのことかも。それにしても」
この魔獣はどうして勝手に引き上げたのだろうと考える。確かにその方が都合がよかったのだが、命令をする余裕はなかった。調教していれば、自我はあっても命令には従うはずだが。
リビードゥが表情のない魔獣の様子を伺っていると、リビードゥは自分の体が全く動かなくなったことに気付いた。見れば、体に髪の毛のようなものがいつの間にか巻き付いている。
「これは?」
「ここまで弱っていれば――束縛できる」
リビードゥの目の前に、成長したマンイーターが出現した。ドゥームを介すればここにいることもわかるだろうから、ドゥームが寄越したということか。それにしてもこの間で現れるのはどういうことか。
「ちょっと、どういうこと? それにあなた、そんな口調だったかしら?」
「インソムニアとの融合が進んで――彼女の知識を吸収しつつ――人格も多少融合――? お腹は空いたままだけど」
マンイーターの笑顔が歪む。ああ、随分とまっとうな悪霊らしくなったな、などとリビードゥは考えた。そして以前よりも饒舌になったマンイーターが続けた。
「この魔獣は、最初から洗脳されてない――知られてないけど、精神波で会話する魔獣だから――洗脳の類は受け付けない――インソムニアの夢の操作も受け付けない――高度な知性を持ち合わせる魔獣――」
「は? ならどうして私の命令を聞いていたわけ?」
「そんなこともわからない――? この魔獣は――あなたのことを好いている――母と慕っている――どんなあなたでも――生きていても死んでいても――あなたの危険を感じてあなたを助けた――以前助けてあげられなかったことととても悔やんでいて――それ以外に深い理由はない――」
「私のことを? この魔獣が?」
リビードゥは理解に苦しむ表情だったが、それも仕方がない。リビードゥは一般的な人の愛を理解出来ない。愛情を与えられたことはなく、ただ快楽のみを施す方法だけを教えられた。だから、リビードゥにはこれから先も何百年生き延びようとも、これから先きっとザラタンロードの好意を理解することはできないだろう。
そして同様に、この悪霊たちはそんなことを意に介さないこと。ザラタンロードの献身と愛情はこれから先も通じることはない。ドゥームはそのことを残念がったが、マンイーターにも当然理解できるわけがなかった。呆然とするリビードゥを前に、マンイーターは続けた。
「あ――忘れるところだった――ドゥームから言伝――」
「何? そうだ! ドゥームにお願いすれば、力なんて早く戻るんじゃない? そうだわ、お願いしてみないと!」
「それは無理――だって、『一人で遊ぶ子はいらないよ』って言ってたから――ドゥームは、自分と遊べる相手が欲しい――だから――」
マンイーターが口を開けた。悪霊のはずのリビードゥが青ざめる。
「ちょっと、まさか――」
「そう――あなたは役に立たないから食べていいって――心配しないで――このザラタンも後で食べておくから――大きくて喰い甲斐がありそう――」
「待ちなさい! そんな馬鹿なことは――」
マンイーターの行動に躊躇は無かった。リビードゥの頭にまるごとかじりつくと、リビードゥは己の運命を悟った。だがこんな時にさえ、食べられる快楽というものは確かに試したことがなかったと、己の不明を恥じるのがリビードゥという悪霊だった。食べられながら哄笑を上げるリビードゥと、仲間であった存在をせめてもの情けとばかりに一息に咀嚼するマンイーター。
人がみれば世にもおぞましい光景は、霧の谷の魔獣には理解できるものではなく。そしてリビードゥを取り込んだマンイーターは、さらに変化を始めた。ただただ世にも強力な悪霊は、ひっそりとここで誕生した。
続く