快楽の街、その146~快楽の女王㉛~
「なんですって!?」
「うあああっ」
ジェイクの攻撃がリビードゥの心臓を貫く。もちろんそこが弱点とは限らないが、ジェイクにはそこがリビードゥの核だという確信があった。先ほど磔台であった十字架を斬り倒したのも、フォスティナに憑りついたリビードゥの本体がそちらだという確信があったからだ。
一つ違うのは、手ごたえが一致しないこと。ジェイクは自分がリビードゥを殺しきれていないことに気付いた。
「しまった! また分裂したのか!」
「遅いわよ、小僧!」
リビードゥがさらに腕を出現させジェイクを抱きしめるように固定し、その口を巨大な地虫のように鋭く変形させる。ある程度自らの姿を変形させることができるとはいえ、自らの美しさを損なうことはリビードゥにとって本来は相当な屈辱。だがジェイクの攻撃により自身の大半を失うこととなった今となっては、四の五の言っている暇はなかった。今もジェイクの攻撃は、確かにリビードゥの霊体の核を貫いている。いかに神殿騎士とはいえ、ここまでの攻撃を繰り出せる相手に対し、確かにリビードゥは脅威を覚えていた。
「死になさ――?」
リビードゥが攻撃しようとした瞬間、彼女は視界が突然暗転したことに気付いた。攻撃すべきジェイクの頭が見えず、また体も動かない。咄嗟に視点を切り替えて天井から再度状況を見下ろすと、自分の上半身が消し飛んでいた。
やったのは、イルマタル。彼女から放射状に悪霊が消滅しているのを見ると、どうやらブレスで浄化されたことはわかった。先程の炎のブレスを見る限り竜が幻身した姿だとは思っていたが、それにしても悪霊を浄化するブレスを吐く竜など見たことも聞いたこともない。まして複数のブレスを扱う竜など。
「何よそれ――ズルじゃない――」
そこまで言い残して、リビードゥの姿は霧散した。ジェイクはどさりと尻もちをつきながら何が起きたのかをようやく理解し、イルマタル自身は必死過ぎて自分が何をしたのか理解できていなかった。
「イル、今のは?」
「わ、わかんない・・・ジェイクが危ないと思って、思わずやったんだけど・・・」
「・・・そうか。とにかく助かったよ、ありがとう」
「そう――そういえば、レイヤーは!?」
我に返ったイルマタルとジェイクが振り返ると、部屋の反対側で魔王と化した拷問器具をレイヤーが全て始末し終える瞬間だった。もはや一方的とも思える戦い方で魔王を圧倒するレイヤーに、思わずため息が出そうになるジェイクとイルマタル。
最後の魔王が塵へと還るのを確認し、レイヤーはシェンペェスの血を振り払って剣を収めていた。
「終わったよ。そっちも終わったみたいだね」
「ああ、なんとか。それより、魔王が30体ほどはいたと思うけど」
「出現したばかりの魔王はまさに赤ん坊みたいなものだよ。放っておくと強くなるけど、出来立ては弱い。そんなことも知らなかったみたいだ、あの悪霊は」
「弱いと言ってもさ・・・」
魔王は人間を遥かに凌駕する能力を有しているのに、とはジェイクは続けられなかった。いまだにリビードゥを倒した自分やイルマタルの力の不明さに比べれば、レイヤーの剣士としての力量の方が、よほどまっとうに見えたのだ。
レイヤーが折れた右手の甲を固定しようとするが、イルマタルがそれを制して回復魔術を行う。
「イル、そんな魔術も使えるの?」
「うん、ユーティの回復魔術は何回か見たことがあるから」
「見ただけで使えるものなの?」
「私、こう見えても真竜だよ? 人間よりは精霊に近しい存在なんだから、人間よりも上手く魔術が使えて当たり前だよ。ほら、ちゃんと見せて。骨が折れてると、一回じゃ治らないかもしれない」
「いや、そうなんだけどさ」
それよりもいろいろ隠してほしいなと、レイヤーは考えた。衣服はそのままで体が成長したものだから、際どい露出が多いのだ。自分よりも背の高くなったイルマタルを前に、レイヤーは視線のやり場に困っていた。それはジェイクも同じらしく、横を向いて顔を赤くしている。イルマタルも精神的に成長したわけではないから、そのあたりは無頓着で、だからこそ余計に困る。
そんな年頃の男子の考えを無視してイルマタルが治療を終える頃、館に叫び声が響き渡った。
「ブオオオオオオン」
「なんだ?」
「・・・この館の化け物だ。動きが変わった、ここにいるとまずいそうだ」
「だけど、どっちに行ったらいいんだ?」
「場所の見当はつくけど、問題はあまり脱出までに時間がなさそうってことかも」
ジェイクはなんとなく脱出までの道順が想像できたが、確かに最短で行っても時間がなさそうだった。今腹の中にいるこの魔獣は、どこかに行こうとしている。連れ去られないうちに脱出しなければいけないが、この中にいるであろうアルネリアの騎士を探すことを考えると、どう考えても時間がなかった。
それに、リビードゥの気配が完全に消えていない。先ほどのように依代を使って魂を分割することができるのなら、そもそも先ほどの戦いに全てをつぎ込む必要がないのだ。ほとんど全ての部分を消滅させることには成功したかもが、嫌な予感はまだ消えていない。ただ、もうこれ以上追い込むだけの時間がないのも事実だ。任務は不達成ということになるが、あれほど弱らせておけば、再度ここまでの力を蓄えるのに相当な時間がかかるだろう。今回はここが撤退時だと、ジェイクは考えた。
「さて、とりあえず急いで脱出する方に向かってみよう! やるだけのことはやってみないと・・・?」
ジェイクが走りだろうとすると、目の前に男があらわれた。男は口調だけは申し訳なさそうだったが、いやに自信にだけは満ちていた。
「少しものを尋ねるのだが」
「なんだ、お前?」
「怪しい者ではない。勇者リディルと申す」
「勇者? じゃあ、フォスティナの仲間?」
「仲間――彼女はもうそうは思ってくれないかもしれないが」
苦しそうな表情で唇を噛む勇者を名乗る男を目の当たりにして、ジェイクはそれ以上の言葉を発することができなかった。
上半身裸でこんなところにいるあたり十分に怪しいのだが、自分だってジェイク以外はここにいる理由を問いただされると困るだろう。お互いに少々窺うように睨み合ったあと、どちらとなくふうっと息を吐いた。
「・・・互いに言いたいことはあるだろうけど、今はよそうか」
「・・・そうだな。俺も色々と記憶が曖昧で、どうしてこんなところにいるのかもよくわからないが、とりあえず脱出が必要だということだけはわかる。出口に心当たりはあるか? 俺の力なら強引に突破できると思う」
「おそらくね。ジェイク、案内できそう?」
「――ああ」
ジェイクは慎重な態度でリディルを睨みながら案内をしようとしたが、レイヤーに背中を軽く叩かれてやめた。目の前の勇者が人間ではなさそうであることは気付いていたが、問いただして藪蛇になることを恐れたのだ。
ジェイクは油断しないようにリディルを促し、案内し始めた。リディルはちらちらと意識を失っているフォスティナを気にしていたが、たしかに勇者を名乗るだけあって、強引にでも肉壁を切り崩し、出現するわけのわかわない肉の魔獣も一切苦戦することなく斬り捌いた。そしてその脱出の最中、幸いにも空間の歪曲が消失した館の中で無事だったアルネリアの騎士たちを可能な限り回収することに成功した。最後に魔獣の腹を突き破って脱出すると、魔獣は一際大きな叫び声を上げて霧を濃くし、その後霧の中に他の魔獣と共に姿を消した。
ジェイクは隣の人間を見分けるのも困難な程深くなった霧の中、なんとかアルネリアの面々と共に近くに結界を強いて霧が過ぎるまでやり過ごしたが、陽光と共に霧が晴れ渡る頃、いつの間にかリディルの姿は消えていた。そしてイルマタルとレイヤーもまた、見られてはまずいとばかりに姿を消していたのだった。
続く
次回投稿は、8/29(月)13:00です。