快楽の街、その144~快楽の女王㉙~
リビードゥの娼館を取り壊そうとするたび、関わった人間に不幸が訪れた。発狂する者、わけのわからぬことを口走りながら精神を病んだ者、家に帰って家族を惨殺した後に首をくくった者。最後は館を燃やそうとした者もいたが、なぜか建物は外面に焦げ目をつけただけで、建物全体に火が回ることがなかった。関係者は恐れ匙を投げたが、ターラム特有の複雑な理由から、結果的にアルネリアに討伐を依頼することはなかった。ただその場所は禁忌の場所として、ターラムの住人からは意図的に避けられるようになったことで、事態は一度収集された。
だが不思議なことに、そんな場所だからこそ借りようとする人間もいた。様々な理由で娼館を借り受けた人間達はその業種、理由に寄らず必ず一度は成功するのだが、長期的には必ず破綻した。だが借り手は常に新しく現れ続け、建物はかつてあったおぞましい事件など忘れられたかのように繁盛した。そして人が定期的に死ぬにも関わらず、ターラムではそのようなことはよくあることだとして、いつしかその館は再びターラムに馴染んでいった。
それが50年ほど前。ぱたりと人の足が途絶え、再び寂れる前のことだった。
「なるほど、そこでドゥームが迎えに来たと」
「偶然だったわ。私を強制的にターラムから引きはがし、連れ回してくれたの。悪霊としてあの娼館に縛られていたはずだったのだけれど、あっさりとその縁をドゥームは断ち切った。それだけでも、あの悪霊が見た目に反してとんでもないとわかるのよ。それからしばらくは楽しかったかしらね。でも駄目ね。彼の遊びも面白いのだけれど、いかんせん子ども臭くて。それに彼は――まぁ、これはいいわ」
「?」
「ともかく、ドゥームの手引きで私は思い通りに動けるだけの自由度を得たわ。元々自由意志を持つだけの格はあったのだけど、あちこちの辺境を回ったりすることができた。色々な辺境で魔獣を見て、手懐ける術を覚えたのね。でも魔獣は精神構造が人間ほど複雑ではないし、その分完全に操るのが非常に難しい。課題を克服する術を私は練ったわ。人間を操るのは面白いけど、戦力としては乏しいもの。
それとは別に、今この館を動かしている魔獣は幼体の頃にターラムの市で売りに出されていたのを買い取ったのだけど、私のことを母親か何かだと思っているのね。建物そのものにヤドカリみたいに寄生しているから、この館はいつまで経っても朽ちることがないわ。ここまでの魔獣になるとは完全に予想外だったけど、私はこの魔獣を通じて魔物を操っているってわけ。この館も私がいなくなってからも、私の従順な僕たちが魂となってまで守っていましたからね。おかげでそれなり以上に棲みやすい環境が整っていたわ」
「短期間で城を築いたカラクリはわかりました。ですが、あなたの不幸な生い立ちには同情しますが、やはり存在を許すわけにはいかない。私も全力で抵抗させていただきましょう」
「抵抗? ふふっ、できるわけないでしょうに」
「私の精神力を舐めないでいただこう。さきほどリディルに襲われた時はさすがに動揺しましたが、その程度でいつまでも揺れるような私ではない。私は爪先ひとつに至るまで永久に朽ちることのない鋼の女だ。そうあるべく育てられた私に、折れるなどという言葉はありえない!」
フォスティナの精神力が沸々と元に戻るのをリビードゥは感じていた。確かに悪霊にとっても、精神的にとても強い相手というものは操りにくい。だが自分ほどの格になると、それももはや関係ない――はずだった。
それがどうだ。指先も体も、確かに何かに背後から抱き着かれたように重みを感じるようになっていた。明らかに精神力でフォスティナがリビードゥの動きを抑え込んでいるのだ。
「ば、馬鹿な? どんな精神力をしているのよ、この女!」
「さあ、少年。私を斬り倒して、この悪霊の館を始末するのです!」
フォスティナの叫びに呼応するかのように、レイヤーが剣を突き出して突進してきたのだった。
***
レイヤーはまずフォスティナがどのくらいの力量なのか剣を合わせてみることにした。そして一合目で選択が間違っていたことを察した。勇者とはどのくらいの力量なのかをまるで考えたことがなかった。現在イェーガーにいるどの傭兵も、勇者としての候補に挙がったことすらない。それがいったいどういう意味を持つのか、レイヤーは剣を通して知ることになった。
一合目で気付く。フォスティナの剣は鋭く速いだけでなく、重い。それは技術や腕力的な問題ではなく、剣に宿る思いの量だと知る。自分も命を懸けているつもりだったが、それではまだ軽い。おそらくは将来も含めて、全て剣に費やす覚悟でないとこうはならない。レイヤーの本能が叫ぶ。この相手とは、現段階で戦うべきではないと。
二合目で識る。それでもフォスティナは全開ではないと。おそらくは本人が操られることに抵抗しているのだろうが、本来の動きからは程遠いはずだ。レイヤーに生じた無数の隙に打ち込んでこない。命を取られずに済んだのはただの幸運だった。
三合目で決意する。この相手は自分が止めないとだめだ、自分の役割はジェイクとは違う。悪霊に対抗するべき剣を自分はもたないが、ジェイクは違う。最低限フォスティナを殺せないまでも、この相手は自分が止める必要がある。ならばやるべきことは一つ。
「(シェンペェス、どのくらいもつと思う?)」
「(――100合もてばいい方だろう)」
「(なるほど・・・なら)」
「ジェイク、10回深呼吸する間はもたせてみせる。それまでに何とかしてくれ。イル、ジェイクを援護してくれ。できるな?」
「心得た」
「わかってるよ」
二人の言葉と同時に、レイヤーは自分から再度フォスティナに打ち込んだ。そして力任せにフォスティナを壁に押し込む。鍔ぜり合いなら何とかなると思ったのだが、フォスティナの膝がレイヤーの剣を持つ手を蹴りぬく。利き手の甲の骨が折れる音と同時に走る激痛。だがレイヤーは剣を離さず、フォスティナの腹を同じく膝で蹴りぬいた。フォスティナの背にした壁が衝撃に割れるが、フォスティナ自身にはまるで効いていない。レイヤーの手ごたえとしても、まるで大木を蹴ったようであった。
「女なのに、なんて腹筋・・・!」
「(離れろ、レイヤー!)」
「いや、この距離じゃないとだめだ! 離れたら一瞬でやられる」
何より、おそらくは目標がジェイクになるだろう。レイヤーはフォスティナの膝が顎を蹴りぬき、意識が一瞬飛ぶ中でも必死にフォスティナを抑えようとしていた。
その間、イルマタルはレイヤーに言われるまでもなく、既に準備していた。懐にある幻夢の実。それにより成人の姿を得ることで、どのような福利をきたすかは知っている。実は以前食べた時、どういう影響があるかはひっそりと試しておいたのだ。魔力が上昇するわけではない。だが体格が上がった分腕力は上がるし、何より肺活量が段違いだった。
二回目の変化は、以前より速やかだった。戸惑うことなく変化したイルマタルは、躊躇せずに全力で息を吸い込んだ。
続く
次回投稿は、8/25(木)14:00です。