快楽の街、その141~快楽の女王㉖~
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「はあっ、はあっ、はあっ・・・ひゅううう・・・ふぅ~」
呼吸を整えて剣を収めたレイヤーを、少し離れたところで呆然と眺めるジェイクとイルマタルがいた。レイヤーの後にはついていけなかった。血の雨の降る廊下を進みたくなかったこともそうだが、ついて行く必要がなかった。
レイヤーはリビードゥの姿をとった肉壁たちを出る端から八つ裂きにして前進した。伸ばした手を、指を端から斬り飛ばし、噛みつこうとした頭を叩き割り、新たな手が伸びてくる暇すらなく嵐のような剣を振るい続けた。目の前では間違いなく惨劇が起きていたのだが、それ以上に剣を振るうレイヤーに見惚れたと言った方が正しい。ジェイクが目指す剣とはまるで違うが、そこには確かに一つの剣の目指す道がはっきりと見えたのだ。
ジェイクとほとんど年齢も変わらないであろうレイヤーが振るう剣を見てイルマタルは怯えたが、ジェイクの心中に沸き上がった感情は嫉妬に近いものだった。
レイヤーが剣を収めイルマタルの方を向くとイルマタルはびくりと怯え、その時にレイヤーは血まみれの自分に気付いたが、現時点では体を拭くこともできなかった。ジェイクは自分の外套をぽいとレイヤーに放り投げた。
「血ぐらい拭けよ。イルが怯えてる」
「ああ、すまない。それより、どうやら増援はないみたいだな」
「それよりって・・・お前、戦いに没頭しすぎじゃないのか?」
「そうかもしれない。だけど、僕は騎士になりたいわけじゃないから。騎士の剣は学んでいるけど、おそらく騎士にはならないよ。目指すものが違いすぎる」
「ではなんのために剣を振るう?」
「目の前の敵を駆逐するために」
レイヤーの答えを聞いてジェイクが納得した。確かにレイヤーの剣はより効率よく誰かを斃すための剣だからだ。守る者がいるとすれば、その者ごと斬り斃してしまうだろう。
「合わないな、俺たちは」
「でも協力することはできる。剣を振るう目的が違うからこそ、できることもあると思うよ」
「そういう考え方もあるか。なら、とりあえずはこの先か」
ジェイクとレイヤーが同時に扉の先をきっと見据える。その扉を見て、イルマタルは二人の服の端を引っ張っていた。
「気をつけて、凄い存在感の敵がいる。私たちを待っている・・・なのに敵意がない。全く別の意味で待ち受けていると思うの。なんだろう、この意志は・・・敵意よりも不気味だわ」
「じゃあさっきの妨害はなんだろうね」
「俺たちをもてなすために準備をしていた、ってとこじゃないか?」
「では準備をし終わったから引いたってこと? 人を馬鹿にするにもほどがある」
レイヤーが憤慨して剣を抜いた。ジェイクも共に剣を抜き扉の両隣に備えて視線を合わせて頷くと、打ち合わせたわけでもないのにジェイクが剣を扉の間に差し込み、レイヤーが扉を蹴破った。
勢いよく扉の中に飛びこんだ3人。だが眼前に広がっていたのは想像していたおどろおどろしい光景ではなく、美しい花畑だった。
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「高いところに来たわねぇ」
館の屋上に上がり、その先にある頭のような部分を登るエネーマとヒドゥン。まるでアーチのような急勾配だが、エネーマとヒドゥンは苦も無く登っていた。霧の中を飛び回る魔物はいるようだが、襲ってくる気配はない。
エネーマは少々拍子抜けしていた。もっと激しい妨害があると思っていたからだ。
「意外と楽な仕事になったかしら? このまま魔獣の頭を吹き飛ばして、はいおしまい、かもね」
「そう簡単に行くか?」
「行きそうよ? だって、まるで敵意がないもの。こっちの気が抜けちゃうわ」
エネーマはあくびをしながら、背後の空から襲い掛かってきた鳥を叩き落とした。人間を持ち上げて余りある巨体の鳥であったが、エネーマはあっさりと杖で叩き落とす。魔術すら使わない余裕。
「お前、体術も使うのか」
「当然よ。女の一人旅は何かと危険がつきまといますからね。魔力切れを起こしたところを襲われたらひとたまりもないでしょう?」
「嘘をつけ。お前が旅先で男を襲うためだろう」
「あはっ!? 段々私のこと理解してきたみたいね。嬉しいわ」
くすくすと笑みを浮かべながら歩くエネーマ。その足取りが魔獣の頭に到達し、あとは頭に強力な一撃をお見舞いすればそれで終了だというとき、エネーマが首を傾げていた。
「あら? あらら?」
「どうした?」
「この魔獣・・・操られているわけじゃなさそうね」
「何?」
エネーマは唱えようとしていた魔術を中断し、身軽にも魔獣の眉間の場所に行った。魔獣には眼がなく、触覚のような突起が無数に出現していたが、エネーマはそのうちの一本と掴むと、しばしぶつぶつと何かをつぶやいていた。
そしてふっと笑いながら触覚を放すと、エネーマは引き揚げてきた。訝しんだヒドゥンが理由を尋ねる。
「どうした? 殺さなくていいのか?」
「あの魔獣、相当高等な知能があるわ。どのくらい高等かっていうと、人間の精神構造を理解できるくらいには」
「人間の精神構造を?」
「そう、だから私とも交信できたのよ。その結果面白いことがわかったわ。私は手を出さずに見守っていた方がよさそうね」
「だが、今殺さねば街に被害が出るだろう?」
ヒドゥンの言葉に、エネーマが目を丸くして涙をこぼさんばかりの勢いで笑った。
「アッハハハハ! あなた、面白い事言うのね! あなたのような悪党にとって、人間の街なんてどうでもいいでしょうに」
「私は悪党のつもりはない。それに、お前の立場を考えて話しているまでだ」
「それでも根が悪党ならそんな発想すら浮かばないわ。あなた、本来人を殺したり殺されたりっていうのが向いてないわ。意外と統治者だったりとか、そういう道が向いていたんじゃない? あなたがどうしてこんな道を選んだのか、ちょっと興味が出てきたわ」
「・・・知りたければ命令すればいい」
「何でも命令じゃあ面白くないわ。私は人形は欲しくないのよ」
「欲しいのは適度に抵抗する奴隷だろう?」
「ふふ、本当にわかっているのね。さて、私たちの用は済んだわ。あとは流れに任せましょう? それに、今から街の中の方が面白そうだしねぇ。魔獣を必死に止めている得体のしれない人間たちと、予定外の事態に途方に暮れる女勇者。どうしたものかしら」
この女はどうやって霧の中の状況をここまで正確につかんでいるのかと不思議に思いながら、ヒドゥンはエネーマの後に続いた。その行く手にはどうせろくでもないことが待ち受けていると考えながら。
続く
次回投稿は、8/19(金)14:00です。