快楽の街、その136~霧の中の遭遇⑦~
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「ねえ・・・覚えているかしら?」
リビードゥの残した肉塊に襲撃され、神殿騎士団は見事に分断されていた。仲間と合流しようにも、床を突き破ってせりあがる肉壁共を打ち破れるだけの一撃を備えている騎士は少なかった。分断され、追い立てられ、ウルティナが周囲の肉壁を一掃した時には既に誰にもいなくなっていた。
そして探索を再度始めたウルティナの耳に聞こえる、リビードゥの囁き声。集団でいる時は気にならなかったが、彼女がどこからか囁きかけていることは知っていた。だが一人になると、その囁き声が妙に耳につく。この手の囁きには答えてはいけない。悪霊や死霊は常にこちらの心の隙を探し、憑りつこうとしているのだ。心を強く持って誘惑を振り切る必要があった。
「(ふん、いくらでも独り言を繰り返すがいい。私はお前の声になど耳を貸さない)」
「あら、そうかしら? もう十分に反応はいただいているわ」
ウルティナが声に出さない感情に対する声が聞こえた。ウルティナは思わずびくりとして、周囲を見渡した。
「(私の・・・心の声も拾えるのか?)」
「霧は多くのものを曖昧にする。あなたは気付かなくても、霧の中にはあなたの感情や、隠したいものが浮かんでは消える。弱さを受け入れている人間は強い。特にあのジェイクとかいう坊やは、精神力ではあなたたちの中では随一よ。あの子はもう覚悟を決めてしまっているのね。自分の弱さも全て知ったうえで、それでも飽くなき努力を続けている。あの覚悟を崩すのは並ではないわ。
それに比べ、心や傷に蓋をする人間はとても弱い。特にあなたのような、傷を隠すために強くなったような人間は」
「ふん、それがどうした。事実、私は強い。私を貶めれるようなものはここには存在すまい」
ウルティナの言葉は本心だったが、いつの間にか出現している霧からはくすくすと笑い声が聞こえてきた。建物の中に霧とは何らかの魔術かとウルティナは考えたが、それよりもリビードゥの声の方が不快で気になっていた。
「あなた・・・本当に強がりさんなのね。あれほど可愛がった出来の悪い弟のせいで行き場所を失くしたのに? 本当に恨んでないのかしら?」
「恨んだことはある。だが私は今の立場にも満足している」
「果てして本当にそうかしら? よく思い出してごらんなさい」
ウルティナはそれなりの家柄の生まれだった。国内で重要な役職を占めるほどではなく、さりとて侮られるほどでもなく。まさにそれなりであった貴族において、一つ平凡でなかったのは父の出世欲だろうか。自らの代で出世できなかった父は長女であったウルティナに過剰ともいえる期待を寄せた。見目も良く、また頭脳明晰であったウルティナにアルネリア留学を命じ、そこで良家との縁談を作ろうと試みたのだ。
下には三つほど離れた弟がいたが、その性格は非常に穏やかなものの、ともすれば頭が悪いのではないかと勘違いされるほどに優しい弟では、一族を任せるに足りないとウルティナの父は考えていた。事実弟はアルネリアでも虐められるような始末で、何度ウルティナがかばったか知れなかった。
ウルティナの明晰さは同期の中でもかなり優れていた。授業などは飛び級で受けるほどだったし、魔術や体術でさえ非凡だった。場所を得てその力をいかんなく発揮するウルティナには選択肢が広がったが、逆に彼女を女性として必要と考える男が減っていったのは皮肉な話である。
良好な縁談の話もなく、アルネリアの中等過程を全て終えようとするころ、初等過程を全て終える弟に縁談がもちこまれた。それもなんと、同級生に身分を隠して留学していた、自国の王女の一人とだった。継承権は低くとも、王族の末席に連なる者が弟を非常に気に入り、降嫁も辞さないとの勢いで卒業と同時に弟に婚約を申し入れてきた。継承権が低いことから王家もさほど重要視していないが、子どもができれば継承権は発生する。その父や血縁者ともなれば、位は侯爵にまでは最低上がるだろう。直轄領も増えることから、大変な出世が待っているのは間違いなかった。
父は望外の話に飛びつき、話はそもそも二人が乗り気であったのだからあっという間にまとまった。二人の年齢を考えれば婚約程度にとどまったが、気の早い王女が同居を申し込んだため、ウルティナの実家は天地をひっくり返したような騒ぎになり、ウルティナのことはは正直誰も構う暇がなかった。
ウルティナもまたそのような騒動には巻き込まれたくないからと短期のアルネリア留学延長を申し込み、その間に深緑宮勤めも経験し、その間にさらに能力を見出された彼女は巡礼の任務へ同行。実績を出し続け2年が経過する頃には、もはや実家では出世の道具としてのウルティナは不要となっていた。弟たちは仲睦まじく、父と母も成人を待って早速正式な婚儀を交わすだろうし、既に王家からも追加される直轄領や家柄、役職の話も具体的に出る始末。あれほど自分に厳しかった父も既に好々爺のような表情となっており、ウルティナはそれらを全て確認すると、巡礼への正式な就任を受け入れた。
以降時折実家からは年初めの挨拶くらいのやりとり程度しかなく、もはやウルティナがアルネリアにおいてどんな任務をこなしているかも興味ないといった体裁で、言葉だけでも繕えばいいのにとウルティナが苦笑する程度であった。
そこにウルティナは特別憎しみだとか、何か負の感情を抱いたことはない。ただ、自分はなんだったのだろうと考えたことはある。それに優秀な成績を修め、出世していくのは気分が悪くなかった。自分より上にいるのは間違いなく自分よりも結果を出した者で、ウルティナにも納得できる。いずれ彼らよりも上に。その欲求は間違いなくウルティナを前進させており、徐々にではあるがその差も縮まっていたと考えたいたのだが。
突然ウルティナの前に壁があらわれた。巡礼の6番手までは順調に上がってきた。出世をするために有利だと考え、派閥なるものにも属した。だがその前に突然現れた、へらへらとしたつかみどころのない男、ブランディオ。最初は取るにも足りないと考えたが、どれほど功績を立ててもブランディオより上に行けない。今までアルネリアの裁定を疑ったことはなかったが、ウルティナは初めて直談判した。そこで目にしたブランディオの貢献度。あのつかみどころのない男のどこに、これだけの任務をこなす能力があるのか。ウルティナにはどうしても理解ができなかったが、ミリアザールから納得のいく返事を返されたことはない。
それから番手が近いこともあり、ウルティナとブランディオは度々任務を共にした。だがそれでもどうしても理解できない。自分が正攻法で任務を片付ける中、ブランディオはいつの間にか解決する。そんな状態がもう長い事続いている。しかも任務以外での功績に関しても、ブランディオは一切申請しなかった。どうしてかと一度問いただしたが、
「ワイ、出世にはそれほど興味あらへん。まあワイがなんか解決して、それで笑っとる奴が増えるんやったら、それはそれでええんとちゃう?」
という言葉が返ってきた。それ以来、ウルティナにはどうしてもブランディオを超えられる気がしなかった。人としての敗北。他人を助けるための巡礼であるはずなのに、そんな根本的なことすら理解できていなかった自分が、非常に情けなかった。ひょっとすると、ミリアザールにはそんな自分の底を見抜かれていたのかもしれないと考えた。
そこまでの光景が霧に中に浮かんでは消える。リビードゥがにたりと笑ったのをウルティナは気付くことがなく、そこまで回想した段階で悪霊が付け入るだけの隙を見せていることに、ウルティナは気付いていなかった。既にウルティナの意識は回想の中に囚われ、霧の中を歩くように朦朧とした意識の中、見つけたジェイクを無意識に攻撃し始めていたのだ。
続く
次回投稿は、8/9(火)15:00です。