死を呼ぶ名前、その2~ニアの悩み~
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その晩、宿泊場所でのこと。食事も終わり、鍋はきれいに空になっている。その後にはユーティの残骸が・・・あるわけがない。
鍋の横でがっくりと膝まづいて、息を切らせるユーティ。
「はー、はー・・・死ぬかと思った」
「ユーティが悪いのですよ」
「どうしてギリギリまで助けてくれないのよ、リサ」
「まさか本気だとはリサも思っていなかったので。これからはフェンナを本気で怒らせないように気をつけるとしましょう」
「ワタシもそうするわ・・・」
さしものユーティも、熱湯の中で煮られかけて反省しているようだった。普段穏やかな者ほど怒らせると怖い。ユーティが大切な事を1つ学んだ日となり、フェンナの笑顔が脳裏にこびりついて忘れられなかった。
宿泊場所は地面をくりぬいて作った、簡易な洞穴である。元々はファランクスが自分用の避難場所として作ったものであり、しっかりと彼の匂いや痕跡が付いているため、ここをねぐらとして使用する獣は皆無だった。また竜巻で吹き飛ばされるような代物でもないため、中にいる限り竜巻が真上を通過しても大丈夫なほどには頑丈だ。
アルフィリースとニアが、出口に近い所で番をしている。
「風が強いわね」
「ああ」
「嵐が去る前のひと吹き、というところかしら」
「そうかもな」
「夏とは思えないほど涼しいわね」
「ああ」
「ニア・・・1+1は?」
「そうかもな」
「これは駄目ね・・・」
ニアは完全に上の空だった。2人は隣り合って座っているのだが、アルフィリースが近づいても何の反応も無い。普段ならニアに近づくと、間違いなく尻尾が反応する。そこでアルフィリースはニアの尻尾を不意打ちで思いっきり握ってみた。普段なら不意打ちでも触ることはかなわないのだが。
「えいっ!」
「ふぁああああ!? 何するんだ、アルフィ!!」
「だって、何も反応ないから・・・」
「だからって尻尾を鷲掴みにする奴があるか! 尻を鷲掴みにされるより恥ずかしいんだぞ?」
「いいじゃない、お尻くらい。それともカザスにしか触らせたくないとでも言うの?」
「そ、そ、そんなわけは無いだろう!?」
「(図星なのね・・・)」
ニアの尻尾がピコピコと動く。全く分かりやすいことだ。アルフィリースはわざとらしいほど大きくため息をついた。
「な、なんだ。そんな大きなため息をついて」
「困るわよ、ニア。恋愛は自由だと思うけど、そんな見張りもできなくなるほど熱中するのはどうかと思うわ。戦士なら頭の中を切り替えないと」
「す、済まない。だがカザスの事を考えていたわけではなくて・・・」
「じゃあ何を考えていたの?」
「うん・・・」
ニアにしては珍しく歯切れが悪い。ニアは話そうかどうか迷っていたみたいだが、このままではどうしようもないのを悟ったのか、重い口を開き始めた。
「実は・・・そろそろ自由行動の期限が近い」
「そういえば武者修行の旅だったのよね」
「ああ。それで色んな事を考えてしまってな」
「例えば?」
「元々旅をしようと思ったきっかけはうちの隊長なんだが・・・私は何かと肌が合わなくてな。私には随分前から100人長の話が来ていたんだが、うちの隊長が首を縦に振ってくれなくて、いつも話が流れていた。それで、隊長から一本取れたら100人長に昇進するって約束で国を出たんだが・・・」
「勝てそうにないと」
「はっきり言うんだな。だが悔しいがその通りだ」
「そんなに強いの?」
アルフィリースには意外だった。ここ何カ月か手合わせをしていて、ニアの強さは格段に上がっていた。特にエアリアルと手合わせをするようになってからは目覚ましい。エアリアルやファランクスも、ニアの実力は相当なものだと太鼓判を押していた。だがいまだに勝つ自信が出ないとは、どれほど強い隊長なのか。
「強いなんてもんじゃない。実力だけなら1000人長はおろか、将軍級だと先輩から聞いたことがある。だが権力が極端に嫌いで、100人長にとどまっているんだとか。変わり者だが実力は確かだ。なんせ私なんかは足技だけであしらわれるからな」
「そんなに強いの?」
「うちの隊長に限らず、グルーザルドの軍人は化け物揃いだ。将軍級は本当に一騎当千だとか言うからな。実際に遠征先で軍規を破って住民に狼藉した一隊を懲らしめるのに、将軍が自ら叩きのめしに出て行って、頭に血が上った将軍を止めるのに大隊200人が壊滅しかけたそうだ。人間の戦力に換算したら1000人くらいだろうな」
「・・・グルザールドとの戦争にだけは加わらないようにするわ」
「それがいい。だが心配なのはその事だけではなくてな」
今度はニアがふぅ、とため息をつく。
「ザムウェドが戦争状態になった話は聞いたな?」
「ええ、グルーザルドの同盟国だったかしら?」
「ああ、それでザムウェドは私が所属する軍団の将軍であるヴァーゴが懇意にしていてな。おそらくは頼まれなくても威嚇の意味で出陣することになりそうなんだ。今までがそうだった」
「勝ち戦でも?」
この時既にザムウェドが滅びているのだが、そのような事をずっと大草原にいるニアやアルフィリースが知ろうはずも無い。
「ああ、今回はクルムスが相手だが、だからこそ余計にな。クルムスの南にあるトラガスロンはしょっちゅう小競り合いをザムウェドと起こしているから、今回はトラガスロンに睨みをきかせる意味で出陣するだろう。結構長い遠征になるかもしれん」
「それで?」
「そうすると非常にまずいんだ・・・笑わないで聞いてくれるか?」
「? いいわよ」
ニアがごくりと唾を飲み込んでいる。尻尾がへこたれているところを見ると、相当に深刻な話なのかもしれない。アルフィリースが身構えていると、
「実は、私はもうすぐ発情期なんだ・・・」
「・・・は?」
アルフィリースにはニアの言葉の意味が掴めなかった。発情期が何なのかを、まずアルフィリースは知らない。
「発情期って・・・何?」
「ああ、知らないのか。獣人はウサギの連中を除いて一定の時期にしか発情しない。個人差もあるが、私は歳も若いからだいたい一年周期ってところか。それで人間やウサギなんかは年中いつでも、その、なんだ・・・恋人と、す、するだろう?」
「えー・・・うん、多分・・・」
内容が内容だけにニアもアルフィリースもしどろもどろだ。女の子同士でもここまであけすけな話をするのは珍しい。もっともミランダはなら酒が入れば自分からするだろうが。ミランダもそういう話をあけっぴろげにできる仲間がいないから普段しないだけで、その辺は気を使っているのだろうとアルフィリースは考えている。
だからこそこういう時にミランダがいれば多少話も円滑か、と思っても今更呼ぶこともできない。ニアも大切な話なので、顔を真っ赤にしながらも続ける。
「で、だ。私達は発情期以外では全くその気にならない分、発情期に入ると抑えがきかない。ちゃんと自制心を保っておかないと、誰でもよくなってしまうくらいだ」
「じゃあ、もしかして、ニアって・・・」
「私はまだ何もしてない!! 私がそんなふしだらな女に見えるのか、アルフィ!?」
「わ、わかったから落ち付いて・・・」
ニアが思わず爪を出したので、アルフィリースは慌てて訂正した。ニアの爪は、その気になったら革製品程度なら簡単に裂いてしまうからだ。
「それで、なんだっけ」
「ああ。それで大抵は発情期が来たときにパートナーがいないと、運動とか訓練で代替するんだ。今までに3回、私の場合は発情期を迎えたわけだが、訓練に明け暮れることでなんとか我慢できた。だけど今回は戦争だから・・・自信が無い」
「どういうこと?」
アルフィリースが質問する。戦争とどう結びつくのか、彼女は知らない。アルフィリースはまだ戦争には赴いたことがないのである。
「アルフィは戦争に行ったことはないのか?」
「ええ、ないわ」
「それなら知らなくても無理はないな。戦争って言うのは、アルフィが思う以上に悲惨だ。特に女性兵士にとってはな」
「襲われる、ということかしら」
アルフィリースがしかめつらをする。ニアはどう返答すべきか少し悩んだが、言葉を慎重に選びながら話を続けた。
「それもあるが・・・極限状態というのを女が経験すると、種の保存の方向に意識が働く。これは獣人に限らず人間の軍隊でもよく起こることで、戦場に向かった女性兵士の一割近くは妊娠するって言う通説があるくらいだ」
「通説でしょう?」
「だがグルーザルドの場合事実なんだ。グルーザルドでは男女平等主義で布陣分けも無いから余計なんだろうが、そんな中に発情期の女を放り込んだらどうなるか」
「なるほど・・・男の獣人が発情期ってこともあるもんね」
「ああ、実際にグルーザルドでは発言権がある女性兵士は少ない。100人長以上の地位にいる者など10人程度しかいない。それはとりもなおさず戦場でそういうことになるからさ。またグルーザルドの女はそういうこともある程度覚悟の上で軍に入るし、お腹の子どもの父親が誰かわからんことなどしょっちゅうだ。軍内でそういうことが起こっても黙認されてしまうしな。私も軍人である以上、いずれそういうことになるかもしれないことは覚悟はあった。だが・・・」
「今はカザスがいるものね」
「ああ」
ニアが目を伏せる。
「獣人では一夫多妻だのその逆なんぞ日常茶飯事で、結婚になどこだわらない者も多い。私の考え方もやれ堅物とか、人間臭いとか散々言われたが・・・私はカザス以外はイヤだ」
「でも軍人ではありたいんでしょ?」
「そのことも・・・今はよくわからなくなった」
「え?」
その言葉はアルフィリースも予想してなかったので、思わず身を乗り出した。ニアはてっきり根っこから軍人気質だとばかり思っていたのだが。
続く
次回投稿は、2/8(日)12:00です。