快楽の街、その133~特性持ち③~
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「くそっ! なんだったんだ、あの小僧は!」
ヤトリは館の中を凄まじい勢いで走りながら、目的地へと一直線に向かっていた。館の中は空間がねじ曲がっているが、ヤトリの能力があれば迷うこともない。ヤトリは先ほどのレイヤーとの戦闘のことで頭がいっぱいで、歯ぎしりをしながら駆ける羽目になった。だから、近くに人がいても気付かなかった。
「この俺があんな小僧に・・・あんな小僧に!」
「あんな小僧にどうしたのじゃ?」
バンドラスが柱の影に立っていた。気づけば様子の違うところに出ていたことにヤトリはたった今気付いた。板の足場から、石造りの足場へ。壁も土を固めて焼いたものから、天然石を加工した高級なものへと変わっていた。ここを抜ければ、目的の場所へはもうすぐだ。そこで突然バンドラスに声をかけられたのである。ヤトリも思わず身をかためるほど驚いていた。
「バンドラス! 三番はやったのか?」
「いや、適当にやり合ってまいたわい。奴が来ないうちにさっさとエクスぺリオンを回収して逃げるとしよう。相当厄介じゃの、あの女は」
「あなたにそう言わせるとはな。わかった、こちらだ」
「お前の方は仕留めたのか?」
「・・・いや」
ヤトリの歯切れの悪さに、バンドラスが訝しんだ。
「どうした? 戦ったからには、殺せたのではないか?」
「それが・・・奴は危険だ。何の特性なのかわからなかった」
「ほ? お前の鑑定眼をもってしてもか?」
「ああ。少なくとも見たことがない特性だった」
ヤトリの言葉にバンドラスの目が怪しく輝いた。
「興味があるのぅ、その小僧」
「よした方がいいですよ。逸材としてはゼムスほどではないかもしれませんが、あなたが遊ぶにしても命がけでしょう」
「そのような発想じゃからお主はいかんのよ。遊ぶのにも命をかけねば面白くあるまい」
「私は商売以外には命は賭けませんよ」
「ほっほっほ、さすが根っからの『商人』じゃて。商人の特性持ちが遊び、賭け事好きじゃと困るわいの」
「確かに商売以外での博打はしませんが」
この賭けには勝たなくてはなるまいとヤトリは考えていた。先ほど負けたことも、今はどうでもいい。所詮は小石に躓いたようなものだ、自分の目的は違うところにあるのだからとヤトリは自分に言い聞かせた。鍛えた部下がいなくなってしまったのは痛いが、また集めればいい。先ほどの小僧も弱みを探し出して、確実に消せばいいのだと考えた。そう考えると、ヤトリは急に目の前の靄が晴れたような気がしてきた。
そして決意も新たに、まずは一つ一つ目の前の課題を片付けることにした。エクスぺリオンを取り出し、事前に話をつけておいた有力者、商人たちに売りつける。そのための闘技場でその効果を見せつけたのだ。エクスぺリオンの過剰摂取で魔王となっても、人間に御せるくらいがちょうどよいと考えており、そういう意味ではハクエンは最適だった。闘技場での出来事は結果として最上と判断できる。事実、既にエクスぺリオンの注文は来ているのだ。人間の欲望とはまったく際限なしに罪深いとヤトリは思う。
これから先エクスぺリオンの中毒者が増えてくれば、加速度的に売れるだろう。魔王に変化するとしても、どのくらいの量で変化するかはこの一年近くで調べた。そのぎりぎりの限度を売りさばく。そして有力者自身を中毒にし、彼らを思いのままに動かし権力を増していく。ヤトリにはそれができるだけの自負があった。アルマスと対抗するのに、おそらくは最低でも10年かかる。だがなんとしてもウィスパーと、その背後にいるらしき大老を処分して、大陸の流通を一手に握る。そうして初めて、ヤトリの本当の望みが動き出す。
大陸の流通を一手に握れば、貧困にあえぐ村々に食料や物流を行き届かせることができる。辺境で誰にも知られていない発見も、伝えることができる。流通の力で今よりも裕福で便利な生活を。貧困にあえいだ彼だからこそ、今ある権力への反発と、富への執着は強かった。やり方や、そこに至るまでの過程に興味はない。結果こそを享受できる人間が増えればそれでよいとヤトリは考えていた。自分一人で何かを成すなら、手段は問うていられなかった。
ヤトリが自分の行き先への思いをはせた時、バンドラスが不意に話しかけた。ヤトリが一瞬、注意が削がれた時だった。
「ヤトリよ、エクスぺリオンはこの先の壁の中か?」
「いえいえ、床下ですよ。それが何か?」
「床下か・・・ならばヤトリ、あれはなんじゃ?」
「あれ?」
「右上の、あれじゃ」
バンドラスの指さすままに、ヤトリの注意が右上にそれる。その刹那、ヤトリの胸に熱い感覚が広がった。痛みはなかった。ただ胸から血が出るのを感じた時、同時に口からも血が溢れていた。ヤトリの左側の柱から手が伸び、握った刃物が正確にヤトリの心臓を貫いてたのだ。
続く
次回投稿は、8/3(水)16:00です。