快楽の街、その128~快楽の女王㉑~
「何を細かいことをぐちゃぐちゃと! 自分が踏みにじった人間の顔ごとき、覚えていなくて当然だろう! 商人とはそういうものだ、人の夢を潰して食って生きているんだからな!」
「そういうのとはまた別だと思うんだけど。でも夢を与えるのが商人なんじゃないの? 僕の知り合いはそう言っていたけど?」
「そんな甘い考えでのし上がれるか! 貴様も俺の槍の錆にしてくれる!」
「言われなくても、抜くってことはそういうことだよね? 面倒くさい人だなぁ。ええと、こういう時はこっちも決め台詞がいるのかな?」
「(好きにするといい、マスター)」
シェンペェスが笑ったので、レイヤーは少々考えて告げた。万全に構えるヤトリに向けて、何か言わないと悪いと思ったのだ。
「じゃあ――僕の正体を知る者には、全員消えてもらおう」
「(悪人の台詞だぞ、それは)」
「え、だめ?」
「(次回までにはもう少しマシなものを考えておくことを勧める)」
「くくくっ、面白いのう。初々しくて笑いが止まらんわ」
バンドラスは腹を抱えて笑ったが、その笑いもすぐに止まった。後ろから三番が現われたからだ。まさかこの館の中まで平然と追い縋ってくるとは思わなかった。どうやら想像以上に任務への忠誠心は高いらしい。
「こっちも客じゃな。ヤトリ、そちらを終えたらこちらに加勢せぇ。状況は良くはないぞ?」
「すぐに終わらせてやりますよ!」
ヤトリは苛立ちともに槍を振るい、猛然とレイヤーに襲い掛かった。対してバンドラスは、後ろから現れた三番を引き離すように展開する。
***
「ふん――先客万来とはいかないけど、それなりにお客様は来たようね」
リビードゥは神殿騎士団に自作の魔物を放った後、一度奥に引っ込んだ。直接戦っても良いのだが、あまり好みではない。右腕がないことで十分に力を発揮できないのもそうだが、やりあうなら一対一で戦うべきだと思った。まずはどの人間がもっとも良い声で鳴きそうか、それを見定めてからじっくり楽しみたいからだ。
「まあ見当はついてますけどね――戦力的にも、私の好み的にもこの女かしら」
リビードゥが舌なめずりしながら館の様子を映し出したのは、エネーマの顔だった。だが、その前に目の前にいる敵を片付けなければなるまい。
幾重にも人除けや妨害を施したはずの館の最深部に、悠然と踏み込んできた女。自らシスターの服を繕い直しただろう、露出の高い服を着ていた。娼婦を思わせるほどの服装にも見えたが、その細部には実は対魔術処理などの様々な工夫が施されている。エネーマが本気で戦う時の正装だ。
だがリビードゥにそんなことはわかりはしない。ただ思ったのは、予定外の客が増えるのは面倒だということだけ。
「またお客様? さすがに応対も面倒になってきたのだけど。人をもてなすにも準備が必要ってご存じかしら? こう見えて、もてなしには手抜きをしたくないのよね、私。
それにしてもどうやってここまで来たのかしら? 人払いは厳重にしてあったはずですけど」
「あら? そりゃあ悪かったわね、招かれざる客で。だけどここに至るまでの経路は、かなり楽だったわよ? この街で仕掛けた魔術を、誰かさんがかなりの数を解呪していたのね。館の中は案内してくれる人もいたし、心配しなくても、私の方が出し物を用意しているわ」
「あら、それは楽しみね。ちなみにあなた、お名前は?」
「エネーマよ」
「ちょっと、冗談でしょ? 糞女なんて芸名、忌避名よ?」
「私の勝手でしょ。それに私にとって、この世の中自体が道化じみた舞台のようなものだわ」
リビードゥは言葉とは裏腹に女の行動や言動をはかりかねていたが、エネーマは余裕たっぷりにくすりと笑って指を鳴らした。するとエネーマの後ろから、ヒドゥンがゆらゆらと落ち着かない足取りで現れたではないか。
リビードゥはさすがに驚いた後で、侮蔑の言葉を投げかけた。
「ちょっと、ヒドゥン? いくら裏切り者扱いをされたからって、その趣旨変えは節操がなさすぎるんじゃあないかしら?」
「ああ、責めてあげないで。彼、今まさに節操どころか貞操を失くしてしまったのだから。貞操に比べれば、節操なんて軽いものでしょう?」
「はぁ?」
「快楽を司る悪霊の癖に鈍感ね。ヒドゥン、やりなさい。今度は本気を見せつけてあげるといいわ」
エネーマの命令と同時に、ヒドゥンが飛び出した。先ほどグンツと戦っていた時とは比べ物にならないほど速い。先ほどはリビードゥと交渉する可能性があるため様子見の戦いだったことを、リビードゥはわかっていなかった。グンツはなんとなく気付いていたが、所詮リビードゥは戦士ではない。そして悪霊たる自分を傷つけられる者などそうそういないだろうという油断もあった。
ヒドゥンが突き出してきたのは燭台。まさかの武器を使った攻撃にリビードゥの反応が遅れる。リビードゥの腰のあたりを裂いた攻撃に、リビードゥが苦痛に顔を歪ませた。
「ぎゃあっ! あ、熱い!?」
「どうかしら、聖なる燭台で体を裂かれる痛みは? 伝説の武具なのよ、それ」
「ふざけるな! そんな燭台があってたまるものですか!」
「はははっ、実際にあるんだからしょうがないじゃない? こう見えても私は聖属性の魔術は大得意。特に武具に属性を付加する魔術は、あまり魔力も使わなくて効率が良いしね。私が付加すれば、どんな道具でも悪霊にとっては伝説級の武器防具ほどに脅威にはなるわ。
ほらほら、こーんなこともできちゃうわよ?」
エネーマは続々と武器を取り出してきた。肉を裂くナイフ、筆、鍵。それら全てが聖属性を付加した武器となる。リビードゥの表情が俄かに変わり始めた。
「な、なんてことを」
「いくら位階が高かろうと、悪霊であることに違いはない。属性の縛りからは逃れられないわ。消滅するまで聖属性の力を叩き込み続ければいいこと。そのヒドゥンは一見貧相だけど、体力的にはほぼ無限。アッチの方も凄いけどね。
私の魔力も十分だし、あなたに勝てる要素はないわよ?」
「くっ・・・」
項垂れたと思ったリビードゥから忍び笑いが漏れる。徐々に大きくなる笑い声は、やがて哄笑へと変わった。
続く
次回投稿は、7/24(日)16:00です。