快楽の街、その127~快楽の女王⑳~
館の中では怪しげな気配をいくつも感じはするが、それらは全て別の方に向いているようだった。館の主であるリビードゥが、別の事案にかかりきりなのかもしれない。最悪、一戦構える可能性もヤトリは考えていただけに、これ幸いとばかりにエクスぺリオンの隠し場所に向かっていた。
その途中、ヤトリは突然鋭い殺気に遭遇した。手に持った短槍が左手でなければ、腕の一本を取られたかもしれない。半ば自動的に動いた短槍が、左から薙ぎ払われた剣を防いでいた。
「!」
「な、なに!?」
「この小僧は?」
ヤトリは間合いに踏み込まれるまで全く気配を感じなかった少年を、驚きの表情で睨んでいた。少年の方も完全に不意を突いたつもりだったのだろう。防がれたことが意外そうにヤトリとバンドラスを見つめていた。そしてバンドラスはその少年に見覚えがあるのではと、記憶をたどっていた。
少年――レイヤーは既にシェンペェスを抜いていた。先に彼らの気配を察知できたのは偶然にすぎないが、避けるほどの距離もなかった。そして避けることができないなら、戦うしかないと判断した。こんな場所で何をどう言い繕っても怪しいだけ。信用できない相手との共闘などもってのほかだし、戦うなら、手加減などできない相手ということも理解できていた。だから初撃で最低一人は仕留める、あるいは深手を負わせるつもりであった。それが手傷も負わせられないとは、予定が完全に狂ってしまった。レイヤーにすれば、一度距離を置いて出方を伺うほかない。
そして初撃の鋭さに驚いたものの、相手が少年だとみるとヤトリは余裕ができたのか、余裕を見せつけるかのように話しかけていた。
「少年、こんなところで何をしているのです? 見たところ悪霊ではなさそうですし、正気も失っていなさそうですが、いきなり斬りつけるとは危ないにもほどがある。私だからなんとかなりましたが、他の者ならどうなっていたか」
「そっちこそ、こんなところで何をしているんだい? 僕は仲間を追いかけてここにきただけだけど、こんなところにいる人間がまっとうだとは思えないね」
「自分はどうなのです――と言いたいですが、私たちも同じですよ。私の大切な仲間がこちらに囚われているという情報を得たもので。探しに来たのです」
すらすらと嘘をつくヤトリにバンドラスは内心で呆れながら、目の前の少年の顔を思い出していた。すると、閃いたのだ。
「思い出したぞ! 小僧、イェーガーにいたな?」
「・・・そうだと言ったら?」
「なんのなんの、儂の印象に残っただけじゃよ。だがお前が望むなら丁度良い、手伝ってやろう。この館は儂も少々案内があるでな。困った時はお互いさまと言うじゃろう?」
「ちょっと、バンドラス? 何を勝手に――」
「この小僧は特性持ちじゃ」
バンドラスの言葉に、ヤトリが目を丸くする。
「では我々と――?」
「そう、同じじゃよ。やがては我々の仲間になるかもしれん。あるいは戦うかもな。どちらにしても、その性質を見極めておくのは重要になる」
「ねぇ、何を話しているのさ」
二人のひそひそ話をレイヤーは全て聞いていたが、内容がわからなかったのでわざと聞こえないふりをした。自分を知っているバンドラスに警戒したのである。レイヤーの記憶では、自分はこの相手と会ったこともなければ、すれ違ったこともない。これだけ妙な気配であれば、忘れるはずがないからだ。
そして振り返ったヤトリの対応が、妙に友好的であった。
「いえいえ、あなたを外に送り出すか、それとも危険ですが一緒に探索するかの相談ですよ」
「ふぅん。で、僕は探索を希望するんだけど?」
「そうですが。では――」
ヤトリが次の提案をしようとした瞬間、再度レイヤーの剣が閃いた。今度はヤトリの片方の髭を剃り落として剣が通過する。頬を軽く剣が裂き、すうっと血が流れると、さすがのヤトリは激昂した。
「こ、こ、このガキ! 何しやがる!」
「ちっ、やれなかった」
「(気を付けろ、レイヤー。見た目よりは相当素早いぞ)」
「わかってる」
「ふむ、あの剣・・・」
バンドラスはヤトリの様子などさておき、レイヤーの剣が普通でないことをすぐに見抜いたが、ヤトリは怒りのあまり気付いていなようだ。ヤトリは短槍を構えると、今度は油断なくレイヤーに向き直った。
「小僧、もう協力するのはやめだ! この場で串刺しにしてやる! 下手に出ていればつけあがりやがって、このイカレが!」
「よく言うよ、そんな気なんて端からないくせに。いいとこ囮のつもりだったんでしょ? それに、どっちにしてもこちらの身元がばれた以上殺すつもりだったし」
「なに?」
「嘘ばっかりだよ、あんたの顔に書いてある。あんたは人を利用することしか頭にない人間だ。そういう人間を腐るほど見てきたからね、騙されはしないさ。ましてあんたたちのように血の匂いが濃い人間は信用できない」
「それはそっちも同じじゃろうて。小僧、その年で何人殺してきた? もう夢で恨み言を告げる死人を数えるのも億劫で、夢からは死者が溢れてくる頃ではないかね?」
「全くないね。そもそも夢なんて見ないし、殺した相手の顔なんていちいち覚えてない。剣士にそれって必要なの?」
「ほう・・・」
レイヤーの言葉にバンドラスはさらに興味をひかれた。これは想像以上の逸材かもしれないと考えたのだ。熟すれば、あるいはゼムスや自分と戦えるかもしれない。ここで失うのは惜しいと考えた。
だがヤトリは違った。
続く
次回投稿は、7/22(金)17:00です。