快楽の街、その122~霧の中の遭遇⑤~
「驚いた、初見で見破られたのは初めてかしら。ちょっと自信なくしちゃうわ」
「儂が特別なだけよ。顔だけでなく、匂いも上手くごまかしておるが、儂の目はごまかせん。と、いうより、お主が特殊ゆえわかるのよ」
「特殊?」
「『特性持ち』じゃろうて、お主も。儂はその手の人物は見逃さん。そんな者がヤトリの部下でおとなしくしてるかよ」
バンドラスの言葉に、女――アルマスの三番はくすりと笑っていた。
「これは――予想外だわ。そこを見抜かれたのではどうしようもないわね」
「儂がおることそのものが、運がなかったのじゃろうな。そしてヤトリはなんのかのと運があると言いかえてもいいじゃろう。さて、どうするね? 正体もばれ、狭い室内で囲まれれば危機じゃとは思うが」
「だけど、絶体絶命ではない」
三番は突然自らの首をかき切った。血が当然のごとく飛び散ったが、その血が生きているかのようにヤトリの部下の視界を塞ぐ。ヤトリとバンドラスは血を防いだが、その一瞬でヤトリの部下は三人へと減っていた。
驚きながらも構える生き残りたちを嘲笑うかのように、三番は今度はあっさりと部屋から去っていった。一瞬の出来事に、バンドラスが手を叩いて称讃を送った。
「見事と言うほかあるまいな。引き際、覚悟共に鮮やか。いつぞのアルマスの刺客とは質が違うの。首を切った血で目くらましを行うとは」
「く、くそっ。こんなにもあっさりと」
「諦めよ、ヤトリ。これは儂が加勢しても、これより上手の番手が出てくれば勝ちようがないわ。大人しく首を差し出すか、相応の対価を支払う必要があるじゃろうて」
「首に代わる対価ですと?」
「お主の欲望そのものじゃろう。それさえ諦めれば、お主の首にそれほどの価値をあるいは見出さぬかもしれん。ま、関係ないかもしれんがな。どうするかね? 欲望と共に死ぬか、欲を諦めて死んだように生きるか」
「どちらも選びませんよ、私は生きて野望を達成します。そのための準備もしてある。部下の代わりはいくらでもいる。私さえ生きていれば、関係ありません」
「ボス! その言い様はあまりにも――」
部下の一人が反論しようとした瞬間、ヤトリの短槍が閃いた。生き残った部下達が物言わぬ死骸となった後、ヤトリが槍を振り払うと、血は一滴も槍にはついていなかった。
「なんじゃ、鈍ってはおらんのか」
「腹は出ましたがね、鍛錬は怠っていませんよ。最初からこうしていればよかったんですが、組織が大きくなるとどうしても人手は必要でね。もっと次は上手くやるつもりです」
「諦めの悪い奴よの」
「そうでなければゼムスの仲間には加われませんでしたよ。常人ではどうにもならない冒険にばかり行くのですから」
「くくっ、そうであった。で、次はどうするのかね? 再起を図るだけのエクスぺリオンを隠しているのだろう?」
ヤトリはしばし悩んだ後、筆で紙にある場所を書いた。その場所にバンドラスですらぎょっとする。
「なるほど・・・それなら確かに安全じゃな。だが今の状況では急いだ方がよいかもしれん。時にお主、その館の主とは知り合いかね?」
「いえいえ、まさか。私は町中で最も誰も寄らないと言われた場所に隠しただけです。あの場所は元からターラムの住人ですら誰も近寄りません。入ると呪われるだの、頭がおかしくなるだので有名でしたから。
私だって、可能な限り近寄りたくありませんでしたよ、かつてイカれた娼婦が夜な夜な拷問と殺人を繰り返し、最後は火あぶりになりながらも高笑いしながら死んだとか言われる、終わりなき快楽と秘密の欲望館なんて。まさかその館の娼婦が悪霊になって帰ってくるなんて、誰が思いつくっていうんですか」
「――縁とは不思議な物じゃのう。じゃが今度はひっそりと戻らねばなるまいな」
バンドラスは去ったばかりの場所にまた戻ることに不思議な運命を感じていたが、今度は先ほどのような高揚感はなく、ただ嫌な予感に難しい顔をしていた。
***
「む・・・ぐ。かはっ、かはっ。こ、ここは?」
「目が覚めたかしら?」
エネーマはベッドの上に横たわる男が目覚めたのに気づき、顔を本から上げた。部屋には最低限の灯りすらなく暗かったが、エネーマの姿がほとんど裸に近いものであることだけはわかっていた。
そして自分がベッドに縛り付けられていることも。体に力は入らないが、それが拘束の魔術のせいだけでないことも男にはわかっていた。
エネーマはおもむろにベッドに近寄ると、男の胸元に指を這わせる。
「さて、目覚めの気分はどうかしら?」
「・・・手足を拘束されて快適な眠りをできる者がいれば、聞いてみたいものだ」
「あら、そんなに強くは縛ってないわよ? 脱力はするだろうから抵抗はできないけど、寝返りもうてるし、逆に快適なくらいのはずだけど」
「ふん、状況の問題だ。見ず知らずの裸の女に、この状況。快適なはずもあるまい」
「それもそうね。ではまず自己紹介から。私はエネーマ。あなたは?」
「しゃべる必要があるか?」
男の言葉に困ったような表情をしたエネーマだが、その表情が嗜虐に歪む。
「そうね、必要はないわ。でも『話してもらう』わ」
「なんだと――私の名前はヒドゥンだ」
その瞬間、ヒドゥンの表情が困惑に囚われた。意志に反して動く口。理解できない状況に唖然としながら、エネーマは質問を続けていた。
続く
次回投稿は、7/12(火)17:00です。