快楽の街、その119~霧の中の遭遇②~
気配で感じる限り、戦いは一人の方が優勢なようだった。次々と襲い掛かる魔物たちを退け、仕留めている。魔術を使っているようだが、エネーマの知らない系統だった。自分が知らない魔術がそれほど多くあるとは思わないエネーマだが、さすがに興味をそそられてさらに近づいてみた。戦っているのはどうやら男。攻撃を受けていないわけではないが、端から回復、いや、再生しているようだった。身のこなしと魔術の使い方からかなりの使い手であることはわかるが、かなり消耗しているようにも感じられた。
最後に襲ってきた魔物はかなりの大物だった。全身に毛の生えた巨大なナメクジのような姿に感じられるが、魔術や打撃が効いていない。攻撃の仕方は緩慢だが、体から次々と小さな魔物を放ち、襲わせている。男はこのままではじり貧になると感じたのか、一層強く魔力を収束すると、巨大な剣のような一撃を放った。唐竹割にした魔物はそれでも絶命しなかったため、男は何撃も横から、斜めから攻撃を加えた。そしてついに魔物が崩れ落ちると、残った魔物たちは散っていったのだった。
男はよろめきながらその場に崩れ落ちた。どうやらさっきの攻撃で力を使い果たしたらしい。何とか路地裏に入ると、小さな結界を張って身を隠した。一時休息をとるのだろう。だがエネーマは少し時間を置いた後、その結界を易々と解いた。中には、神経質そうな表情をした男が苦し気な表情で眠っている。エネーマは少々のことでは目が覚めないように、丁寧に睡眠の魔術をかけると、興味深そうに男を眺めた。
「・・・おそらくは吸血種ね。面白そうね、良い拾いものになるかも。得体のしれない化け物と戦うのは気が引けていたし、『これ』を使えばいいんじゃないかしら」
エネーマはぺろりと舌なめずりをすると、男を抱えて手近な建物へと押し入っていった。
***
「よう、ここまででいいぜ」
「あら、まだ距離があるわよ?」
「こっから先は自分でもなんとかなるだろ。女に最後まで見送らせるのは格好悪いからな」
「そんなことを気にしていたなんてね」
グンツはのせられていた魔獣の上から女――ファンデーヌに挨拶した。グンツにも困惑する状況には、とっととおさらばしたかった。霧の中でブラックホークの隊長格に出会うこともそうだが、あの霧の中でも平然としていること。そしてこのような見たこともない魔獣を引き連れていること。
八本脚で疾走する馬型の魔獣など見たこともない。しかも体格は馬の倍以上は優にあり、速度は比較になるまい。霧の中には得体のしれない生き物がたくさんいたが、ファンデーヌと出会ってからは一度も襲われなかった。そのことも聞いてみたかったが、グンツにすら聞くことを躊躇われた。この女はフォスティナとは別の意味で、関わりたくないと思ったのだ。正直、さっさと離れたかった。見た目だけは好みなんだがと、グンツはやや後ろ髪を引かれたが、さすがに天秤になるものが命では割に合わないと感じたのだ。女抱きたさに、警護万全の貴族の屋敷に押し入ったことを考えれば、年老いたかと考えもしたが。
だがファンデーヌは優雅に微笑むと、併走させていた自分の魔獣の歩みを遅くした。そしてグンツが乗っていた魔獣もやや距離と老いた場所で一度ファンデーヌの方を振り返った。まるでファンデーヌの意図を一度確認しているように見える。ファンデーヌは優雅に微笑むと、魔獣を返しながらグンツに別れを告げた。
「それではその魔獣は差し上げますわ。不要なら乗り捨てられませ。放っておいても私の元に戻りますゆえ」
「・・・あんた召喚士で調教師だって噂だったが、俺にそこまでして得があるのか? そこまで親切だと気味が悪い」
「あら、親切にされるのには慣れていなくて?」
「唾を吐かれて罵られることばかりの人生なもんでな。アンタも俺が誰かを知ってやってんだろ?」
「スカースネイクの隊長さんでしょう? そして今は黒の魔術士に協力している。半ば人もおやめになっているかしら」
「おいおい、そこまでわかっていて協力するなんざ、ますます理解できねぇ。何を企んでる?」
「好意は素直に受け取るものですよ? まぁ・・・そうですね。全部は語れませんが、少しなら教えてあげてもよいでしょう」
そしてファンデーヌは理由を告げた。それを聞いてグンツは目を丸くした。
「・・・マジかよ。それは、いいのか? いや、だってアンタ――」
「構いませんわ。どうせ私は傭兵ですから。ヴァルサスに絶対的な忠誠心があるわけではない。ヴァルサスにも入団の時に、そう説明していますし、ヴァルサス自身も自分に忠誠などいらないと言っていましたし」
「いや、俺はその手の話は好きなんだが。俺に話してよかったのか?」
「よくなければ最初から助けていませんわ」
優雅に微笑んだファンデーヌだが、それでもグンツの不信感はぬぐえなかった。
「動機はなんだ? そこまでする動機は」
「私――人間って嫌いですから。人間と仲良くするくらいなら、魔獣たちの方がよほどまし。それだけのことです」
「俺は人間――ってのももう微妙か。だから助けた?」
「それもあります。あなたは獣よりも獣らしいので、親近感があるといえばそうですね」
「なるほど、納得がいったぜ。だが全部は聞かせてもらえてねぇ感じがするな? いずれ聞かせてもらえるかい?」
「機会があれば」
ファンデーヌが再び微笑むと、グンツもニヤリと返した。そしてグンツの乗る魔獣は踵を返して去っていった。グンツの中で不信感は敢然には拭えなかったが、もう一度会えば口説いてみるくらいいいかとは考えていた。
残されたファンデーヌはしばしグンツを見送ると、その背中に向けてつぶやいた。
「そう――この世が燃え上がり、崩れ落ちるその時には話して差し上げますわ。あなたなら、その時まで生きていそうですから。愛すべき生き汚い人」
そしてファンデーヌはくるりと霧の方を向くと、自分に瓶の中に入っていた香水をふりかけた。するとけたたましく霧の中から叫び声が聞こえてきた。魔獣寄せの香を振りかけたのである。
「さて。この私でも知らない魔獣が沢山。今日はたくさんお友達ができそうだわ、楽しみね」
ファンデーヌは楽しみに心躍らせながら、霧の中に再度戻っていった。そしてグンツの方は、無事にケルベロスの元にたどり着いていた。グンツにたたき起こされたケルベロスは、眠そうな目をこすりながらのろのろと起きてきた。
続く
次回投稿は、7/6(水)18:00です。