快楽の街、その113~快楽の女王⑫~
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「プリムゼ、悪いわね付き合わせて」
「いえいえ、ラニリさんこそ。もう夜更けなのに、すみません。今日もお仕事で疲れているでしょう?」
「それほど今日は客がついていないから・・・本当はもっと積極的でないといけないのだけど。中々あれほど美しい女性が揃うと、私のような年増では難しいでしょうし・・・」
「そういわけではないと思いますが・・・」
薄く霧が出始めたターラムの中を、ラニリとプリムゼが進む。彼女たちは娼館に必要な物品を急遽買い出しに出たところだった。夜も更けたが、客の求めに応じるのが彼女たちの仕事。普段なら下働きの者が出るのだが、夜も更けたということで娼館は最低限の人数で運営されている。なので手の空いたラニリとプリムゼで、ターラムの街へと買い出しに出たのだった。ターラムなら中心部に行けば、昼夜を問わず開いている店が必ずある。
確かに黄金の純潔館に努める娼婦はそれこそ目も眩むほどの美しい女性揃いだが、その中にいるというだけでもターラムでは十分な栄誉とみなされる。ましてラニリのように全く娼婦としての訓練をされたわけではなく、しかも若くもないとなれば、なおさら娼館入りするための審査は厳しくなる。その中で突然娼館入りしたラニリは、それだけで十分に彼女の素質を伺わせた。
プリムゼも詳しく事情は知らないが、どうやら彼女は伴侶を失くしたらしいとのことだった。そして帰る場所もなくしたため、この街に流れ着いたのだとか。ターラムではごくありふれた話だが、一つ普通と違うのは、彼女が人間ではなくバンシーということだろうか。半精霊、半魔の彼女は何もせずとも異性を惹きつける魅力を持つという。娼婦なら誰でも喉から手が出るほど欲しい能力だが、契約の条件から黄金の純潔館ではそういった類の力は封じられ、一切使ってないとのことだから、ラニリがなんとかやっていけてるのは彼女の努力によるものだろう。
ラニリがやってきてから一年と少し。なんとか独り立ちができたいうところだった。フォルミネーに仕えてからはプリムゼの方がはるかに長いが、一年で独り立ちしてみせたラニリに尊敬の念を抱いていた。ラニリは本当ならしなくてもよい買い出しなどの下働きについても、新米ということで積極的に手伝ってくれる。この年上の女性を、プリムゼは良き話し相手として行動を共にすることが多くなっていた。
「黄金の純潔館には慣れましたか?」
「仕事は大変だけど、教養から作法まで覚えることはまだまだ山のようにあるから、飽きることは決してないわ。明日も、経営に関する本を一つ頭に入れなくてはならないわ」
「それは顧客の好みで?」
「ええ、大口のお客様ですから。お話をするにしても、それなりに知識がないと会話についていけませんもの。明日の朝にはまず頼んでおいた本を取りに行かないとね」
「努力されているんですね」
「そうね・・・でも毎日があまりにも目まぐるしくて失念していたのだけど、私、なんのためにこんなことをしているんだろうって。特にこの前――」
そこで言葉を詰まらせたことでプリムゼは事情を察したが、聞かずにはいられなかった。プリムゼも淑女とはいえ、気になる話題でもあったし、何よりラニリにいるという娘が自分に年が近いということで話す機会を得たのだ。失礼だとは思いながら、聞かずにはいられなかった。
「すみません。この前気付いてしまったのですが・・・その、娘さんがこの前のお客にいらした?」
「・・・やっぱり気付かれたのね」
ラニリはふぅと息を吐いて、申し訳なさそうにプリムゼの方を見た。
「娘と同じような年齢の子に愚痴るようでなんだけど、聞いてもらえるかしら?」
「ええ、もちろん」
「私の娘ね、魔女としての素質があるの。だから物心ついてまもなく修行に出したのだけど、少なくとも成人するまでは会えないと言われたわ。だから今の今まで何をしているのか知りもしなかった。私も暮らしていた土地を離れたから、連絡の取りようもなかったんだけど」
「この前、偶然出会ってしまった?」
「そう。まるで予想もしていなかったわ」
ラニリの表情は翳っていた。元より影のある女性ではあるが、その表情は一層暗い。ターラムの闇に溶けてしまいそうである。
「私は黄金の純潔館に救ってもらったし、今では仕事に愛着も誇りもあるわ。それに女として嫌だと思ったこともない。だけど、長く見ていなくても一目でわかるものなのね。娘の顔を見た瞬間、私は何をやっているんだろうと思ったの。私としては恥じていなくても、母親としての私は自分を恥じていた」
「・・・」
「ごめんなさい、プリムゼ。私は貴女たち娼婦を見下しているわけではないの。でもどうしても――世間体の話だとか、娘の心境を考えると、どうしても私はこのままではいけないと思っているの」
「お暇をとられる?」
ラニリは言葉に詰まり、さらにうつむいた。
「それは・・・わからないわ。少なくとも、娘と話をする機会はもちたいの。でも、私を見た時の娘のあの顔。驚きと、軽蔑が混じったような表情をしていたわ。娘は私の話を聞いてくれるかしら」
「大丈夫ですよ。どんな事情があっても、母子は情でつながっているのでしょう? 私は捨てられた人間ですけど、それでも母に会いたいと思います。きっと、娘さんも同じですよ」
「そうかしら?」
「自信を持ってください。そうでなくては、良くなるものも良くなりませんよ」
プリムゼは元気を出すようにラニリを促した。それが気休めだとわかっていても、ラニリはプリムゼの心遣いに感謝せざるをえなかった。そして心が晴れやかになったと思った瞬間、ラニリは周囲の様子がおかしいことに気付いていた。
「プリムゼ・・・この霧、こんなに深かったかしら?」
「え・・・いえ、こんなには。おかしいですね、この通りは正面の鐘楼が夜は灯りをともしていて見えるのですが、それも見えない。霧で灯りが見えないなんて、初めてです」
「ターラムには霧が出るの?」
「夜霧はたまに出ますが、窪地ではないためそれも一時的なことです。視界が遮られるほどの霧が出ることは、私の記憶では一度もありません」
「そうよね・・・それにこの嫌な感じは」
気付けば、周囲を通る人も数が減っている。それにそこかしこから、小さい悲鳴のようなものも聞こえていた。異常を感じたその時、一際濃い霧が二人の方に向けて伸びてきた。まるで蛇の頭か、植物の蔦の先かと思わせるその動きにプリムゼが身を竦めた。
続く
次回投稿は、6/24(金)19:00です。