快楽の街、その111~快楽の女王⑩~
「言いたいことはわかるがな、有効な使い方など存在せんだろう。製作者は面白がりながら人間の四肢を引きちぎれる男だ。そんな男が作ったものなど、世の中に混乱をもたらす以上のことはせんよ。それに大老はご健在だ。軽々しく姿を見せない方が、威厳と不気味さは増すと思わないか?」
「確かにそうです。ですが混乱も使いようです。混乱を演出し、制御すると言う意味では、私とあなたは似た嗜好を持つと思いましたが?」
「それは認めよう。だが演出家は二人もいらんな」
「同感です、ならば潰しあいですね。いつでも受けて立ちますが?」
「貴様も中々どうして好戦的だ。では今から行うか?」
「その前に一つ。私にも客人がいるのですが、ぺらぺらしゃべってよろしかった?」
「なんだそのことか。その女は――」
そこまでウィスパーが告げると、突然居合のように鞭が奔り、舞い散る羽と地面を掴んだ足を残して鳥は消滅していた。ファンデーヌの行為自体にもそうだが、あまりの早業にヤトリも目をむいた。
そしてヤトリの興味がファンデーヌに向いた一瞬、
「やれ」
どこからともなくウィスパーの声が部屋に響くが早いか、ヤトリにつかみかかった女たちが懐から匕首を取り出し、ヤトリに突き立てた。深々と柄まで突き刺したその匕首は、しかしヤトリにとって致命傷とはなっていない。むしろその脂肪によって匕首を弾き飛ばすと、ヤトリは素早く女たちの首をへし折っていた。
「舐めてもらっては困りますよ、ウィスパー。こう見えて、私も元は冒険者として名を売った人間です。こんな方法で死ぬわけがないでしょう?」
ヤトリがぱんぱんと衣服を直すと、部屋内の異常を感じた護衛が数名入ってきた。
「ボス、これは?」
「アルマスに気付かれました、これから我々は交戦状態に入ります。大老の居場所に関して、ある程度目星はついているのですね?」
「ええ、ある程度は」
「では実力で交渉に入るとしましょうか。それにエクスぺリオンも用意しておいてください。アルマスと戦う上で、欠かせないものになるでしょう。
ファンデーヌさん、お世話になりました。おかげさまで大物が釣れましたよ。依頼の報酬は弾ませていただきましょう」
「・・・私が何者かは聞かないのね?」
ファンデーヌの人形のように整った表情に向けて、ヤトリは悠然と微笑んだ。
「私は無粋な真似は嫌いです、それに女性は謎の一つや二つあったほうがいい。またアルマスを相手にするだけで私は手一杯なので、貴女まで相手にしている余裕はありませんよ」
「懸命な判断だわ。でも貴女はアルマスを軽んじている、簡単にはいかないわよ」
「アルマスの四番以降は最近入れ替わったと聞きました。これを好機ととらえずして、なんとします? 所詮は暗殺者、日の当たるところで戦えば化けの皮も剥がれるでしょう。仕留めて見せますよ、必ずね」
「健闘を祈るわ」
ファンデーヌはヤトリから金の入った袋を手渡されると、その場を後にした。そして建物を出る時、誰となくつぶやいたのだ。
「・・・三番以上は別格の化け物どもばかり。あの商人どもが相当強いのは認めるけども、かなり厳しいでしょうね。何より、もう王手をかけられている」
ファンデーヌは建物の周囲に積み重ねられた枯葉や木の束を見て、既にヤトリが取り囲まれていることを知った。
「私が出るまで待ってくれたのね? ありがとう、3番だったかしら。相手は三階、奥の部屋よ。護衛は27人、いずれも手練れだわ」
ファンデーヌがそう告げると、空中からヤトリの報酬とほぼ同じの袋が降ってきた。その袋の中身を確認し、ファンデーヌは微笑んだ。
「儲かったわね、今回は。もうこれで街に用はないけど――外に出れないわね。あのオーク共、さっさと誰かが処分してくれないかしら」
ファンデーヌはそんなことをつぶやきながら、霧を避けるようにターラムの闇へと姿を消して行った。
そして同時に、建物を取り巻いていた木の束に火が付く。勢いよく燃えるそれは建物を燃やすほどではないが、煙を吐き出し、あっという間に建物を包んだ。
何事かと外に出てきた護衛たちが状況を確認する。
「もう攻めてきたのか?」
「まだ人影はない。いつの間にこんな仕掛けを」
「最低でも半刻前にはなかった。とにかく消そう。これでは燻りだされてしまう」
護衛が水をくむために近くの井戸まで走ろうとした時、彼らはこと切れていた。首の後ろには、太い針が刺さっている。そして開いたままの扉がきい、と小さく揺れて、そっと閉まっていた。人が動く姿は、何もなかった。
***
「お前――何をしたの?」
驚きに目を向くのはリビードゥ。彼女の右腕は肘から先がなくなっていた。肘から先は、バンドラスが手元で弄んでいる。
引きちぎられた、いや、盗まれた。そう表現するのが正しいであろう行為。実体を持たぬ自分に触れることは、人間であれば適わないはずなのに。先ほどまでと違うのは、バンドラスがしている手甲か。
「その手甲、『遺物』か何かかしら?」
「いいや? 手甲は戦闘に入る時の姿勢であり、盗んだのは儂の技術よ。手癖が悪いのは昔からだが、儂も特性持ちでのう。儂が盗むと決めた物は、例外なく盗めるのよ」
「特性持ち?」
「人でなくなったお主は知らんで結構。さて、儂の目的はこれでおおよそ達成できたわけじゃが――」
その時、バンドラスが何かに反応するように耳を澄ませていた。その表情が俄かに曇る。
「――やはりこれでお暇せねばならんのう。おぬしとの睦み合いは楽しかったのじゃが」
「私はちっとも楽しくないわ。全然イケないもの」
「儂はしっかり楽しんだからの。年寄りにはこれ以上は若者の相手はきついて。それに仲間が呼んでおるでの」
バンドラスは身を翻し、素早く柱を駆け上って天井付近にまで到達した。天窓はあるが、ここはリビードゥの『城』だ。自由に開くはずもない窓が、いとも簡単に開いた。やはりあの爺はおかしい。これなら城も何も意味がないではないかとリビードゥがいぶかしがる中、バンドラスは呵々と、笑い別れを告げていた。
「楽しかったのぅ、快楽の姫よ。おぬしの手管にもない手法じゃったろう?」
「そうね、それは認めるわ」
「折あらば、また遊ぼうや」
「今度は対価を払ってくださるかしら。できれば命で」
「老いぼれの命じゃ大した値打ちにならなかろうから、別の物を持参するとしよう。次はその首をいただいて、儂の傍で命ある限り傍で愛でてやろうぞ」
そのまま投げキスをして高笑いと共に飛び出すバンドラス。リビードゥの表情が、憎しみに歪んでいた。
「あの男――小癪な!」
「なんだ、逃がしちまったのか?」
グンツが呆れたような視線を投げてきた。リビードゥが睨みつけるが、グンツは特に怖じる様子もない。ここで怯えるようならいっそ腹いせに殺そうかと思っていたが、あまりに飄々としたグンツに、手を出す機会をリビードゥは失っていた。
「あなたはどうなの? なんでヒドゥンが紛れ込んだのか、きちんと吐かせたのでしょうね?」
「吐かせるまでもなく喋ったがな。お前の発生させた城に囚われ、脱出の経路を失くしたようだぜ? だから主であるお前を殺そうと、機会を伺っていたんだと。バンドラスっつーのが来たから、どうにかならないかと考えたんだろうな」
「殺したの?」
「いいや? 殺しきるのは面倒くさいから、適当にあしらって逃がした。どうせ霧の中からは出れないし、放っておいてもお前に害はないだろうよ」
「そうね、そうだけど・・・」
リビードゥの歯切れが悪い。本当に人間みたいだなとグンツはったが、同時に面倒だなとも考えた。
「霧の中に侵入してきている人間が多い。そろそろターラムの住人も霧の意味が分かったと思うし、先ほどから妨害も受けている。なのに、霧の中に突撃してくる人間が何人もいる。人間は馬鹿なのかしら?」
「さてな。なんなら迎撃してやろうか?」
「その心配には及ばないわ。いかに魔術で防御しようと、私の城は私に近づくほどに影響が濃くなる。この建物に入った段階で、正気を保つのはほぼ不可能になるわ。それにこの城の中には、多数の淫魔や夢魔を放っているわ。正規の方法で近づくなら、間違いなく彼らの餌食になる。バンドラスのような方法を除けばね」
「そうか」
じゃあ相手が正規の方法以外で来たらどうするんだとグンツは喉まで言葉が出かかったが、それは口にしなかった。そうこうするうち、リビードゥがしなだれかかってきた。
「ねぇ。さっきはまだ欲求不満なの。だから、二人ですっきりしないかしら?」
「いや、そんな気分じゃねぇんだ。俺は生憎と戦いの意欲は戦いでしか晴らせなくてな。ちょっくら外で戦ってくることにする」
「あぁん、意地悪!」
リビードゥがもどかしんだが、グンツはするりとその手を抜けた。実際グンツは戦いに飢えていたわけではなかったが、人間の女のようなリビードゥの相手は面倒くさくて御免だと感じていたのだ。
そろそろ縁も切り時か。そんなことを考えながら、グンツは外に向かった。
続く
次回投稿は、6/20(月)19:00です。