快楽の街、その103~復讐の勇者⑤~
「自警団まで巻き込んで奴らを誘導したのはよいが、オークはともかく、リディルはどうにもならんか。さて、このまま夜が明けるまで追いかけっこしてもよいのじゃが、向こう見ずの若者を相手にするには少々この老体にはこたえるのぅ・・・そうじゃ。文字通り煙ならぬ、霧に巻いてやるとしようか」
バンドラスはゼムスには似合わぬ表情でにたりとすると、再びリディルの視界へと戻って行った。
***
「霧が深いですね・・・」
「おう、何も見えんな! ガハハハ!」
「笑うところじゃあないわよ」
ダート、アナーセス、エネーマは酒場で暇を持て余していた。ゼムスはいない。面倒な奴と出会ったから、しばしの間大人しくしておくと言っていた。バンドラスが何事かゼムスに耳打ちしていたようだが、大草原すら平然と横断するゼムスに「面倒」と言わせるだけでも相手はたいしたものだ。エネーマはなんとなく相手の想像がついていたが、ダートやアナーセスには黙っておいた。この馬鹿たちは、興味本位だけで相手にちょっかいを出しかねない。中途半端以上に実力があるから大抵の場合なんとかなってしまうが、今回ばかりはやや分が悪いかもしれない。加えて、この正体不明の霧である。
どういった類のものかはすぐに理解した。霧全体に幻惑や混乱など、正気を失わせる効果がある。霧に中はおそらく、外出していた人間たちが正気を失い、さながら亡者の軍団がごとき徘徊をしていることだろう。現在外出することは自殺行為に等しい。
不思議と建物の中に霧が侵入してくる様子はなかったが、狂った人間たちがいつ襲ってきてもおかしくはない。念のためエネーマは宿全体を結界で覆ったが、こうやって宿でだらだらとしているのも性に合わない。ましてこんなイカレ男が二人も正面にいるのでは、霧がなくとも気が晴れないというものだった。
「ふぅ、退屈ね。ちょっと出てくるわ」
「この霧の中に? 正気を失った連中に襲われますよ?」
「私が? 私が襲うことはあっても、襲われることはないと思うわ」
「ああ、そうもそうか。だがあなたもいなくなるんじゃますます退屈だ。私たちにもその聖なる加護を分けてくれませんかね。私、防御の魔術はさっぱりでして」
「人を嬲ることしか考えていないから、そういう偏った魔術の習得になるのよ」
「人のことを言えますか? むしろ聖なる魔術を習得しているくせに、その性格の方がどうかと思いますが」
「ガハハ、どちらも歪んでいるということだな!」
「「お前は黙れ」」
エネーマは嫌味を言い続けるダートが面倒くさくなり、彼らにも防護の魔術をかけてやった。これで霧の影響はなくなるだろう。
「どのくらいもつんです?」
「明け方まではもつわよ。ただわかっているとは思うけど、魔術の使用には注意しなさい。防護の魔術が影響を受けて消えかねないわ。肉弾戦もね」
「ええ、わかりましたよ。ですが私の魔術はほとんど関係がない。知っているでしょう?」
「俺の力もな! 本気でやれば剣圧だけで人間は殺せる」
「ふん、そうだったわね。霧に乗じて何をするつもりか知らないけど、本当に堪え性のないこと」
「その言葉、そっくりお返ししますよ。まあ互いに上手くやりましょう。うるさい賢者もいませんし、羽根を伸ばすなら今の内ですから」
ダートとアナーセスはそれだけ告げると、どことなくターラムの街へと消えていった。そしてエネーマは、ふと霧の中心へと足を向けることにした。
「こんな時に霧の発生元が気になるのは、習慣かしらね。ただ間違いなく悪霊が関わっている。それも、見たことがないほど強大なやつが。放置すると非常に危険ね。ゼムス様――いえ、今後のゼムスのためにも、片付けておくべきかしら? まあ、様子だけ見に行ってみましょうか。ああ、単独行動も久しぶりね」
エネーマもまた、こうして霧の中に足を踏み出していった。
***
「さて、この霧はなんだろうか」
「少なくとも、まっとうなものではないでしょうね」
レトーアとフォスティナは本日の行動に関して、互いに情報交換をしていた。レトーアは午前は街中をイルマタルとレイヤー、それにユーティを伴い散策したが、午後からはレイヤーが仕事があるため彼らがいなくなり、一人で聞き込みをしたがそれほど効果は得られなかった。
だがギルドに調べさせたエクスぺリオンの行方は、それなりに効果があった。エクスぺリオンが最近の多発する異変と関係があることは多くの者がつかんでいるが、流通量がさらに増しているため、対応が後手に回っていること。エクスぺリオンは娼館を中心に出回っているが、多くは娼館ギルドが徹底的に管理し排除したものの、管理下にない娼館で大量に出回っていることだった。
話をまとめていくと、エクスぺリオンの魔王化の効果を考えるに、おそらくは黒の魔術士の息のかかった娼館で出回っているのだと想像がついた。おそらく、最初は実験だったのだろう。どの程度の服用で魔王となるのか、またその変化はどういったものか。だが明らかに目立ちすぎている。黒の魔術士でも管理できない不測の事態が起こったか、黒の魔術士以外の者が絡んでいるのか。そのどちらでもではないのかという結論に彼らは至ったのだが、そこに来てこの霧が発生していた。
霧の正体を確かめるべく二人は外に出たが、すぐにどういったものかは理解していた。
「魔物ではありませんね。悪霊か死霊――呪いの関わる類のものです。こんなものが広がった日には、この街も壊滅ですよ」
「驚いたね、ターラムを壊滅させる方法があったとは。たとえ焼け野原にされても、すぐに復興しそうなものだが。人間の欲望というものは本当に不滅だからね」
「皮肉はよしてください。街の人間がまるごと洗脳されてしまえば、さすがに事実上の壊滅ですよ」
「欲望の方向性の統一か。なるほど、興味深い」
レトーアは独りで頷いていたが、その間にも襲いくる町人をフォスティナが手刀で気絶させていた。理性がないので、急所をかなり強く打ち据えないと気絶しない。一つ加減を間違えれば殺しかねない状態だった。
「レトーア殿。性急ではあるが、この現状を打開するために私は動こうと思う。打ち合わせは一度終了としたいが、よろしいか?」
「もちろんだ、私はこのまま探るとするよ。イェーガーと自警団の試合で随分と時間を取られてしまったから、少しでも取り戻しておきたくてね。私は眠らなくても大丈夫だし、霧の影響も受けないようだ。アルフィリース団長の障害は少しでも排除しておきたい。
それよりあなたは大丈夫なのか」
「はい、多少気合を入れれば、なんとか。では私もこのまま自警団の元に赴き、現状を把握します。どうにもよからぬ予感があるので、このまま終わるとも思えませんから。それでは」
それだけ告げると、レトーアの返事を待たずにフォスティナは行ってしまった。残されたレトーアは、つくづくフォスティナという人間を不思議だと思う。戦士としての素材は間違いなく大陸でも並ぶ者なし。そして知恵と着眼点も、一級の学者を上回る。なのに何の欲もなく、ただ己のなすべきことのために、全力で活動を続けている。会っておいてよかったと思う。アルフィリースに何かあれば、彼女に『真実』を託すこともありえるかもしれないとレメゲートは考えていた。
「少なくとも、真実の一端にふれる資格のある人間ではあるだろう。だが、不思議なのは霧の影響を受けないことだが、気合の問題なのか・・・?」
レトーアもそこだけは原因がわからず、フォスティナの不思議な力に苦笑するしかなかった。
続く
次回投稿は、6/4(土)20:00です。