快楽の街、その87~ターラムでの闘技場にて㉑~
フォスティナが叩き潰される寸前、アルフィリースがフォスティナを抱えて脱出することに成功したが、フォスティナの剣は砕けて散っていた。
「間一髪!」
「くっ、何でもありですね。自分のちゃんとした剣を準備しておくのでした」
「それにしてもちょっと強力過ぎるけどね。高位の魔術士にも劣らない魔術と、野生の獣の強靭な筋肉を基本としているわ。あれで俊敏だったらお手上げね」
「まさか。あれだけ魔王がごっちゃりとついているのに、それはないでしょう?」
「あの魔王が全部取り外せるのだとしたら、思いのほか俊敏かもね? 何にせよ想定はしておかないとだけど、リリアムよりはよほど戦いやすいわ。とりあえず熱くなりすぎるのはなしね、フォスティナもリリアムも」
アルフィリースが魔術で土から剣を作り出し、自分の剣をフォスティナに渡す。リリアムにもそれとなく釘をさしたアルフィリースだが、リリアムは退く気はないらしい。
「だけど何か策はあるのかしら? なければどちらのかの精魂が尽きるまで削り合いになるわ。再生力に長けるあちらと、回復手段のない私たちでは明らかに不利よ?」
「策はあるわ・・・そろそろね」
アルフィリースがちらりと観客席の方を見た。リリアムがちらりと観客席の方を見ると、剣に光が反射するのが見えていた。リリアムはアルフィリースの意図を察していた。
「ああ、そういうこと・・・なら足止めは私の方がよさそうね。あまり二人とも動かないでくれるかしら? 首が落ちても責任は取れないわよ?」
リリアムがぎらりとハクエンを睨むと、その目が銀色に輝き始めた。魔眼の発動の意味を知らないのか、ハクエンはきょとんとしてリリアムの変化にたじろいでいた。
そのハクエンにリリアムが手招きをしていた。
「いらっしゃいな、エテ公。厳し目のおしおきが必要のようね」
「ぐっふっふ。その表情をなんとしても歪めさせてやる」
「無理じゃないかしら?」
ハクエンが一歩を踏み出した時、突然がくんと足元が崩れていた。見れば、足の一本が膝下から切断されていた。ハクエンは突然起こった激痛に、悲鳴を上げた。リリアムが舌舐めずりをしている。
「あら、中々良い悲鳴を上げるわね。もっと聞かせて頂戴な」
「くそっ、何したぁ!」
「賢くなった頭で考えてごらんなさいな。もっとも元が猿では、わかりはしないだろうけど。あ、その行動は隙だらけよ?」
ハクエンが前のめりになった時、その喉笛が斬り裂かれた。声帯が斬られたのか、今度は声すら上げられないハクエン。思わず身をよじって倒れたハクエンの顔面を、リリアムが靴の踵で踏みつけた。
そして目にも止まらない速度でハクエンの目を突いて潰していた。声にならない悲鳴を上げるハクエン。
「どうやら取り込んだ魔獣たちも、自動的に守ってくれるわけではないみたいね? アルフィリース、好機ではなくて?」
「なんだか言いなりになるようでしゃくだけど、確かにそうね!」
アルフィリースが空に突き出した手をぐっと握ると、観客席にはどっと剣を手にした戦士たちが躍り出てきた。待機させておいたイェーガーの仲間たちに合図をした。その中には剣奴たちも混じっている。
彼らはリサのセンサーと目を覚ましたカサンドラの助言に基づいて、そっと魔獣の近くに身を隠した。そしてじっとアルフィリースたちの戦いの隙を待っていたのである。そして準備が終了したことを、ラインが剣で光を反射させたことでアルフィリースに知らせていた。
そしてアルフィリースの合図に従い、戦士たちは観客を人質に取る魔獣の排除を一斉に始めたのだ。ハクエンは何かが起こったことを察したが、声が出なくては命令も出せない。それよりもまずはリリアムから身を護ることで精一杯であった。
だがハクエンはそれでも比較的冷静だった。魔獣たちの悲鳴があがっていることから確かに人質はいなくなった可能性があるが、形勢が不利になっただけであるとわかっている。一度ここは撤退し、体勢を立て直してじっくりと再度攻めたてればよい。せっかく自由になったのだから、ここで無理をする必要はない。そう、あの人間の言うことなど聞く必要はないのだ。
ハクエンには二つ誤算があった。一つは、人質が無効になったことで闘技場内にいた他の人物が乱入することを想定していなかったこと。その人物はハクエンの予想より早く、すぐに動いた。後ろに下がろうとしたハクエンの背後から斬り下ろし、深手を与えることに成功したのはゼムスだった。
「見事な戦い。私も参加させてもらえるか?」
「ゼムス!」
フォスティナが思わず叫んだ名前を、闘技場の観客は聞き逃さなかった。勇者ゼムスがこの場にいる。その事実は、観客たちに大きな希望を与えていた。あっという間にさざ波のようにざわめきが広がり大きな歓声となったが、リリアムはそれを苦々しく見ていた。
なぜなら、リリアムの考えではハクエンを一度撤退させるつもりだった。そして自警団の総力、あるいはアルネリアなどのそれ以上の戦力を集めたうえで、被害の出にくい土地に誘導して叩くつもりでいたからだ。これほどの魔王が相手なら、追い込むことでどんな底力を発揮するかわかったものではない。それがゼムスが背後からハクエンを斬りつけたせいで、ハクエンの撤退路を塞ぐ形になっていた。
「チ・・・余計なことを」
それに、ゼムスのこと自体も気に入らない。先の会合での情報もあるし、それ以外にもこの男がターラムに現れたという噂を聞くたび、よからぬ事件が起きている気がする。それらに関わっているのではと常にリリアムは疑っているのだが、何も証拠が出ないのだ。それに魔王とはいえ、背後から斬りつけた。仮にも勇者を名乗り今も観衆の歓声に応える者が、そのような戦い方でよいのかと疑問を覚える。
そんな折、ゼムスとアルフィリースの視線がふと交錯した。アルフィリースはその時ゼムスの名を初めて知ったのだが、やはり何か運命めいたものを感じずにはいられなかった。そして互いに一歩歩み寄ろうとして、突然ゼムスに襲い掛かる者がいた。
続く
次回投稿は、5/4(水)22:00です。連日投稿です。