快楽の街、その85~ターラムでの闘技場にて⑲~
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アルフィリースとリリアム、それに女審判は同時に闘技場の入り口に目をやった。闘技場の入り口は三方向。対戦相手どうしが出てくるための通路が2つと、それ以外の大型の荷物や出し物を行うための大きな搬入口が1つ。だがそれらは闘技の間は閉じており、大きな搬入口は魔獣などの出し入れも行うため、念のため魔術処理を施した頑丈な鉄柵でできている。
その鉄柵に、大きな衝撃が走った。まず気付いたのは、搬入口に近い観客たち。大きな衝撃が彼らにも伝わると、歓声が少し収まる。そしてリリアムとアルフィリースの視線がそちらに集まるに従い、他の観衆たちの注目もそちらに集まった。そして、二度目、三度目と衝撃が続くと、魔獣の群れの攻撃にすら耐えるはずの鉄柵が突如として吹っ飛んだ。鉄柵そのものは耐えることができても、支えている壁の方が持たなかったのだ。そこから出てきたのは、大型の猿のような魔獣。
だがターラムの観衆たちは動じない。これもまた闘技の出し物なのかと、一層盛り上がった。それが一瞬で変わったのは、猿の全身が明らかになった時だった。形の上では確かに猿である。だがその体表は毛皮ではなく、他の魔獣の頭で覆われていた。山羊、猫、猪といった様々な種類の動物や魔獣の姿が、その体表に見えた。共通するのは苦悶の表情。怨嗟の声を上げるそれらの姿を見ると、観衆は一斉に悲鳴を上げて逃げ出そうとした。
だがその直後、破いた鉄柵を観客の脱出路に向けて投げつける大猿。鉄柵に貫かれて、何人かがひしゃげて死んだ。さらなら悲鳴と共に観衆は混乱に陥ったが、低くて禍々しい声が大猿から響くと全員が一斉にそちらに注目したのである。
「動くな」
「この魔獣――しゃべる!?」
アルフィリースも驚いた。明らかに風体からは魔王だと判断でき、魔王が会話をする例は既にギルドにも何例も報告が来ている。問題はこの猿型の魔王の会話が非常に流暢だったことだ。
「これは闘技だ、人間ども。観客がいなくなってはつまらないよなぁ? お前たちが俺達に曲芸をさせたように、今度は俺たちが闘技をお前達に見せてやろう。なに、悪いようにはしないさ。
これは賭けだ。この女たちが俺に勝ったら、全員無事にここから解放される。もし俺が勝ったら、俺はこの女たちを嬲り者にする。そうだな、人間の言葉で『まな板』とかなんとか言ったか? お前達も参加してもいいぞ? どうだ、悪い話ではあるまい。大人しく観衆を務めるなら、お前たち観客には手出しはしないと約束しよう」
「まな板――なんて?」
「なるほど、あれは大猿のハクエンか」
リリアムが慎重な面持ちで呟いたのを、アルフィリースは聞き逃さなかった。
「表では賢い猿として、闘技や演舞の前に見世物として出している猿だ。だが裏では非常に下衆な使い方をしていてな。裏闘技場で女闘技者が負けると、どうなるか知っているな?」
「――そうね、一応は」
「全部が全部そうではないが――負けた時にそういう条件を付けると、勝利した時の金額が跳ね上がる。そのせいでいまだにそういった勝負に挑む女闘技者がいるんだが、その際の趣向もだいたいこのターラムは出しつくしていてな。ある時から普通では面白くないと言って、人間以外を使用するようになった。ハクエンはその常連だ」
「・・・ちょっと待って、それって」
「最低の話だ。あの大猿は、人間の女を嬲り慣れているんだよ。だがあそこまで躾けるのに、相当無茶をしたと聞いた。よほど人間を恨んでいたんだろうな」
リリアムの言葉が真実かどうかはさておき、間違いないのは敵意むき出しの魔王が目の前にいること。しかも、相当知恵が回ることだ。ギルドの報告では、知恵の高い個体程強力であったと言われている。この魔王が並ではないことは、容易に想像がついた。
そしてその事実を証明するように、ハクエンはその辺にあった武器をたてかけている木材を引きちぎると、闘技者用の入り口に向けて投げつけて通用路から逃げにくいようにした。そして高らかに宣言するのである。
「これから先、この闘技に乱入するのを禁止する! もし約束を破れば、俺の配下が見境なく観客を襲うぞ!」
ハクエンが叫ぶと、なんと魔獣や魔王など異形の者がぞろぞろと観客用の通用口から出てきて、観客席に登っていくではないか。リリアムは舌打ちした。観客を人質に取られては真っ向勝負を挑む以外なくなるではないか。しかも、手元には木剣の類しかない。
カサンドラの目が覚めれば放っておいても動くだろうが、それにしても大ごとになってしまった。これから先どうするべきかリリアムは頭を働かせたが、アルフィリースの言葉で我に返った。
「まずは共闘、ってことでいいかしら?」
「・・・それは仕方ないわね。自警団の長として、これを看過するわけにはいかないわ」
「あちゃあ、冷静に戻ったわね。いい具合に頭に血を登らせたと思ったんだけどな」
「ふん、焦っていたんじゃないの?」
「いやあ、あの状態の方が隙は多かったと思うんだけどな」
「それにしても、やり方というものがあるでしょう? もう少しで本当に殺すところだったわ。どうして私の過去を知っているのか、後で聞かせてもらいましょうか?」
「お互いに生きてたらね」
アルフィリースが顎で指した先には、さらに魔獣や異形の群れが続いた。どうやらハクエンは自分だけで戦うつもりはないらしい。それにしても魔獣の数が多くないか。直近では魔獣を使った演舞や出し物はないはずなので、リリアムはやや合点がいかなかった。
ハクエンがにやつきながら舌なめずりする。
「こいつらはもう闘技場内に準備していたからな。卑怯だとか言うなよ?」
「言っても聞く気がないくせに」
「まったくだ。そこまで性悪く育つとはな、調教していた奴はクビにしておこう」
「はっはっは! 面白いことを言う連中だな」
「そうですか? 私には笑うところがわかりませんが」
ハクエンのさらに背後から声がした。そして塞いだはずの扉が吹き飛ぶと同時に、何体かの魔獣の首が飛んだ。ハクエンの背後から現れたその女はつかつかと闘技場内に入ると、踏み込んで魔獣たちを飛びこし、ハクエンに一撃を入れながら、アルフィリースとリリアムの前に降り立った。
続く
次回投稿は、5/1(日)23:00です。夜投稿に戻ります。