快楽の街、その74~ターラムでの闘技場にて⑩~
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「団長、愚問かもしれないが」
「何かしら、セイト」
試合前、会場に向かう前のセイトがアルフィリースを捕まえて問いかけていた。その瞳はあくまで穏やかで、アルフィリースに対する敵愾心も、あるいは戦いの前の余計な高揚もまるで見られなかった。
アルフィリースはやはりセイトを選んだことは正解だと改めて思う。だが当のセイトはそうでもなさそうだった。
「俺でよかったのか? ヤオや、ニアの方が向いているような気がするのだが」
「勝ちにいくだけならそうかもね。私は、それ以上を求めているつもりよ」
「? 言っている意味がよくわからないのだが」
「戦えばわかるわ。それより、相手は強敵よ。表舞台の闘技者じゃないわ。情報が必要かしら?」
「いや、いらない。戦場では相手の情報がある方が少ない。その場で臨機応変に対応するさ」
「頼もしいわね」
アルフィリースはにこりとすると、セイトを見送った。セイトもまた、余計なことを聞かなかった。上官に対し従順と言えば従順にするのが軍人の務めと思っているが、アルフィリースはそれだけではなく、何かしらの意図をもって行動する指揮官だとセイトは思っている。その意図がわからずとも、彼女の描いた絵を完成させる手伝いができるのは、一種の高揚感に包まれるとセイトは実感していた。尊敬できるかどうかはまだわからないが、彼女の案に乗るのは悪くないと思っている。
またセイトは自分の力を振るうことを、あまり躊躇わないようになっていた。力を行使するのは、力ある者の義務だとわかっている。自分で力の振るい方さえ間違えなければ、おかしな結果にはならないのではないかと、セイト自身も信じ始めていた。そして、この力をもっと磨いて高めてみたいとも。
セイトは闘技場に歩み始めた。グルーザルドの軍人として本来ならこんな場所に登ることは許されないのかもしれないが、今はどうとでも言い訳ができる気がしていた。そのうち、これも笑い話になるかもしれないなどと考えながら。そして闘技場の上で対峙した相手は、なんと獣人だったのだ。左目が傷で潰れている白い毛並みのオオカミ。それがセイトの相手だった。
セイトよりも二回りほど大きな獣人は、セイトを見ると一瞬面喰ったようだが、その次に凶暴に笑っていた。
「ほう、そっちにも獣人がいるのか。しかも同種。イェーガーってのは多才な傭兵団だなぁ、オイ?」
「それはこちらの台詞だ、まさか闘技者に獣人がいるとはな。博打で身ぐるみでもはがされたか?」
「ハッ! おもしれえ冗談だ。おりゃあ好きでやってるんだよ。世の中金さ。金、金、金! これに勝るものはねぇ。お前もグルーザルドなんてチンケな国なんざ辞めて、こっちにこねぇか? 金さえあれば好きな食い物も、良い女も抱き放題だ。いいもんだぜ。南の戦地に駆り出されることも、馬鹿みてぇに訓練に明け暮れる必要もねぇ」
「・・・獣人としての誇りはどうした?」
セイトがやや苛立ちを隠さずに問いかけると、相手は吐き捨てるように言ったのだ。
「んなもん、とうに捨ててらぁ。誇りじゃあ何にもできねぇよ!」
「なるほど、よくわかった。同種のよしみも、獣人のよしみすら必要なさそうだな。俺はセイト。ぶちのめす前に、お前の名を聞いておこう」
「ケイマンだ。そうおっかねぇ顔をしないで、お手柔らかに頼まぁ」
「戦いの前の私語は慎んで!」
審判に止められて、ケイマンはニヤつきながらわかりましたとばかりに手をあげていた。そのふざけた様子に一層セイトは苛立ったが、ここでアルフィリースの言葉の意味がセイトにも理解されていた。
「(なるほど、わかったぞ団長? これは確かに俺が戦うべき相手かもしれないな。そして軽い口調とは裏腹に、手加減できそうもないほど強そうだ。団長も人が悪い。これでは人前で全力を出さざるを得ないじゃないか)」
セイトは困ったように、そして楽しそうに笑うと、開始の合図と共に全力で踏み込んでいた。20歩分はある距離を2歩で詰めると同時に、捻り込んだ正拳を相手のみぞおちめがけて放っていた。
「おおっ!?」
観客とケイマンの反応は同じであったが、観客が何も見えていないのに対し、ケイマンは実にあっさりと体を捻って拳を逸らし、同時にセイトの体勢を崩そうと側面に回り込んでいた。足払いで崩したところに飛んでくる裏拳をセイトは前方に回転しながら避け、代わりに蹴りを置いてきた。だが、その前に逆にどてっぱらに一撃をもらい、蹴りは空を切っていた。
幸いにしてあまり痛手は負わなかったが、相手の力量はよくわかった。好勝負の予感に、観客が一層盛り上がる。
「危ねぇな! 思わず素手で反撃しちまったじゃねぇか!」
「何で反撃するつもりだったんだ?」
「そりゃあ、これよ!」
ケイマンは後ろ手にヌンチャクを取り出していた。ただし、大きさは獣人用に調整してあるが。ヌンチャクを振り回す動作を見て、セイトの額に青筋が走る。血が沸き立つのを、セイトは自分で感じ取っていた。
「貴様・・・自らの牙と爪を捨てて武器を取るとは、そこまで落ちたか!」
「それもこっちの好きにやらせてもらうぜ! 俺はグルーザルドの軍人じゃねぇからな!」
ケイマンが舌なめずりをしながら突撃してくる。その一撃をセイトは防御もせずに受けようとした。それだけ腹が立っていたのだ。もらい際、一撃を返そうとしたその時、予想外の衝撃がセイトのこめかみに響いていた。何事か理解できず、セイトの意識が瞬間空白になる。
ほんの一瞬。だが速度を信条とする種族の一つである獣人どうしでは命取りとなる。ケイマンの全力の中段蹴りがセイトのどてっ腹に命中していた。
続く
次回投稿は、4/9(土)11:00です。