快楽の街、その73~ターラムでの闘技場にて⑨~
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ルナティカは闘技場内を巡回していた。さしたるあてがあるわけでもないが、闘技場内に怪しい点があれば、警備に見咎められない程度に調べていた。一見無駄かとも思われる行為だが、アルフィリースの表情が思い出される。アルフィリース自身もやや困ったような、だが何かが気になるような表情。ああいった表情をアルフィリースがするときは、彼女自身の直感が働いているとルナティカは理解していた。
アルフィリース自身、中にとんでもない何かを内包していることをルナティカも気付いているが、あの表情はアルフィリース本人の直感だと判断している。そしてその直感は、信じるに足るものだとも。
ルナティカは油断なく会場内を見回っていた。そして人気のない場所に来たところで、一人部屋から出てきた人物を見かけていた。ルナティカが記憶を辿ると、あそこには魔獣が保管されるはずの場所だ。見張りがいないことに気付いたルナティカは、そっと近づいた。足音と気配はそもそも消してあるから、まだ気づかれていないはずだ。そして部屋の入り口からそっと中をのぞこうとして、背後から話しかけられた。
「覗かない方がいいわよ」
ルナティカは反射的に無言で攻撃を仕掛けていた。全く気配のない近づき方を自分にできる者が、普通の人間であるはずがない。ルナティカは全力で攻撃を仕掛けていたが、半ば予想した通り攻撃はあっさりと受け止められていた。
「鋭くなったじゃない。これならアルマスに帰ってきても、即番号付ね」
「お前・・・!」
ルナティカの攻撃を受け止めた者は女性の声だったが、後ろ手に拘束されたため顔が見えない。だがそれでいいかもしれない。殺せないのであれば、顔を見ない方がまだ生き延びられる可能性が高いかもしれないからだ。
だがそんなルナティカの内心を悟ったのか、相手はあっさりとルナティカを突き飛ばして距離を取った。ルナティカが振り返ると、相手は顔も隠さずルナティカを見据えていた。
「安心なさい、ウィスパーからは貴女を始末するような命令は出ていないわ。いいえ、むしろ逆ね。貴女を殺さない方がいいみたい」
「どういうこと?」
「さあ? 私には興味がないし、知らない方がいいことだと思うわ。私もまた駒なのだから。アルマスで長生きするなら、余計なことは知らない方が得だものね」
飄々と女が言ったせいで、ルナティカは逆に調子を崩した。アルマスにこんなにおしゃべりな者がいるとは思えなかった。
「何者」
「顔無し、と言えば噂くらいは聞いたことがあるかしら?」
「・・・3番のことか」
顔無しはにやりとした。どこか残念そうな、それでいて楽しそうな笑みである。
「私も噂に登るようではまだまだね。名もなき暗殺者がいいんだけどな」
「殺した後、どうやっても殺した人間が見つからないことから、変装の達人が3番以内にいるのではないかと言われていた。ついたあだ名が顔無し。それだけ」
「その通りよ。だから今はこの姿を見られようが何をしようが構わないの。次に会った時は完全に別人ですからね。それで今は別件で仕事に来ていてね。できれば邪魔をしないでいてくれれば助かるわ」
「私たちが仕事の対象じゃない?」
「それはどうかしら? 私もこの仕事の全容は知らなくてね。ただ、まだ仕事は終わっていないの。完了にはもう少しかかるわ。それまで少なくとも、私は直接貴女たちに手を出さない。そういう約束でどうかしら?」
「・・・」
ルナティカは考えた。自分一人でどうなる問題でもないかもしれないが、そもそも自分が勝てる相手でないことも明白だった。今は体勢を立て直すことが優先だろう。もっとも、次に会った時に顔無しをその人と認識できるかどうかは問題ではある。
だがルナティカは黙って頷くしかなかった。その返答に満足したのか、顔無しは笑顔で手を一つ叩いていた。
「では契約は完了ね。あ、もちろん破ったら相応の報復はさせていただきすから。あと、あそこの部屋には入らないように」
「なぜ」
「危ないからよ。さっき会ってわかったんだけど、私の計画には協力者がいるわ。でも、とっても危険ね。私もできれば関わりたくないもの。正直、私以上に得体のしれない相手よ」
「・・・何も知らない方がよいと?」
「知るべき時が来たら、向こうから現れるでしょう。全ての脅威を自ら排除すればよいというわけではないわ。私の助言が信じられないと言うなら、それもよいでしょう。でも、ほぼ確実に後悔すると思うわね」
「おしゃべりな奴は信じられない」
意外なことを聞いたとでもいうように、顔無しは両手を挙げた。
「私、変装は得意だけど別に人嫌いというわけではないわ。暗殺者だけど、別段人を殺すことに快感を覚えるわけではないし。仕事だからやっているだけで、人に親切にしたりもするし、穏やかに一日を過ごすこともあるのよ? 私たちをなんだと思っているのかしら」
「暗殺者がそれでいいのか」
「貴女だって友達がいるじゃない。暗殺者が殺しだけをする時代なんて、古臭いわよ。少なくとも、私はそう考えている。私が頂点だったら、もう少し緩やかな組織にするのですけどね。ウィスパーってば、ほら、残酷だから。それとも、全てを引き換えにしても成し遂げたい何かがあるのか。夢想家なのは間違いないけど、何かを恐れているのよ、あの人。恐れや怯えがある者が頂点にいると、虐殺を行うわ。
それより、もう行きなさいな。そしてこの場所は外して巡回なさい。他にも危ない連中は多いのよ。警戒するならそっちよ」
「誰かいるのか?」
「自分で探しなさいな、と言いたいけれどヒントをあげましょう。最上段、右隅の特別席。この連中には注意を払っておくことね。暴れるとしたら、彼らでしょうから」
その時、闘技場から歓声が沸き起こっていた。次の試合が始まるようだ。そして黙って顔無しは去っていった。アルマスでも伝説とされる3番以上の番号付。彼らを見てまだ生きているのは幸運と呼ぶべきか、あるいはさらなる災厄の前触れなのか、それはルナティカにもわからなかった。
続く
次回投稿は、4/7(木)11:00です。