快楽の街、その72~ターラムでの闘技場にて⑧~
部屋の中にいないレイヤーを探し、エルシアが外に出るとそこにはスキニースの姿があった。エルシアがむっとした顔で警戒する。
「何の用?」
「そう肩肘を張らないで。おめでとうを言いにきたのよ、若い才能にね」
スキニースはやや苦笑しながらもエルシアに握手を求めてきた。すると先ほどまで手のひらには何もなかったはずなのに、いつの間に一輪の白い花が握られていたのだ。
「これは?」
「奇術師ですから。私流のおめでとうよ」
「なんて言っていいのかわからないけど、その、ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして。それより、私より才能があるからこそ貴女に忠告したくてね」
スキニースは少しエルシアと距離を取ると、両手に木の釘を持っていた。数えて八つ。スキニースがエルシアの抜刀を促す。
「剣で捌けるかしら、これ?」
「・・・やってみて」
「じゃあ遠慮なく」
スキニースの投擲は早いが、何の変哲もない投擲であった。右、次は左。4射ずつ投げられた武器を、あっさりと叩き落とすエルシア。
だが。
「・・・これがどうしたって?」
「胸を見なさい」
「?」
エルシアが自分の胸元を見ると、心臓の位置に一つ当たっていた。八つ、確かに叩き落としたはずなのに。スキニースが笑う。
「これで溜飲が少しは下がったわ」
「どういうこと?」
「あなた、まじめすぎるのよ。確かに才能はあるわ、私なんかよりはるかにね。でも殺し合いは何でもあり。一つ間違えば才能の有無に寄らずそれでおしまいよ。驕らないこと、そして汚い方法に屈しないこと。よく覚えておきなさい」
「・・・忠告どうも」
エルシアは何事かを言い返そうとして、やめた。スキニースの言うことがもっともであることは、エルシアにもよくわかる。先ほどの戦いでこの手法を使われていたら、負けていたのはエルシアだったろう。スキニースに技術を発揮させなかったのは、エルシアが上手くもあったことも事実だが、あれ以外の戦いの流れで勝てただろうかとエルシアは考える。
そしてスキニースもそれきりエルシアの方を見なかったが、これきりもう虚は付けないかもしれないと考えていた。純粋に剣の才能だけでなく、戦いの才能が少女にはあると感じていた。もし彼女をやりこめられるとしたら、これが最後かもしれないと考えていたのだ。
そしてふとスキニースは考えた。自分がもし本気で戦士として研鑽を積んでいたら、どのくらいだったのだろうと。そしてその考えを少し突き詰めようとして、馬鹿らしくなった。そうならなかった人生において、『もし』などということは役に立たない。『もし』の人生なんて、年老いて体がろくに動かなくなってから考えればいいのだと。それよりも、今は明日からの飯の種の心配をしなければならなかったのである。
***
第三試合の前に、少し休憩が設けられた。これからは男子の闘技者が戦うため、闘技場の周囲の武器にも重量級の得物が配置されている。そのほとんどは演出なのだが、そういった演出も闘技場には必要だった。
その間に、動く者がいた。闘技場の裏には様々な物が準備されている。傷ついた闘技者を収容するための医療施設、闘技者や観客が食べるために準備された大量の食糧。さらには武器や防具、それらを修理するための鍛冶屋など。その中に、闘技に使われる魔獣や獣を収容する場所もある。最近では残酷になるからとあまり回数は増えていないが、人と魔獣が戦うのはいまだに裏闘技では人気の出し物だった。
魔獣は厳重に物理的な檻の中に捕えられ、さらに何重にも魔術をかけられ封印されており、その分人的な警護はやや緩くなっていた。今日も警護の者が4名交代で行うことになっていたが、彼らの姿は既になくなっていた。全員が、休憩室で深い眠りに落ちている。そして魔獣の檻の前に堂々と立つ人物が一人。
その人物は魔獣の檻の前に立つと、まるで物色でもするかのように魔獣たちを観察していた。その視線が不快だったのか魔獣が威嚇しようと唸るが、その人物は一向に動じない。そして不用意に檻に近づいたその人物に魔獣が飛びかかろうとして、檻にぶつかる前に魔獣はびくりとしてその動きを止めていた。そして急に背中を丸めて大人しくなり、その人物に怯え始めた。そしてその怯えるさまを観察している時、もう一人の人物が入ってきたのだ。
「お楽しみの最中に、お邪魔かしら?」
「――」
「しょうがないでしょう、闘技が終わった後もあれこれあるのよ。それよりはい、これが注文の品ね」
「――?」
「やり方はあなたに任せるわ。そのように上からも言われているしね。これの効果を大勢に見せるのが、依頼主の目的。それでも被害が出れば、一気に反論が強まるでしょう。だから、ここなの」
「――」
「ご心配なく、成果についてはこちらで見届け判断するわ。報酬はギルド経由で振り込んでおくわ。それより、誰にも見られてないでしょうね?」
「――」
「そう、ならいいわ。では私は戻るから、後をお願いね」
そして後から入ってきた人物は手の中の小瓶を渡すと、その場を去っていった。受け取った人物は小瓶の中身が液体であることを確認すると、その青い美しさにしばらく小瓶を回しながら観察していた。そして少し考えた後、指を鳴らすと、先ほどまで怯えていた魔獣達のたちから、猿のような個体がふらふらとその場に進み出た。そして口を開けるように指示されると、檻の外からたらされた液体を口に入れ、檻の中に戻っていった。そしてしばらくすると檻の中でその魔獣はもがき苦しみ始めたが、騒がしくなる檻に対し、周囲の檻は怯えきっているように静かだった。
液体を垂らした人物は、魔獣が変容していく様子を興味深そうに、そして楽しそうに見守っていたのだった。
続く
次回投稿は、4/5(火)11:00です。