快楽の街、その70~ターラムでの闘技場にて⑥~
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エルシアは闘技場の上で相手と対峙していた。エルシアを見て驚く観客に声も、相手の名前ももう耳には入らない。ただ必要なのは、相手の能力のみ。
奇しくも、相手とエルシアは背格好まで似ていた。一見童顔だが化粧っ気があるところから年齢はそれなりか。美人、とは言えないのかもしれないが、化粧映えする顔や巻き毛がしっかりと整っているあたり、格好にはかなり気を使っていると思われる。やはり闘技場に出る女性として、見た目も重要ということであろう。見た目が美しければ、実力が伴わなくともそれなりに人気が出るのが実情だからだ。
エルシアの相手、スキニースは闘技場ではかなりの人気者だった。その戦い方は勝つにしろ負けるにしろ、見ている者を楽しませる。『奇術師』の異名をとる風変わりな戦闘方法は、勝つこととはどこか別のものと考えているように考えられ、どこにその本気があるのかも誰も知らなかった。今回スキニースに歓声を送る客も、彼女の勝ちというよりは面白い物見たさで応援をしているのだった。
スキニースも、普段は賭け金とは別のところで戦っている。闘技者は勝利に応じて報酬を得るが、それ以外にも当然裏取引が行われることがある。わざと負けたり、あるいは相手にむごい仕打ちをしたりと、様々な取引があるのだ。だが今回はそういった取引とは無縁で、雇い主は同じ闘技者のカサンドラだった。彼女からはただ一つ、本気を出せと命令されていた。スキニースはどうしようかと悩んだが、カサンドラは女性闘技者の中でも最も古参の者であり、その勢力や信頼度も絶大だ。後でカサンドラはともかく、その取り巻きや崇拝者に私刑されるのは御免だった。
こんなことになるなら、以前限定条件下での戦いでカサンドラを倒すなんてしなければよかったと、スキニースは控室で盛大にため息をついていた。高額な報酬と、柄にもなく名誉なんかに目が眩んだせいで、今苦労している。イェーガーなる相手の情報もないし、闘技場に上がって相手を見てからどのような戦いにするかと漫然と考えていたが、相手の顔を見て気が変わった。
相手は年端もいかない少女だったが、その目はまさに戦士の目に違いなかった。修羅場もくぐったことがあるだろうし、何より剣に人生を賭ける者の目だった。金で剣を握る、多くの闘技者とは違う。カサンドラに命じられるまでもなく、本気でいかねば足元をすくわれかねない相手であると、長年の経験が告げている。
やれやれ、今日は厄日だとスキニースは考えていた。自分がどれだけ強いかばれてしまえば、これからの対戦で相手を謀るのに差し支える。そろそろ引退時かとも考えながら、審判の注意事項を聞いていた。
「・・・では、この試合は点数制で行う。両者、異存はないですか?」
「もちろんないわ」
「あっても、今更でしょう? ああ、それよりも審判。目は良い方かしら?」
「? もちろん自信はそれなりにありますが」
先ほどとは人員が変わった女の審判は、首を傾げていた。スキニースは必要があれば審判にも『仕込み』を入れておくのだが、この審判は馴染みがなかった。点数制となれば、自分の本気の連続攻撃を全て見抜ける審判である必要があるからだ。必死で当てた攻撃が、見えない審判では試合も白ける。スキニースは闘技者である以上に、演出家として余念がなかった。
「ならしっかり見てくださいな。この試合は瞬きする暇もないかもしれませんから」
「なるほど、努力しましょう。こちらも専門家なものですから」
審判の言葉を聞いて、スキニースはとりあえず納得して位置についた。相手の少女、エルシアは細身の刺突剣を剣のように握っているところからも、あまり戦闘経験がなさそうだ。覚悟はあるが、経験が追いついていないというところか。スキニースのやることは決まった。
「それでは始め!」
審判の合図と共に、スキニースの外套がぶわりと舞い上がる。その刹那、エルシアはしゃがみこみ、直垂が体の前面を守っていた。その直垂に、何本の木製の釘が当たっていた。
勘の良い娘だと、スキニースは感心した。体に直接当たらない限り、確かにルール上点数にはならない。ならば盾でなくとも、外套や直垂のような布で守るのも可能となる。こうなると、威力のない投擲武器では有効点として認められない。ある程度重量があり、相手に当たったことが傍目にわかるだけの武器か、あるいは直接攻撃が必要となる。
スキニースは外套の内側に仕込んだ衣嚢から、次の武器を取り出していた。エルシアの顔色が変わる。
「何、その武器」
「東の大陸で主に使われるものだけど、スルチンというのよ。かつては戦場でも使われたものだわ。当たったら痛いから、上手く避けなさいよ?」
背丈の数倍の長さの紐の両端に、穴をあけた拳より少し大きい木製の球を括り付けてある。安全を考慮してそのような造りにしてあるが、遠心力を込めて殴られればそれなりに打撃を受けそうである。
エルシアは驚異の度合いをすぐに理解した。もし縄にからめとられれば、紐を切る手段がない状態では滅多打ちにされ、すぐに勝負が終わってしまう可能性があった。
エルシアはスキニースが武器を振り回し始めるや、すぐに間合いを詰めるために飛びこんでいった。その判断の早さに、スキニースがぞくりとする。
「その思い切りたるや、好ましいわねっ!」
「うっさい、年増!」
「と、年増――」
スキニースが一瞬怒りを覚える瞬間、エルシアが直垂の内に仕込んだ袋を投げつけた。中には石灰が込めてあり、思わず手で払ってしまったスキニースの視界が閉ざされる。
「くっ!?」
「余裕ぶっこいてるからだよ。くたばれ!」
エルシアが渾身の突きを繰り出す。エルシアは点数を稼ぐ気など毛頭ない。歴戦の相手を前に、そんな悠長なことをして勝てるなどとは全く考えていなかった。一つ勝てる可能性があるとしたら、一撃で相手を戦闘不能に追い込む、もしくはそれに準じる攻撃を加えて、その後連続で決めてしまうことだった。
エルシアが狙うのは、相手の喉元である。
「(突きの練習はしてきた・・・死なないでよ!)」
いくら木製とはいえ刺突を行えば相手を死に至らしめないとも限らない。エルシアが繰り出した突きは、練習で行うものよりもわずかにキレが鈍っていた。それでも目つぶしを行っているから決まると思っていたのは、エルシアの甘さと考えるべきか。
エルシアの突きは紐でからめとられ、刺突剣は一瞬で折られてしまった。スキニースは目を閉じたままだった。
続く
次回投稿は、4/1(金)12:00です。