快楽の街、その67~ターラムでの闘技場にて③~
まずハルピュイアの美しい羽を大きく広げただけでも、象徴的で衝撃的であった。加えて、エメラルドにはほとんど衣服が纏われていなかった。いや、それはあくまで市井にいる人間の発想であり、踊り子や娼婦の中では比較的一般的な――豊穣や美の妖精として演劇や壁画に描かれる『豊穣の美女』の姿に酷似していたのである。
違うのは、演劇や娼婦よりも露出がさらに多いことか。彼女の衣服は一つなぎの白い布によって胸から局部までを隠すものであり、それが首の後ろで止められている。そして腕輪と肩当てとは金の細い鎖で装飾されていた。美女揃いで後に有名になるイェーガーだが、肢体の美しさではエメラルドに適う者なしと全員が口を揃えて言うようになったのは、この時からと言われている。
観客が絶句したのはエメラルドがハルピュイアであることだけでなく、その美貌であるのも間違いなかった。対戦相手であるタタツィーネも思わず開いた口がふさがらず、あんぐりとしてエメラルドを見ていた。だが自分の武器が思わず手から離れそうになって、タタツィーネは我に返った。そして胸中に渦巻くのは、驚きと共に嫉妬ともなんともつかぬ感情である。自分のルールで行う闘技は絶対的に優位であり、恥辱と共に自分の技術に屈する相手を見るのがたまらなく快感であったというのに。その前提を覆されたのだ。まして、エメラルドが抜いた武器でぴたっとタタツィーネを指すと、観客は大いに湧いたではないか。その彼らに手を振って応える余裕も気に喰わない。
タタツィーネは肩を怒りで震わせながら武器を構えていた。その武器は身の丈よりもやや長いくらいの長棒。タタツィーネ得意の武器である。ラインがふむ、と感想を漏らす。
「棒術か。厄介だな」
「そうなのか? 戦場では滅多に見ないが」
ニアが興味深そうに見物している。ニアも色々な傭兵を見てきたが、棒術を武器として選択している者はほとんど見たことがない。だがラインはあっさりと否定した。
「正式な武芸を習う者は、一度は手にする武器だ。間合いと体捌きを覚えるのに最適だし、危険性が低いからな。それに警備兵や城門警護でも持っているのを見かけるだろう? 『倒す』のではなく、『制圧する』ための武器だからだ。利点は、手習いの段階から木製の武器を持つから、実戦でもそのままの感覚を持ち込めることだな。剣術ってのは、練習の段階ではどうしても刃を落としたものか、木剣でやりあうしかない。実戦では武器の重心が変わるから、使えなくなる技術もある。これは大きな違いだ。実際に戦場で有名な騎士や傭兵でも、棒術を使う訓練教官に適わないことはままある。
もっとも、戦場で使うとなると金属製の棒になるから、利点は消失する。重いし、振り回すと味方にもあたるからどうしても孤立して戦うことになることが多いし、集団戦術が主な戦争では向かないな。戦場で使うほどに棒術を昇華させている者は、数えるほどしか知らん」
「では、彼女は元騎士だと?」
「あんな破廉恥な格好した騎士なんざいるか。だが構えは様になっているな」
ラインの指摘通り、タタツィーネは騎士ではない。ただし、彼女の父は騎士だった。しかも、それなりに実力ある騎士であった。欠点は、あまり裕福でなかったことと、人が良すぎて他人の借金で身を持ち崩したことか。それが原因で自分までターラムの闘技場で借金を返す羽目になってしまった。そして気が付けば、こんな闘技をする始末である。だが純粋な剣技を習う前に家族と離れたタタツィーネには、他に方法がなかったのも事実だった。
幸いにして、彼女には美貌があった。闘技場の提案通りにしていれば、もうすぐ借金も完済できる。今回の報酬も驚くほど高額で、しかも自分に有利な条件。タタツィーネは話をリリアムから持ち掛けられた時、躊躇いなく返事をしていた。
だが、目の前のエメラルドを見て、腹が立ったのはタタツィーネ自身にも意外だった。どうやら戦いを重ねるうち、自分なりに闘技者としての自負なる感覚が芽生えていたのかもしれない。タタツィーネは大きく息を吐くと、呼吸を整えエメラルドに対峙した。そして、目で闘技場にいる審判に開始の合図を促す。
「それでは・・・始め!」
審判の声と上げた腕を振り下ろすと同時に、タタツィーネは猛然と突進した。相手はハルピュイア。背中の羽の分だけ、躱すのは困難となるはずである。猛然と突き出される三段突きから開始される、変幻自在の棒術。だが――
「速いっ!」
「・・・確かに、思ったよりも良い攻撃だ。だが、一撃も当たらねぇとはな」
エメラルドは全ての攻撃をするりと避ける、もしくは払いのけていた。最初は剣を使っていたが、数合で読み切ったのか。あっという間に手甲や肩で受け流し始めたのである。相当な実力差がないとできない芸当あった。
ラインは唸り、アルフィリースが当然とばかりに、頷く。
「あれがエメラルドの実力ってことか?」
「あの子、ものすごく目が良いのよ。インパルスこそ内蔵する魔力の問題で数度しか振るえないけど、元の剣の実力は凄まじいわ」
「どのくらいだ。お前のことだから試したんだろ?」
「五本勝負したけど・・・勝ち目が全然見えないから、やめちゃった」
アルフィリースが悪戯っぽく出した舌に、多くの者が戦慄した。アルフィリースの現在の実力は推して知るべきだ。それを簡単に制圧するエメラルドの力量。その底知れなさの一端が、目の前で繰り広げられていた。
観客の歓声に、アルフィリースたちの視線が一斉に戦いに戻される。
「そんな・・・ばかなっ!?」
エメラルドはタタツィーネの棒を指先でつまんでいた。どれだけタタツィーネが力を入れてもびくともしない。そしてエメラルドは首を傾げながら、タタツィーネに無邪気に問いかけていた。
「・・・おわり?」
その言葉に背筋がぞわりとしたタタツィーネは、後方に宙返りして、その場をとびずさった。闘技場の周囲には、武器が壊された時のことを考慮して予備の武器が置いてある。それを手に取ろうとしたのだが、タタツィーネが地面に着地した時、エメラルドの顔が正面にあった。そして、エメラルドが笑顔で告げたのだ。
「わたしの勝ち!」
「・・・は?」
タタツィーネが意味が解らないといった顔をした瞬間、彼女の胸当てと下半身の鎧がずり落ちた。皮の紐で固定されていた鎧だが、それらの紐をエメラルドが外してしまったのである。
タタツィーネのあられもない姿と、あまりの早業。その両方に観客の惜しみない歓声が贈られていた。
続く
次回投稿は、3/26(土)12:00です。