快楽の街、その65~ターラムでの闘技場にて①~
目を丸くしたのは、ラインだけではない。傭兵団は全員が例外なく驚いていたし、そしてその後に来る感情の波も、呼ばれた者たちによってそれぞれ違っていた。何も考えていないかのようにきょとんとするエメラルド、事実を認識できず口をあんぐりと開けたままのエルシア、静かに闘志を滾らせているのかどうかもわからないセイト、そして苦い顔をするヴェン。アルフィリース自身は彼らの表情を飄々と眺めるのみである。
そして口を真っ先に開いたのは、やはりと言っていいのかエルシアであった。
「アルフィリース!」
「『団長』をつけなさい、エルシア。年長をひけらかすつもりはないけど、今は傭兵団としての活動中よ」
「団長、納得できません! どうして私がこんな大切な場面で指名されるんですか? 戦うならニアやヤオだっているじゃないですか!」
「対戦相手の情報を私が事前に調べておいたの。その上で、最適と考えられる者を選抜したわ。エルシアの相手は、おそらくニアやヤオよりもエルシアが向いている。それだけのことよ」
「な、なんで――」
エルシアは困惑が隠せなかった。確かに戦争で名をあげたいとは考えていた。だが前回の戦いで力不足を痛感したエルシアは、地味な訓練を淡々と継続していた。そして初めて分かる、自分の力のなさ。自分でもなんとかなると思っていた人間たちの、なんと強いことか。そして、相手を傷つけることへの抵抗感。ましてそれが戦場ともなれば、精神にかかる負担は尋常ではなかろうことをエルシアは感じ始めていた。レイヤーが戦おうとしないことを、おおっぴらに非難はできないかもしれないとエルシアは考え始めていた矢先だった。まさか、そのタイミングで戦いの出番が回ってくるとは、考えてもいなかった。
だが、困惑するエルシアをよそに、アルフィリースは戦いの手順を説明していった。
「この戦い、普通の闘技場とは違うそうよ」
「どういうことだ?」
「現在、ターラムの闘技場は二種類に分かれている。舞台、見世物としての要素の強い闘技と、本当に命を賭け合って戦う闘技。その二種類があるわ。今回私達が戦うのは、見世物としての性質が強い。もちろん、油断すれば本当に死ぬこともあるでしょうけどね」
「命を賭ける裏闘技は、一般には禁止されているそうです。盛り上がりはしますが、裏闘技で死ぬ人間を容易に補充できないというのが実情ですね。今では表向き、奴隷制度を取る国は減っていますから。
また強い闘技者には金持ちが賭けますが、彼らを育成するために資金を提供する人間もいます。それらが一晩でパアになるのを恐れる者は多いそうです」
リサの説明にアルフィリースが頷いた。
「そういうわけで、今回は見世物の要素が強い。ターラムの守り手を申し出た我々と禍根を残したくはないでしょうからね。そしてそのうえで、彼らの出場面々を予め調べたわ。今回は女が二人、男が二人とのこと。女闘技者で、かつ実力がある表向けの闘技者となると、出場する人間は限られてくる。
そして女性の団員が充実している私たちの戦力を考えると、男の闘技者で勝ち星が欲しいはず。昨日までの闘技場での演目を考え、出てくる相手をおおよそ絞って探りをいれた結果、対戦相手は事前にわかっているの。その必勝法を、これから教えるわ。名前を呼ばれた人は、耳を貸して」
「俺はいいのか、アルフィリース」
「ラインは今回出番無しよ。その方がよさそうなの」
アルフィリースは何やら出場予定の者にそっと耳打ちをしていた。闘技場が事前の見世物で盛り上がる中、アルフィリースたちの陣営は異常なまでに静かだった。
***
「皆様、お待たせいたしました! これより、本日最大の見世物をお出しいたします!」
周囲を階段状になった観客席に囲まれ、円形の闘技場の中心で司会者が熱弁を振るう。観客の盛り上がりは最高潮であり、足で地鳴りのように調子を取っていた。それらに乗せられるように、司会者の口調もさらに熱を帯びていく。
「本日最大の見世物は! この快楽と堕落の象徴であるターラムを守る最強の戦士たちと! 彼らにとってかわろうと申し出てきた愚かな者たちの戦いです! さあ、果たして勝つのはどちらなのか――」
「俺たち、悪者じゃねぇか」
「まあまあ。これだけ盛り上がった彼らに冷や水をぶっかけた時、どれだけ静かになるか楽しみではありませんか?」
「随分とひどい発言だ。だが、あちらには一緒に盛り上がっている者と、既に青くなっている者がいるのだがな?」
きわめて冷静なセイトが、顎でエメラルドとエルシアをさした。なるほど、エメラルドは司会者が盛り上げるのに合わせて、観客と一緒に拳を天に突きだしていた。そしてエルシアはその傍でガクガクと青くなっている。いつもの強気な表情と態度はどこへやら、リサが感知するに心臓は普段の倍ほども早くなっているだろうか。ゲイルが嫉妬と慰めをないまぜにした声掛けをしても、左耳から右耳へと声は虚しく通り過ぎるだけで、何も効果はなさそうだった。
さすがにみかねたリサが声をかけようとしたが、アルフィリースがそれを差し止めた。
「さすがにこの様子では厳しいのでは?」
「勝ち星は期待していないわ、度胸試しのつもりなの。むしろ、ここで思いっきり恥をかいてしまえば、下手に剣を握るのを止めるかもね」
「エルシアには才能があるのでは? 貴女も、ロゼッタもそう言っていたはずですが」
「才能があっても、戦場で死んでしまっては意味がないわ。剣を握った者が戦場に出続けて、どれほど生き残れると思う? 現在ギルドで活躍する傭兵の平均年齢、知っている?」
「いえ」
「20代前半だそうよ。まとまった金を手にして引退できれば万々歳。請け負う仕事にもよるでしょうけど、多くの者は体や精神に支障をきたして引退するか、死んでいくの。天才と言われてもてはやされた傭兵が死んでいく話なんて、吐いて捨てるほどあるでしょう?」
「それはごもっとも。でも妙にエルシアには優しくないですか?」
「ちょっとね」
実はエルシアとゲイルの扱いついては、レイヤーとの契約によるところが大きい。レイヤーは自分が汚れ仕事を引き受けることにより、自分が死んだ際にその溜めた報酬を二人に分配するように申し出ている。また、ゲイルとエルシアの意向にもよるが、男であるゲイルはともかくとして、エルシアにはできる限り戦場に出てほしくないというのがレイヤーの希望だった。レイヤーがアルフィリースに申し出たのは、二人が戦場以外での生きる道を探すこと。そのためにできる限り、可能性を示すようにアルフィリースにはお願いをしていたのだった。
だがそんな彼らの心を知ってか知らずか、ゲイルは剣を振ることを好んで、そのほかのことはサボりがち。エルシアも最近では真面目に勉強をするようになったが、それらは全て戦うための基礎知識のようだ。これらの事情はアルフィリースとしては頭痛の種であり、ゲイルについてはロゼッタに一任したが、エルシアにはいっそ荒療治をしてみるかという気になったのである。
そして、あえてアルフィリースはエルシアを無視して、エメラルドに話しかけた。そのエメラルドは頭からすっぽりとローブをかぶり、目を輝かせて闘技場の方を見ていたのである。
続く
次回投稿は、3/22(火)12:00です。