快楽の街、その61~追い詰める者、追い詰められる者③~
「仇だ」
「仇?」
「私の母の、仇だ」
ヒドゥンの言葉に一瞬どう応えるべきかドゥームも悩んだが、口をついて出た言葉は思ったよりもまっとうであった。
「意外と情に厚いんだね、ヒドゥンは」
「あいつは、私の母を同族に加えなかった。なのに夜な夜な奴の相手をさせられた母は、弱り切って死んだのだ。不死者の相手など、並の人間に務まるはずもなかろうに!
何が高貴で最も誇り高い種族だ。奴などターラムの貧民街に巣くう下劣な男どもと、何が変わろうはずもない!」
「ははぁ、それで復讐をねぇ。もしかして、ここに住んでいたことがある?」
「一時期、身を隠すのにここに住んでいた。それ以前に、母はここの娼婦だった。私はその時の客との間にできたそうだ」
「あれ? でも、そうなると吸血種の王はヒドゥンのお父さんってわけじゃなくて、だけどヒドゥンは吸血種で・・・?」
ドゥームが口にした事実に気付くと、企み深い笑みを浮かべていた。だがしばらくするとその笑みは忍び笑いに変わり、やがて堪えきれなくなったかのように、ドゥームは大笑いをしていた。
「くく・・・くくくく。ひひっ・・・あーはっはっはっは!」
「何がおかしい!?」
当然のごとくヒドゥンが見咎めたが、ドゥームは一向にかまわず笑い転げていた。それもひと段落つくと、笑いすぎて流れた涙を拭いながら答えていた。
「やーめた」
「何?」
「あんた助けるの、やめとくよ。ヒドゥン」
しばしその言葉の意味がわからなかったヒドゥンだが、その言葉の意味を理解すると顔を一気に上気させた。
「貴様、約束が違うぞ!」
「約束? そんなものを結んだ証拠がどこにあるのさ? 証文でもある? ほらほら、証拠があるなら出してみなよ」
「なっ、なんだと!」
「甘いねぇ、ヒドゥン。僕が道理の通じる人間に見えるかい? まぁ、ほとんど人間じゃないけどもね。
別にヒドゥンで遊んでもよかったんだよ? 実際にその魔術を解除する方法に心当たりはあるし、僕の頼みを聞きながら右往左往するあんたは見ていて面白そうだ。だけどね、僕が何かしなくっても、あんたは十分運命に翻弄されているじゃないのさ。それならただあんたを遠くから眺めていればいいわけさ、それだけで十分に楽しめるんだから。わざわざあんたに割く労力がもったいないってね」
「貴様!」
ヒドゥンが構えたが、ドゥームはいち早くふわりと飛び上がってヒドゥンを見下ろす位置に立った。その笑みが邪悪な悪霊のそれになる。
「茶番、茶番なんだよヒドゥン! そこかしこに茶番ってのは溢れているよねぇ? 一儲けしようとして破産し、一家で心中する商人の転落人生。愛する人を奪われたと復讐に出て相手を殺したが、今度はその家族に殺される男の救いのない話。身分の違いを苦にせず貴族の娘と駆け落ちした青年が、何もできない女の我儘っぷりに飽きれて、やがて女をターラムに売り飛ばす冷えた愛の話。妻のために出稼ぎに街に出て一旗揚げて戻ってくると、女は自分の弟に寝取られていた間抜けな男。人間の世界ってのはどこにも喜劇があふれているんだ!
そいつらと比べてあんたはどう違う? 母の仇を討つとか言って、その実オーランゼブルへの他力本願。その助力を乞うために走狗に成り下がり、何万もの生贄を捧げるときた。そんな、くっだらねぇ理由で殺される人間たちのことを考えたら、笑いが止まらないと思わないか!?」
「貴様ぁ!」
「吠えるだけなら犬でもできるぜ! 狗に過ぎないあんたにゃお似合いだがね!」
「盛り上がっているところ悪いんだけど」
ヒドゥンとドゥームの言い合いに、突如加わる女の声。声のありかを辿ると、彼らをさらに見下ろす位置に汚い犬が立っていた。いや、ただの犬のはずがない。登る足場のない場所に登れる犬はいまい。それに、犬の目のぎらつきは狂犬のようにぎらつきながらも知性を宿していた。こんな眼光を野良犬がするはずがない。
ドゥームがしばし犬の品定めをするように目を細め、ふっと笑みをこぼした。
「何の用さ、カラミティ」
「よくわかるわね」
「腐臭を消しなよ。だから女の体ばかり乗っ取るんだろう? 化粧をしても違和感がないからね」
犬の目が驚きに開かれていた。だがやはり畜生であるからか、その感情はすぐに浮かんで消えていた。
「驚いたわ。ただの阿呆ではなかったのね」
「そりゃどうも。で、ターラムの本体がやられた間抜けが何の用?」
「・・・次に遭ったら覚えておくのね。出会い頭に十回は殺してあげるわ」
「もう会うことはないよ。僕は黒の魔術士を抜けるからね」
この発言にヒドゥンとカラミティの二人ともがぎょっとした。まさかここまではっきりとドゥームが言葉にするとは思わなかったからだ。思わずカラミティから殺気が漏れた。
「あなた、その言葉が意味することがわかっていて? 裏切りは死刑よ」
「あー。その調子だと、まだカラミティは精神束縛が解けていないんだね?」
「は? 何のこと?」
「ヒントをあげよう。これを見な」
ドゥームが懐から取り出した珠は、解珠であった。その球が輝くと、一瞬カラミティが呆けた後、我に返っていた。
続く
次回投稿は、3/14(月)13:00です。