快楽の街、その59~追い詰める者、追い詰められる者①~
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「くそっ、くそっ!」
ヒドゥンにしては珍しく、口汚い罵り言葉を上げながら闇の中を走っていた。吸血種は陽の当たる場所を避ける傾向にあるが、半分しか吸血種の血を引かないヒドゥンにはほとんど関係のない性質となっている。なのに人気のない場所を走るのは、もはや習性といってさしつかえない。
ヒドゥンはカラミティが追撃をしてこないことを半ば確信しながら、建物の中などを使い、すべるようにターラムを移動していた。また多くの者が知らないが、ターラムには巨大な地下水路がある。ターラムの街並みはおおよそ汚いものだが、それでも衛生面に配慮してこういった下水設備は整えられた。だがそれも増築、改修を繰り返したためその構造は迷路のようになり、アルネリアとは違って整備も監視もゆきとどいていないため、その不潔さは比較にならない。
まさに泥水にまみれてまでヒドゥンが逃げ延びるのは、ひとえに彼の復讐心ゆえである。
「ここまでオーランゼブルに取り入っていたのに! こんなところで!」
ヒドゥンが壁を叩く音が地下に響いた。汚物をあさる虫やネズミが驚いて逃げたが、ヒドゥンは意に介さず歯ぎしりをしていた。まさか人間相手に不覚を取るとは考えてもいなかったのだ。しかもカラミティに排除する対象として睨まれた。仮に自分がカラミティの立場だとしても、同じことを考えるだろう。もちろん、オーランゼブルも。
今現在の位置が把握されることや、今までに訪れた場所が判明することが問題なのではない。人間相手に致命的な間違いを犯したことそのものが問題なのだ。オーランゼブルに知られれば、排除されずとも、少なくとももう信頼は得られまい。ヒドゥンはここまで百年以上をかけて築いたものが音を立てて崩れていくような喪失感を覚えていた。
その折に、不意に後ろから声をかけられたのだ。
「どうしたのさ、兄弟子様。随分とゴキゲン斜めじゃないか」
「・・・ドゥームか?」
闇からすうっとドゥームが姿を現した。一瞬ヒドゥンは虚を突かれたようだったが、それでも弱みを見せる気はないらしい。すぐに感情をしまい込むと、何事もなかったかのようにドゥームに相対した。
「こんなところで何をしている?」
「それはこっちの台詞だよ。どうにも街の中は居心地が悪くてね。目的地に行く準備が整うまではこうしているわけさ。最後の調整と、後は日を選んだ方がいからね。援軍も必要になるだろうし」
「援軍?」
「こっちの話さ。それより僕は性質上こういう汚いところは平気だけど、人間なら鼻がひん曲がるほどの悪臭だよ? まして潔癖症の兄弟子様は、汚いのは苦手でしょ?」
「ふん、お前の知ったことではない」
「つれないなぁ。困っているなら力になるけど?」
「別に困ってなどいない」
「そう? でも随分と追い込まれているように見えるんだけどなぁ」
ヒドゥンはドゥームの勘の鋭さに舌打ちをしたかった。他の誰かならいざ知らず、この男にだけは弱みを握られたくなかった。だがこのままではカラミティの言う通り、処分の対象となってもやむをえない。その点、この男は自分の弱みを握ったとなら、他の者には漏らさないだろう。そんなことをすれば自分の優位性がなくなるからだ。
ヒドゥンは考えた。もしドゥームが自分を必要以上に脅迫することがあれば、その時こそ消してしまえばよいのだと。ヒドゥンは一種の賭けだとは思ったが、ドゥームに今おかれている立場を説明した。
ドゥームこそ最初は目を丸くして聞いていたが、ヒドゥンが思ったよりも、いや、意外にも真摯に相談に応じたのだ。
「そりゃあ困ったねぇ・・・僕も魔術を扱うとはいえ、本格的な魔術士ってわけじゃないからね。指摘されれば魔術にかけられているのはわかるけど、解除の方法はわからないや」
「そうか。だがその点に関してはあまり期待していない。問題は、魔術を解除できる人物に心当たりがあるかどうかだ」
「それも難しいね。そもそも人間の相手に知り合いがいない――こともないけど、魔術とは縁がなさそうだんもんなぁ。こういう時にアノーマリーがいればね」
「奴は魔術に長けていたのか?」
「みたいだよ? 面倒だから使わないってだけで、現存するほとんど全ての魔術に関する造詣があったみたい。一般教養の範囲だとか言っていたから、使えるかどうかはさておき、解除の方法はわかったかもね」
「やはり奴は死んだのか・・・」
「把握していないの?」
ドゥームが驚いたような顔をしていたが、ヒドゥンもしっくりいかない表情だった。
「私も詳しいことは知らん。他の面々は私が直接出向いてオーランゼブルに引き合わせた者が多いが、アノーマリーだけは自分から売り込んできたのだ。尖兵となる者を作るから、自分の研究に協力しろとな。
奴は異常者だったが、確かに奴のおかげで我々の計画は早まったし、円滑に進んでいる。それに奴の残した工房は、奴がいなくとも稼働するようにしてくれていた。聞き分けの良さは不気味だったが、その分我々も惜しまず協力したつもりだ。だがオーランゼブルはいずれ始末すべきだと考えていたようだがな。奴の研究は進歩が早すぎた。このままではきっとよからぬモノを生み出すだろうと言っていた」
「既に十分良くないモノを生んでいたじゃないか。でも彼の工房では、一斉にアノーマリーの分身が死んだようだよ。さすがに本体が死んだんじゃない?」
「お前、親しかったのか?」
「彼の死を悼むぐらいには。死んだ後に悪霊にして連れて行こうかと思ったけど、断られたよ」
「それはそうだ。誰も貴様の玩具にはなりたくなかろう」
ヒドゥンに言い切られて、ドゥームは肩をすくめていた。
「五位の悪霊ともなれば自由意志が手に入るから、いずれ勝手ができるのにね。もったいない」
「それよりも、何か良い案はないのか?」
「うーん、兄弟子様って確かスコナーとかに部下がいるんじゃなかった? 彼らを使ったら?」
「それも考えたが、魔術に詳しく、もっとも頼りになりそうな奴の居場所が知れるとまずい」
「呼び出したりとかもできない?」
「できんな。いつもは直接赴いていた。それにいたずらに奴らを失うわけにもいかん」
「部下思いだねぇ・・・あ、一人頼りになるのがいるかも」
「誰だ?」
ドゥームは仲良くなってきたオーランゼブルの近侍であるファーシルのことを思いついたが、それは伏せておいた。オーランゼブルに近侍がいることすら知られているかどうかすら怪しいものだが、ましてその者とドゥームが仲良くなることなど、知られては困るのだ。
ドゥームは名前を伏せたまま、ヒドゥンに協力を申し出た。
「それはお互い知られたくないこともあるでしょ? 詮索は無用だよ。用は魔術が解除できればいいはず」
「む、それはそうだが」
「だから僕がその人に魔術を解除できる方法があるかどうか、聞いてきてあげるよ。それでいいでしょ?」
「いいだろう。その代りに、お前は何を要求するのだ?」
ヒドゥンの言葉に、ドゥームはにたりとしていた。
続く
次回投稿は、3/10(木)13:00です。