快楽の街、その57~不吉の予兆①~
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「火事があったようだぞ」
「広がっているの?」
「いや、いくつかの建物を焼いて鎮火したらしい。もう昼だからな。火事があったのは早朝だ」
「そっかー。久しぶりにぐっすり寝ちゃったなぁ。やっぱ遅くまで起きてたからか」
アルフィリースが寝癖の直らぬ頭をばりばりとかきながら起きてきた。ラインは何か読み物をしながら黒豆湯を啜っていた。傭兵団の変わらぬ朝のはずだが、陽は既に高く昼前となっていた。
「そんなんで大丈夫か。今日の夜には代表戦だぞ。気付に何か用意させるか?」
「いえ、頭はすっきりしているの。むしろ体は絶好調よ。自分でも不思議なくらいにね」
「俺もだ。どうやらフォルミネーの歓待は本当の意味で一流だったようだな。昨日の酒にも食事にもおそらく活力が出るような何かが入っているんだろな。奴らは一流の薬師だ」
「そんな知識まであるなんてね。娼婦恐るべし」
「高級娼婦ともなると、あらゆる分野の人間の相手をすることがある。時に一流の教育を受けた貴族よりも、その知識は広い時がある。侮れない相手だぞ、仲良くしとくにこしたことはない」
「仲良くするのは趣味なんじゃないの?」
ラインはクルムスの娼館を思い出していたのだが、アルフィリースの疑惑の視線を、ラインはさらりと流した。
「誰だって美人は好きだ。頭が良くて色気があるならなおさらいいな、俺の好みだ」
「がさつですいませんね」
「誰もお前にそんなことを求めてねぇよ。色気がないのなんざ承知の上だ。だがそれでいいんだよ」
ラインの言葉の真意を掴みかねたアルフィリースだが、その目の前にラインが読んでいた広告が付きつけられる。アルフィリースがそれを手に取って読んだ。
「これは――私たちの試合じゃない!」
「その通りだ。一日で既にこの広告がそこら中にばらまかれている。行動の早いことだぜ、黒のリリアムは。この戦いを興業にして一儲けするつもりだ。それに俺たちが赤っ恥をかけば、二度とこの街で活動できなくなるだろう。どうやら自警団長を怒らせちまったかもな?」
「――このくらいの賭けは承知の上だわ。それくらいしないと、どのみち目的にはたどり着けないわけだし。逆に言えば、勝てばこの上ない宣伝になる」
「勝算はあるんだろうな? この広告によると、前二本は女子、その後男子で二本、最後は大将戦だ。この街の剣闘士、剣奴は一流ばかりだ。奴らが本気で勝ちに来たら、俺たちでも危ういぞ」
「ええ、面子は考えてあるわ。どんな戦いが行われるか、それに出てくる相手の情報もある程度把握してある。最も相性のよい相手をぶつけるつもりよ」
「俺の出番は?」
「副将で出てもらおうかと考えているのだけど」
「副将でいいのか? 俺なら多分リリアムが相手でも勝てる。むしろ俺以外にリリアムを倒すのは難しいんじゃないのか。誰をぶつけるんだ?」
「私がやるわ」
既に覚悟を決めた険しい表情のアルフィリースを見て、ラインは予想しつつも渋い顔をした。
「おいおい、大丈夫か? ロゼッタよりも相当強い相手だ。むしろうちの団内にあれほどの使い手はいない。俺でも相性の問題でどうにかなる程度の相手だぞ? 魔術をあてにしているなら、おそらく使う暇もない戦いになるだろう」
「いえ、勝算はないわけではないの。ただ――殺し合いになっちゃうかもしれないから、一か八かなんだけどね」
アルフィリースが悪戯っぽく笑ったが、ラインはしかめっ面のままだった。
「穏やかじゃないな」
「そうね。でも仮に全部私たちが勝利したとして、彼女が見たいのは私の器なんだろうと思う。私が彼女と直接戦わない限り、きっとこの戦いに本当の勝利はないわ」
「なるほど、その通りかもしれんな。まぁ骨くらいは拾ってやるよ」
「お願いするわ。だけどその前に、朝食の準備と、馬車の手配をお願いしたいのだけど」
「朝食と持ち運び用の軽食は準備させておいた。馬車も一台確保してあるから、お前は寝癖をなおしてこい。エクラにも先ぶれを出させてある」
「・・・私のやりたいこと、わかってた?」
アルフィリースの不思議そうな表情に、ラインは当然と言わんばかりに頷いた。
「そろそろ付き合いも長い、俺ならお前と同じ行動をとる。お前が行かなければ俺が行くだけの話だった。それだけだ」
「なるほど。では脈のありそうなギルド長から訪れるとしましょうか」
「朝のうちに彼らの仕事場、私邸の場所は抑えておいた。いつでも声をかけてくれ」
「助かるわ」
アルフィリースは礼を言うと、身だしなみを整えるために一度自分の部屋に戻るのであった。
***
マルドゥークを含めた神殿騎士は、失意のうちに宿に引き上げた。無駄足となったばかりか、自分たちの成果を横取りされたのだ。面目は丸つぶれとなった。だがマルドゥークやウルティナにしてみれば、それ以上に勇者の仲間であるダートやアナーセスの異常なまでの強さが衝撃的だった。あれほどの強さがあれば、対黒の魔術士の戦略がまるで変わってしまう可能性すらある。心強いと共に、手に余る連中ではないかと気付いたのだ。
彼らには、かの娼館で一夜を過ごした跡があった。女を抱いた後に漂う、独特の据えた匂いが漂ったからだ。となると、彼らはあそこを化け物の巣窟と知ったうえで、事に及んだことになる。ミリアザールがうかつに彼らを味方に引き込まなかった時、教会の中ではミリアザールの方針に疑問を抱く声もあったが、理由がよくわかってきた。下手をすると黒の魔術士などよりもよほど厄介な相手かもしれぬ。マルドゥークとウルティナは決して相容れないであろう、倫理観の破綻した相手のことを考えていた。
一方で、ジェイクは別のことを考えていた。ダートとアナーセスのことも衝撃的ではあったが、ジェイクは別の存在を感知していたからだ。魔物と勇者の仲間に気を取られる神殿騎士団の中で、おそらくただ一人ジェイクはそのことに気付いていた。神殿騎士団を取り巻くように、別の一団がさらに配置されていたと。それらは館の炎上とともに波のように引いた一団。強さのほどは不明だったが、訓練された一団であることは明らかであった。何者なのか。ジェイクには気になるところであったが、今はそれどころではないこともわかっていた。
そしてジェイクには気になることがさらにあった。虫たちが消えた頃からさらに募る焦燥感。もっとまずい何かが、この街にはまだ潜んでいると本能が告げているのだった。
ジェイクはたまらず立ち上がった。
続く
次回投稿は、3/6(日)13:00です。