快楽の街、その49~黄金の一夜⑥~
「ゲイル、顔が赤いわよ」
「う、うるせぇ」
「わかりやすいわねぇ。プリムゼに惚れちゃったの?」
「ちがわぁ! 俺は――」
「ロゼッタ一筋?」
「言葉尻を取るなぁ!」
「まぁ、仲がよろしいのね。でも、そんなエルシアさんこそ好きな人がいそう」
プリムゼの思わぬ突っ込みに、エルシアの目が丸くなる。
「は? 私にそんな相手――」
「そうかしら? エルシアさんの瞳は、恋する乙女の瞳に見えるんだけどなぁ。自分でも気づいていないなら、占って差し上げましょうか? 私、恋占いは得意ですから」
「ちょ、ちょっと待った! 私のことは言いからゲイルの相手をしてよ!」
「いいぜ、やろうやろう! ちょっとはこの生意気なエルシアに一泡吹かせて――」
「黙りなさい、ゲイル!」
「元気だなぁ」
ラインがげんなりするかのように、彼らに対する感想を述べた。確かに、夜も更けてしまっているにも関わらず、エルシアとゲイルの口論は止まるところを見せない。若さゆえの無謀と特権かもしれなかった。
そんな彼らに見ながらラーナも緊張がほぐれていた時、ラーナは視界に信じられない者を見た。ラーナのグラスを持つ手がカタカタと震えている。ラインが思わず見咎めた。
「ラーナ、どうした?」
「そんな、そんなまさか――あの人は?」
ラーナの視線の先にいた人物はプリムゼに歩みよると、その肩を叩いていた。
「プリムゼ、私のお客様は多少酔いがひどいようなので、さっぱりした飲み物を運んでほしいの。三階の琥珀の間よ」
「承知いたしました、お姉さま。その間、この場をお任せしてもよろしいですか?」
「まぁ、かわいらしいお客さんね。私にもそういえば――いえ、なんでもないわ」
プリムゼにお姉さまと呼ばれたからには、女性が娼婦であることは間違いない。少し年配の黒髪の女性は、片目にかかる長い髪をかきあげながら、取っ組み合いになっているゲイルとエルシアの間にするりと入った。
「夜も更けました。お若いお客様、そろそろ眠られてはいかが?」
「嫌よ、こいつに謝らせてから――」
「俺もこいつをぎゃふんと言わせてから――」
「お休みするのがようございますよ、お客様方」
その女性がゲイルとエルシアを見つめると、二人は突然取っ組み合いをやめ、大あくびを始めていた。
「・・・そうね、なんだか急に眠くなってしまったわ。なんでこんなことしてんだろ、馬鹿馬鹿しい」
「・・・俺も、さっさと寝ないとな。明日も仕事がある時に使い物にならないと困るしな」
「それがよろしいですよ。ルヴェール、お二方に寝床の案内をしてあげて」
「かしこまりました、ラニリお姉さま」
ルヴェールに促されるまま、ゲイルとエルシアは寝床に向かっていた。そんな風に二人をあしらった女性に、ラーナがつかつかと歩み寄る。その足取りはおぼつかなく、唇はガタガタと震えていた。
そして女性もラーナに気付くと顔を上げたが、ラーナを見るや否や、その顔面が蒼白になったのである。
「あらまだ起きているお客様が――え――まさか」
「・・・ラニリお母さん?」
ラーナもその女性ラニリも、思わず顔を見合わせて驚愕していた。ラインだけは状況が飲み込めず迎え酒を飲む手を止めていたが、その場にただならぬ空気が走ったことは理解できたのである。
***
同時刻。夜を知らぬ街とも言われるターラムは、街のどこかに行けば必ず何らかの店が開いている。もちろん住宅街もあるのでそちらは静かであるが、夜と昼の二つの顔をもつこの街では、必ずどこかで夜通し盛り上がる区画がある。
だがその夜を照らし出せば出すほどに、闇は深くなる。その闇の間を縫って走る者がいた。黒の魔術士の一人、ヒドゥン。ヒドゥンは灯りを避けるようにしてターラムの闇を進んだ。もちろん彼が目立たないようにしているものあるが、そもそも騒がしい場所が彼は好きではない。ターラムの闇を好んで一時期潜伏していた時期もあるが、光の当たる場所と闇が入り混じるこの街では闇すらも突然光にさらされることもあったため、ヒドゥンはやがてこの街を離れたのである。ただターラムが便利なこともあるため、時々はこの街を訪れて用事をこなすことはある。今日もそういった雑事の内の一つであった。
ヒドゥンがある建物の裏に入ると、音もなく壁を登っていった。一見何の変哲もない館だが、魔術でそこかしこに対策がなされた館は、登るだけでも身の危険が伴う。ヒドゥンはその館の壁を巧妙に登りきると、最も高い場所にある部屋の窓から中に侵入した。中には灯りはなかったが、人の気配はあった。寝ているのかと思いきや、その双眸が闇の中で突然ぎらりと光ったのだ。
「ヒドゥンじゃない。どうしたのかしら」
「起きていたのか、カラミティ」
「起きたのよ。侵入者避けの魔術が施された壁を登ってくれば、嫌でもわかるわ。そんなことができる人間は限られているもの」
ベッドからむくりと起きた影が灯りをともすと、ほとんど裸の女が姿を現した。その艶めかしい肢体が揺れる灯りに映し出され、思わずヒドゥンでさえも目を一瞬見張っていた。
その明らかに娼婦とわかる格好のカラミティが椅子に腰かけると、妖しく足を組んでヒドゥンを見つめていた。カラミティの運営する娼館は、黒の魔術士の資金源でもある。ヒドゥンが定期的にこの街を訪れるのは、資金源の確認をするためであった。とかく暴走しがちなカラミティに、全てを任せるつもりにはなれなかったのである。
だが館の主はカラミティに違いない。カラミティの館に土足で踏み入るのは、ヒドゥンといえど命がけであった。かといって、先ぶれを出しても無視されるだけだが。
続く
次回投稿は、2/19(金)15:00です。