快楽の街、その42~女剣奴③~
リリアムはいまだ椅子に腰深くかけたままだった。腰には剣を佩いているのがレイヤーには見えていたが、椅子の肘の部分が邪魔で使うことはできないだろうと予測を立てる。
レイヤーはゆっくりとリリアムの前に回り、その表情を見た。リリアムの表情は穏やかだが、何を考えているのかまではわからない。その様子が不気味というよりは、純然たる自信の表れにも見えた。レイヤーにはその姿が、気高く美しい黒い獣のように見えていた。
「何の用かしら? 淑女の部屋に夜分、許可もなく押し入るのは感心しないわ。それとも、夜這いの類かしら? かわいらしい顔はしているけど、数年早いかしらね?」
「・・・ターラム自警団長のリリアムで合ってる?」
「黒髪の女はターラムといえど、数少ないわ。その中で剣を使うのは私くらいかもね」
「答えになってないよ」
「そうね、私がリリアムよ。これでいいかしら、可愛い侵入者さん」
リリアムは小首をかしげるようにレイヤーに返事した。その態度はレイヤーを侮っているようでもあるが、隙は伺えなかった。
レイヤーは剣をずらりと抜き放つと、リリアムに突きつけた。それでもまだリリアムには余裕があった。
「物騒ね。金目のものはここにはないわよ?」
「物取りじゃないよ。明日、うちの団長とやるんだよね?」
「そう、イェーガーの面子なの。こういうことをする傭兵団なんだ?」
「違うよ、僕の独断さ」
一瞬強張りかけたリリアムの雰囲気がほどける。
「独断? なぜまた」
「貴女はかなり危険な相手と聞いたからね。万一にでも団長の身に危険があってはいけないのさ。だからこうして『話し合い』に来たんだ」
「話し合い? また物騒な話し合いもあったものね」
くすくすとリリアムが笑ったが、レイヤーは真顔だった。
「猛獣の檻に丸腰で入る馬鹿はいないだろ? これでようやく対等だよ」
「なるほど。見た目で私の性質を見抜いたと?」
「血の匂いが強すぎるよ。戦場が専門の傭兵でも、これほどの匂いはさせていない。同類から見ればわかるよ――僕とかね」
その瞬間レイヤーからぞわり、と殺気が立ち上った。先に手札を見せたのはレイヤーである。抜刀した状態で、至近距離から殺気をぶつける。およそ剣士なら反応せざるをえない状態であった。だがそれでもリリアムは動かない。
それどころかレイヤーのことを嘲笑したのだ。
「子供の虚勢に見えるわ。ここは空き地の高台じゃないのよ? 猿山の大将みたいな真似はおやめなさいな」
「挑発には乗らないと?」
「乗ってあげてもいいけど・・・猛獣と呼んだわね、私のことを。猛獣と遊ぶのは命がけよ?」
「婦女子の部屋に夜分忍び込むのも、命がけらしいね?」
レイヤーの言葉にリリアムはきょとんとした後、ぷっと噴き出した。腰を折って笑うリリアム。それが合図になった。
レイヤーの剣の切っ先が動いた、肩口にまっすぐ伸びたその剣は、椅子ごと飛びのいたリリアムに寄って躱される。重そうに見える椅子も、リリアムの鍛えられた脚力にはないも同然。負けじとレイヤーも踏み込むが、くるりと椅子ごと回ったリリアムは、背もたれの端でレイヤーの剣を受け流した。レイヤーが間髪入れずに椅子ごとリリアムを蹴飛ばすと、リリアムは扉まで吹き飛ばされた椅子と扉の両方に足をかけ、衝撃を完全に吸収していた。椅子が音もたてずにふわりと地面につき、そのままひらり、とリリアムがかろやか地面に着地する。
そして指を口にあて、茶目っ気ともとれる表情と共に言ったのだ。
「夜も更けたわ。お静かに、ね」
「・・・!」
途端、レイヤーの姿が消えた。音もなく部屋を駆け回りながら、リリアムの隙を伺う。リリアムも剣に手をかけたままレイヤーを待ち構えたが、なんとリリアムに隙がないのに気づくと、そのままレイヤーは窓から撤退したのだった。
リリアムは驚きと共にその見事な去り際を見つめ、小さくため息を吐くと椅子を元の位置に戻した。その時、カサンドラがばたばたと駆け込んでくる音が聞こえてきた。
「リリアム!」
「静かにしなさい、カサンドラ。夜はほとんど人がいないとはいえ、誰もいないわけではないのよ? 使用人達が起きてしまうわ。どうしたのよ、そんなに慌てて」
「アタシはそこで帰り道に襲われたんだ! 何とか退けることには成功したが、相当な腕前だぜ、ありゃあ。そっちは何もなかったか?」
「別に。子猫が迷いこんできたくらいよ」
「はあ?」
カサンドラは何のたとえかと思ったが、それよりも上機嫌そうなリリアムを見るのは珍しいこともあるものだと、不思議な気分になっていた。
そして当のリリアムは、確かに上機嫌だった。
「(威力偵察というところか。どこまで意図したかはともかく、良い手駒を持っているわ)」
リリアムは再度椅子に深く腰かけると、様子がわからず呆けているカサンドラを脇に捨て置き、再度物思いにふけっていた。だが今度は先ほどのような暗い思索ではなく、明日の試合に向けて心躍らせるように、気持ちが昂るのを抑えきれなかった。
そしてリリアムの館から脱出したレイヤーは、外でルナティカと合流していた。
「どう?」
「ルナか。まずそっちから報告してよ」
「暗殺の類は無理。野生の獣よりも鋭い女だった。ロゼッタが恐れるのも無理はない。姿を現してちょっかいをかけてみたけど、正面から狩るのは難しい」
「こっちも同じだよ。暗殺なんて、とても無理だ。それに――」
レイヤーはふとリリアムの印象を思い出した。カサンドラと一緒の時から追跡はしていたのだが、実際に相対するとよほどカサンドラよりも凶暴な獣を前にしたような印象を受けた。暗い部屋に横たわる、黒い巨大な獣。アノーマリーの工房で見た魔王よりも、ある意味では恐ろしい相手なのではないかと思ったのだ。
続く
次回投稿は、2/5(金)16:00です。