快楽の街、その41~女剣奴②~
ターラムに売り飛ばされてから、始めてリリアムは黒髪の人間が受ける扱いを知った。リリアムの他にも黒髪の人間は数名いたが、彼らはおよそ人間としての扱いを受けていなかった。リリアムは彼らの惨状を目の当たりにし、心底震えた。まして奴隷たちは彼女がターラムに売り飛ばされた理由をねじ曲がった形で聞かされていた。仲間殺し――奴隷ですらもっとも忌み嫌う行為だと思われている。このままでは自分の命は間もなくなくなるだろう。そのことが容易に予想できたリリアムは身を護る方法を必死に考え、結果として彼女の能力は日々磨かれていった。剣奴としての出場機会はまだなかったが、訓練だけでもいつ死んでもおかしくないだけの課題が与えられていた。
とにかく、リリアムは生き延びるだけで毎日が必死だった。自分でもなぜそこまで必死に生き延びるのかはわからなかったが、訓練に明け暮れる日々ではそんなことを考える時間すらなかった。あるいは、こんな生活に追いやられた理不尽に対する全力での抵抗だったのかもしれない。リリアムは時に自分に危害を加える者を、実力行使で排除した。最初は疎んじられた行為だが、リリアムがある日荷物持ちとして外出させられた時、病気に冒されて狂った野犬をあっさりと始末したのを見て、奴隷を鍛える訓練士はリリアムを規定年齢を満たす前に見世物として出すことを決定した。剣奴の中でも鼻つまみ者であるリリアムが稼げるならそれでよし、死ぬならそれはそれで構わないと踏んだのだった。
まっとうな剣奴なら、ある程度成長を待つ。そうでないと見世物にも迫力が出ないからだ。だが例外がある。処刑としての見世物なら、対象が儚く、無残に死ぬほどに見世物は盛り上がる。リリアムの初試合は、処刑としての見世物。相手は薬物で正気を失わされた森オオカミ4体であった。リリアム、当時10歳。異例の裏闘技場でのお披露目だった。
以後どうやって生き延びてきたか、リリアムはその詳細をすべて覚えている。生きる上で戦う技術が必要だったから、曖昧な記憶や技術、一瞬の隙が命取りになる。まずい点や隙があれば、次の試合までに克服せねば、死ぬのは自分となる。とにかく必死だった、それだけだった。戦いの記憶ばかりではも、思い出に浸るように反芻することで、身に沁みさせるように糧にした。リリアムは15歳までを戦い一色で過ごした。その頃には、裏闘技場に凄まじい使い手がいると、まことしやかに表の世界でも囁かれるまでに有名になっていた。
有名になると、裏闘技場とはいえリリアムが生き延びられるように配慮がなされた。相変わらず試合の設定は無茶苦茶だったが、観客を盛り上がらせながら生き延びるだけの力をリリアムは既に得ていた。その頃になるとリリアムは自分の身を買うのに必要な金額を稼ぐために、闘技場を主催する連中と交渉するだけの力と知恵を得ていた。当然稼ぎ頭であるリリアムをなんとか引き留めようと主催者側は画策したが、女としては憧れる――女剣奴としては邪魔なだけともいわれる美貌がリリアムにあったことも幸いした。彼女の試合は連日満員となり、リリアムが自分の身を買うだけの金をためるのは時間の問題だった。
さらに無茶な条件で組まされる試合、中には羞恥心をかなぐり捨てて戦わなければならないような試合までもを勝ち抜き、リリアムは自分の身を買い取った。さすがにこれだけの業績を打ち立てたリリアムを虐げるだけの度胸を持つ者は既に剣奴の中にはおらず、また訓練士達や主催者側の中にも彼女を一目置く者までいる始末だった。さしものリリアムも安堵した。だからだったのかもしれない、一瞬だけリリアムは緊張の糸を解いてしまった。リリアムにいてもらわなければ売り上げが落ちるだけの主催者達が、リリアムが解放されたことに対して祝いの席を設けるはずなどないことなど、ちょっと考えばわかることだったのだ。
何があったかは霞がかかったように思い出せない。今までの試合は全て覚えているほど記憶力の良いリリアムなのに、こればかりは本能が拒否していた。覚えているのは、オークよりも醜く欲望をむき出しにした男たちの顔。リリアムはその翌日、晴れて自由を勝ち取ったが、心には永久に消せない記憶と闇が残った。自分を売り払った両親たちへの恨みは、男たちへの恨みで上書きされて消え去った。だが、男たちを全員秘密裏に始末しても、リリアムの憎悪は消えなかった。
以後、リリアムは憎悪を持て余している。美しい黒髪だったが、男たちに嬲られた日以降、一度も伸ばしていない。そもそも黒髪であることでこのような人生になったのだから、黒い髪であることを恨んだが、どのような染料を使っても黒髪を染め直すことはできなかった。闘技場に入りびたり、ついにターラムで最強の一人であるカサンドラを打ち負かすに至ったが、それでもまるでリリアムの心は晴れなかった。
カサンドラを倒すことでターラムの自警団の長の地位を手に入れ、ターラムを守ることになったのは何とも皮肉である。だが、自分の手で理不尽な死を食い止めることは、それほど悪い気はしていなかった。これこそが自分のやるべき道なのかと、今では思える。こんな欲望まみれの街だから、規律を守ることが必要になるのだ。リリアムは自分を無理矢理納得させたが、それでは定期的に襲ってくるどうしようもない憎しみは何なのか。リリアムは自分がもう人間ではなく、もっと別の何かになったのかと疑っていた。あるいは、黒髪であったのだから、初めから人間の形をした別の何かであったのかもしれない。
先ほどカサンドラがキレるな、と言ったのは、そろそろリリアムが裏闘技場から卒業した日が近いからである。不意に襲いくる憎悪だが、一年のこの日ばかりは定期的に訪れる。この時に剣など握ろうものなら、下手をすると凄惨なことになる。以前ターラムで横暴を繰り返した傭兵団を、一人で血祭りにあげた時の残虐な暴れぶりは今でもターラムで語り草になっている。カサンドラが気を遣うのも、無理からぬこと。
リリアムは独りでそんなことを考えていた。さすがに我を失うことは早々ないだろうが、アルフィリースなる女のことを考えると、胸のあたりがじりじりと焼けつくような気がしていた。どうして黒い髪を惜しげもなく伸ばし、ひけらかすことができるのか。また、黒髪なのにどうして仲間に囲まれることができるのか。リリアムには理解不能だった。
「あんなに処女臭いのにね」
リリアムはふっと笑っていた。鋭い提案をするあたり紛れもなく頭は回るのに、表情は少女のようであった。あれは男と手もつないだこともないクチだなと思う一方で、世の中をただ幸せに見ているだけでもないだろうとわかる。興味は出てきたところだ。そうしてしばらく椅子にもたれて考え事をして、寝る前の瞑想に入る。徐々に心を無にし、自分の健康状態を確認する。その意識を外に広げ、一定の空間を常に把握できる状態にして眠る。センサーの結界の張り方に似ているその手法は、リリアムが身を護るために自然と身に付いた習慣だった。
そしてその習性が異常を捕えた。なんと、部屋の中に自分以外の誰かの存在を感じたのである。部屋には扉が一つ、窓が一つ。隠し通路もあるが、そのいずれもが開いていない。最初からこの部屋にいたことになるが、見事な気配の断ち方だった。野生の獣でもこうはいくまい。リリアムは座ったままゆっくりと目を開けると、背後に向かって話しかけた。
「何の用かしら?」
「・・・気付かれたか。裏闘技場の女王ってのは伊達じゃないね」
闇の中から少年が姿を現す。その人物はレイヤーだった。
続く
次回投稿は、2/3(水)16:00です。