快楽の街、その35~ターラムの支配者達⑥~
「また来たのか。戦いに飽きたのか?」
「いえ。巷で評判の『エクスぺリオン』なる薬に関して、ギルドが依頼を出したのもあるかと。どうやら相当質の悪い薬らしく、健全な営業をしている我々も相当迷惑していますわ」
「ああ、そういえばこちらでも少しずつ噂を聞くな。相当な中毒性があるとかないとか」
「薬もそうだが、そちらは我々の方でも手配している。何、ターラムに怪しげな物が流行るのはいつものことだ、ほどなく収まるだろうよ。だがゼムスの連れが問題だ。フォルミネー殿からその名前が出るとなると――」
「お察しの通り。連れはアナーセス、ダート、エネーマよ」
予想通りの名前が挙がったことに、ほとんどの者から思わずため息がこぼれる。
「最悪の組み合わせだな。確か以前も奴らが来たことがあった。その時はどのくらいの被害が出た?」
「娼館だけで、2日で3件潰されたわ。再起不能が100人以上。誰も殺さないから、余計に始末に悪いのよね」
「それは正当な営業許可をしている娼館に限ったことだ。不法な営業をしている娼館では、何人も死んでいるよ。それにエネーマは特級の回復魔術の使い手だから、即死でない限り生き返らせることができる。ただ、元通りに治すとは限らんが」
会議の場が急に重くなった。リリアムはまだ長として経歴が短いため過去のいきさつを知らなかったが、詳細だけは予めカサンドラに聞いていた。
勇者ゼムス――現存する傭兵の中で最強と目される男。大陸に現存する勇者認定を受けた四人のうちの一人であり、特に辺境での討伐依頼で成果を上げた男。魔王が多発する現在となっても優先的に魔王討伐を行い、休む間もなく戦い続けているとされる。その圧倒的強さと飾らぬ性格、端麗な容姿から非常に人気が高く、また他の勇者たちが自分の目的のために動くことをよしとするため、人間の障害となる魔物や魔獣を討伐する彼は勇者の代表のように世間では扱われている。
だがその実、彼らの日常は謎に包まれている。一節では辺境の魔物討伐でほとんど人里に現れないとか、あるいは修行に明け暮れているとか、様々な憶測が飛び交っている。一部ではその噂は合っている。事実、彼らの仲間にはそのような者も存在している。しかし、その一方ではまるで違う正体も知っている者がいる。それがここターラムの長たち。ターラムではいかなる秘密も金とコネ次第では買えてしまうため、ゼムス一行は人に言えない享楽に耽る時があるのだ。その中でも、最もひどくなるのが今回の面子だ。
リリアムが提案する。
「彼らに勧告しては? これ以上の狼藉をすれば、どうなるのか」
「無理だな。快楽にまつわるどんな悪行でも許されるから、ターラムはターラムたりえるのだ。唯一許されないのは、表の世界では殺しだけ。だが裏のターラムでは人の命さえ金で買える。奴らは一戦を踏み越えながら、我々が出張るような場面だけは上手く避けているのだ。
ただどんな者でもある程度分別がある。だがゼムスたちは――まるで『それ』にしか興味がないかのように、際限なく貪り尽くす。イナゴと一緒だよ、喰い尽くせば去るのみだ。ただ問題なのは、どうやっても排除できぬほど強力な害虫であるということだな」
「一応、筋は通っているのだ。破格の金額で娼館ごと買い取れば、何をしても買い取った者の自由。だけどね、人としての節度というものがあるでしょう? 道徳観というものも。彼らにはそれがない。ターラムの一部が彼らの我欲のために、食いつぶされることとなる。それもまたターラムの一つの形であるのかもしれないけども、彼らの場合はどうもね。見ててこちらが切なくなるのだよ」
「しかも当てつけであるかのように、我々の大事にしているものを、ターラムの規律に従って奪っていくのよ。誰も文句は言えず、歯ぎしりするのみね。その顔すら彼らにとっては愉悦なのでしょうけど。ある意味では、ターラムを最大限楽しんでいると言えなくもないわ」
「なんとかならないのですか?」
「それは以前そこのカサンドラも言ったのだ。結果、どうなったか。カサンドラの部下の女がいいように弄ばれて、精神を病んだ。だがその者には弱みがあった。莫大な金のかかる、病の床にいる母を世話しなければいけないという弱みが。彼らは大金をちらつかせ、一晩の自由を買った。そして――」
「その女は心を壊され、結果母親も死んだ。本人はアタシが世話していたが、ふいに窓から飛び降りて死んだ。アタシたちの中には傷が残った。言いがかりをつけにいった別の者は、先に手を出しちまった。どうなったか――わかるだろ? 以来、アタシたちは奴らに手を出せない。嵐が過ぎ去るのを、頭を低くして我慢するのみだ。自分たちにとばっちりが来ないのを祈りながらな」
カサンドラが吐き捨て、その場の者の何人かが頷いた。そしてフィルドンがつぶやいていた。
「奴らに何かあれば、と願わぬ者はおらぬ。だが、そのようなことはゼムスが世に出てから15年近く、奴らの仲間にすらなかった。ゼムスは恐ろしく勘が鋭く、そして頭が回る。奴に油断の二文字はない。
リリアム嬢よ、まだ年が若いからこそ忠告する。よいか、奴らには決して手を出すな。反抗もするな。関われば関わるほど、後悔することになるだろうからな」
「・・・納得したくはありませんが、一応話は承りました。私とて、優先するのはターラムの治安。その規律が乱れない限りは、何もいたしません。そのくらいの分別は持ち合わせているつもりですから。義憤にかられたりはしませんよ」
「よろしい。では次の議題に移ろうか。確か今年の決算の報告もするのじゃったな、コルセンス」
「はい。ではまずは――」
リリアムはそこからの議題はやや上の空だった。ゼムスの一件も気になるが、アルフィリースの件もそうだ。こういった困難な事態が同時に舞い込むというのは、何らかの予兆であるような気がしてならなかった。
それに、ターラム内で窃盗事件が相次いでいた。伝説のバンドラスが戻ってきた可能性があるという報告も上がる始末。リリアムはこの数日で大きな事件が起こるのではないかと、不安でならなかった。
続く
次回投稿は、1/22(金)17:00です。