快楽の街、その26~堕落の象徴①~
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「――で、首尾は?」
「見つけたわよ、確かにね」
怪しげな香が焚かれる中、囁くように会話する二人がいる。一人は黒のローブを身にまとった少年、もう一人は艶やかな娼婦。ドゥームとリビードゥである。
「『眠りの丸薬』に『誘惑する槌』。まさか人間の街にあるとはね」
「人間も侮れないものよ。世に出回らない物、出回ってはまずい物は、こういった喧騒や雑踏の中に隠される。人の身で会ったころに学んだことだわ。数多の偽物の中に、一握の本物。それがこの街の本質よ」
「ちなみに君はどっち?」
「もちろん本物よ、ある意味ではね」
くすくす、と妖艶にリビードゥは笑って見せた。その得意げな笑顔を見て、ドゥームは呆れかえるのみだ。香を焚きすぎて煙ってきた室内を嫌い、窓を開けて外を見る。狭い路地に面したその部屋は窓を開けてもすぐそばに娼館があり、窓を開けた分だけ男女の嬌声が声高に聞こえてくる。ドゥームとしては苦痛の悲鳴ならともかく、愉しみの悲鳴など聞いても不快なだけだ。
空も闇もまともに見えないこの部屋では気分転換もままならないと考え、ドゥームはすぐに窓を閉めた。
「まあ君なんかを生み出したところを考えると、この街の本質は僕好みではあるけどね。街そのものはあまり好きになれそうにないよ」
「あなたは悪霊のくせに、趣を楽しむところがあるものね」
「快楽主義者なのは認めるよ。雅を学ぶのはこれからだけども」
ドゥームはリビードゥに背を向けた。この街はどのような仕掛け、どのようなところに人の目があるかわからない。普段なら靄となって動くドゥームも、直感でその行為を禁じていた。ここではより人らしく振る舞う方が得策であると。いかに淫靡で快楽を貪る街といえど、人間以外の何かには非常に厳しい。一定の規律――しかも鉄の規律があることは、ドゥームもまた感じていた。
普段ならそういった掟などは嘲るように破るドゥームですら、今回は長居するつもりもないし、目立ちたくもないと感じる。居心地の悪そうなドゥームを見て、リビードゥはくすくすと笑っていた。
「それにしても何に使うのかしら、その二つを。かなり手に入れるのは苦労したのよ?」
「もちろんイイことさ。これで計画の目途はたった。後は仕込みと、マンイーター用に『最適な』体を手に入れに行くのさ」
「最適な体?」
「そう、最適な体だ。そのためのエクスぺリオン、そのためのあの女。仕込みは十分かい?」
「当り前でしょう。私を誰だと思っているの? かつて快楽の街において、並ぶ者なき女王だったのよ。私の手にかかって篭絡できない者はいないわ、それが男でも女でもね」
リビードゥが鈴を鳴らすと、一つの袋を抱えて男たちが入ってきた。男たちは誰もがだらしなくしまりに欠けた顔をしていたが、目だけは非常に邪な輝きをたたえていた。これもまた、ドゥームにはやや受け入れがたい輝きである。
男達が無造作に放り投げた袋の中では誰かが痙攣するかのように、びくびくと動いていた。そのあまりに不自然な動きに、ややドゥームも不安になる。
「壊れてないだろうね?」
「生かさず、壊さず。その匙加減が素人にはできないわ。十分に仕上がっているわよ、苦痛を極上の快楽と感じる程度にはね。今なら指を一本ずつ落とされても、死ぬのではなくイキ狂うでしょうよ」
「――なるほど、僕には理解できない世界だ。だがこれなら丁度良いだろう。マンイーター!」
「はーい」
背後からマンイーターがするりと現れた。男たちは一瞬後ずさったが、それでも出てきたのが女だとみると、下品な笑いを浮かべてマンイーターににじり寄るのである。どうやら彼らは人間として、恐怖感やら危機感やらが欠如しているらしかった。
「――気に入ったよ、こいつら。マンイーターで欲情するなんて大したタマだ。彼らの一部を借りていいかい?」
「どうぞ? 元々このターラムですら軽蔑される仕事を請け負う、最低の傭兵達よ。自由に使うがいいわ」
「よし――これで遊びの方も目途が立ったか。マンイーター、袋の中身を食っていいぞ」
「いいの? 何が入ってるの?」
「開けて見なよ」
マンイーターがドゥームに勧められて袋の中を見ると、そこには一人の女性がいた。だがマンイーターは見たことのない相手である。そもそもマンイーターに、人間を見分ける習慣があるかどうかは疑問だが。
だがそんなマンイーターですら、美しいと思うだけの美貌が女性にはあった。何よりここまでの仕打ちを受けて、なお反抗的な眼をするところが、食欲をそそる。マンイーターからは思わず大量の涎が垂れていた。
「ねぇねぇ、ドゥーム・・・これ、気に入ったよ。ちょっとずつ、食べていい?」
「やりすぎるなよ? 食べた後も意識を残すのが目的なんだから。壊したら意味がないんだぞ?」
「わかっているわ。こんな極上の食べ物、長く反芻しないともったいないもんね」
「ふん・・・それこそ私には理解できない感覚だわ。この部屋を汚さないでよね、一応私の仕事部屋なのだから」
リビードゥが毒づいたが、その言葉はマンイーターには届かず。ただ手であっちに行けとやったが、それはかろうじて通じたのか、マンイーターは袋をひょいと担ぐと、そのまま外に行ってしまった。
だがあの分なら大丈夫だろうと、ドゥームは思う。マンイーターが食べた相手の能力や思考までも反映させることができると知ったのは、マンイーターがインソムニアを取り込んだ時だった。マンイーターに吸収され切らぬだけの個性、あるいは能力や我を備えた者は、マンイーターが食した後も意識や能力として残ることがあった。それらの個性はマンイーターに性質が近いものほど残りやすかったが、ある時自殺志願の娘をマンイーターが一息に飲み込んだ時、娘の声が聞こえると言ったのがドゥームの思い付きの始まりであった。
もし、マンイーターに食べられるのを嫌がられなければ。マンイーターが食した物は、全てマンイーターの力となっていくのではないかと。思いつく限りの方法をドゥームは試したが、どうやらリビードゥの元で『調教』し、その後『取り込む』ことによって、少しでもその確率を上げることができるらしかった。
そして今回の目標につなげたのである。ドゥームは一仕事終えた時のように満足そうな顔をしながら、引き上げようとする。
「リビードゥ、君はどうする? マンイーターの完成を見に行くかい?」
「私は遠慮するわ。どうやらお客様も来たみたいだし」
「アルネリアの巡礼か。ジェイクも来ているのかもしれないな。気を付けろよ?」
「私はインソムニアとは違うわ」
「それは負ける奴の台詞だ」
「所詮童貞坊やと、肉欲に飢えた僧侶や騎士でしょう? 手玉にとってやるわよ」
「・・・オカマ野郎が相手にいないことを祈っておくよ」
ドゥームが皮肉を言ってから去ると、リビードゥはくすくすと一人で笑いはじめた。自分が『城』まで築いたこの場所で、負ける気が一切しないからだ。
「ふふふ・・・アルネリアだか神殿騎士だか知らないけど、ここまで来れるものなら来てみなさい。ここは私の領域よ。全てが私にひれ伏すわ――誰も私に逆らえないのよ。苦痛ではなく、極上の快楽で殺してあげる」
リビードゥが一段と大きな笑い声を上げていた。その声すらどこか艶やかで一見してたわわに実った果実にしか見えない悪霊を前に、場に残っていた男たちは、飛びかかれば搾り取られて殺されるとわかっていたので、必死に自制していたのだった。
続く
次回投稿は、1/4(月)18:00になります。お正月はお休みを頂くこととします。ご了承下さい。