快楽の街、その20~新しい依頼⑪~
「なあ、アルフィリース。私の呼び名がないと不便か?」
「なんで?」
「普通は相手のことを名前で呼ぶものだろう。私は一度も名乗ってないから、不公平だろうと思ってな」
「うーん。でも今更かな。それにあなた、名前で呼ばれるのは好きじゃないでしょう? だから呼ばない。好きとか嫌いとかじゃなく、呼ばない。念じれば通じるのだもの。名前を呼ぶよりも、素敵だと思わない?」
アルフィリースの言葉に、ポルスカヤは言葉を失っていた。なぜか胸のあたりに熱いものがこみ上げていた。ポルスカヤがしばし呆けていると、アルフィリースがのぞき込んできた。
「どうしたのかしら?」
「ああ、いや・・・少し考え事をしていたのだ。そういう風に言ってくれた者はいなかったからな」
「そうなの? まあ私は変わり者だしね」
「なあ、アルフィリース。もし、もしもだが――過去に帰れるとしたら、自分は別のものになりたいと思ったことはないか?」
ポルスカヤの唐突な問いに、アルフィリースはしばし考えていたが、答えは明快だった。
「ないわね」
「なぜ」
「だって、どんな形でも苦悩はついて回ると思うもの。仮に、私に何の力もなかったとしたら――そうね、きっと私は16か17かそこらで適当に隣の村の誰かと結婚させられて、平穏に一生を送ったかもしれない。土地が飢饉に見舞われていれば、ひょっとすると街に奉公に出て生計を立てたかも。もしかしたら、山賊や盗賊団、あるいは戦争に巻き込まれて成す術もなく死んだかも。あるいはもっと悲惨な死に方をしたかも。でもそういった生き方に自由はなかっただろうなぁと思うと、今の生活は命の危険もあるけど、刺激的だし幸せだと思うわ」
「命が惜しいと思ったことは?」
「そりゃあ、あるわよ。でもどうせいつかは皆死ぬのよ。ならば少しでも、悔いのない生活をしたいわ。その点は私がどういう生き方をしても変わらないのでしょうね。逆に聞くけど、あなたは?」
「私にはそんな望みはないさ。そんな生き物でもない」
「じゃあ想像してみてよ、想像するだけなら自由よ。私はありえない人生に興味はないけど、想像するのは楽しいわ」
「そうか・・・なら」
ポルスカヤの口から出たのは思いもかけない言葉だった。
「平穏な場所で、戦いに関係なく時を無為に過ごしてみたいな。花を愛でたり、風を慈しんだり。そんな生き方に縁がなかったからな。そういう生き方を一度は経験してみたい」
「あるじゃない、立派な望みが。きっとできるわ」
「ふん、そんな保証がどこにある」
「いいえ、私がさせてみせる。だから、私に力を貸しなさい。貴女の力がこれから先、生き残るためには必要だわ。協力してもらうわよ?」
アルフィリースの言葉に、今度は別の意味でぽかんとなったポルスカヤである。そして意地の悪いような、呆れたような気持ちで口の端を吊り上げていた。
「とんだ女だ、情を持って交換条件とするか。確かに対価は無限大だな」
「そんな大層なものじゃないわよ。私はただ、何も諦めたくないだけよ」
「くくっ、いいだろう。私も力のあらん限り協力してやろうではないか。たっぷりと稽古をつけてやるぞ。これから、お前の夢に平和が訪れると思うなよ?」
「げ、藪蛇だったか。お手柔らかにお願いするわ」
そう言いながらも既に寝る準備を整えたアルフィリースは、速やかに眠りに誘われていった。ポルスカヤはしばらくその表情を見つめていたが、やがてアルフィリースの枕元にうずくまると、同じように眠りに入った。
しばらくしてポルスカヤの意識が離れた猫が目を覚ましたが、見慣れぬ光景に驚いたのか、慌ててその場を去ろうとしたが、しばしうろうろした挙句、気持ちよさそうに眠るアルフィリースの寝顔に誘惑されたのか、同じようにベッドで眠り始めたのだった。
***
翌日、アルフィリースたちは早々に旅支度を整え出発した。今度の道程は人通りの多い街道を行くことになるため、安全な旅になることが期待できた。ターラムは飛竜を使えば三日の距離。アルネリアから出立する人数を考え、アルフィリースは迷わず飛竜を使うことにした。
そして今回は市内での交渉事が主になるであろうと考え、戦いよりも世長けた者を中心に選んだ。主だった面子としては、アルネリアからはアルフィリース、コーウェン、エクラ、料理人のラック、ルナティカ、タジボ、ニア、ヤオ、セイト、エルシア、ゲイル、ミュスカデ、ラーナ、ウィクトリエ。それにミランダの元から派遣されたマルドゥーク、ウルティナである。留守番はエアリアル、ウィンティア、ダロンなどに任せた。
ダロンはさすがに目立ちすぎるし、エアリアルなどの世間知らずを連れていけば何が起こるかわかったものではないからだった。それに、エアリアルには万一を考えて備えてほしいことがあった。
実はエクラも留守番にするつもりだったのだが、エクラが珍しく駄々をこねた。自分は留守番ばっかりで、まるでアルフィリースの役に立っていないと文句を言ったのだ。役に立ってないとは思っていないとアルフィリースは伝えたが、話をよく聞くとただアルフィリースについてきたいだけということだった。だがエクラに留守番を任せて問題になったことはなく、その仕事ぶりは確かに丁寧であったため、アルフィリースはエクラが役に立つかもしれないと思い、たまには我儘を聞いても良いだろうと同行を許可した。
他にも料理人のラックが珍しい料理が出るからと同行を求めてきたり、物珍しいからとタジボやウィクトリエが付いてきたり、エルシアやゲイルがレイヤーと一緒に荷物持ちでいいからと申し出てきたり、ラーナがターラムの娼婦には負けませんなどと言ってみたり、普段よりも些かのんびりとした雰囲気であったことは否めない。レイヤーはまたいつものように裏方に徹すると告げ、同時にエルシアとゲイルを見張っておくと言いだした。その中で特に注目を引いたのは、巡礼のウルティナがジェイクを連れてきていたことだった。
続く
次回投稿は、12/20(日)19:00です。