快楽の街、その19~新しい依頼⑩~
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アルフィリースは深緑宮から戻ると、ラインの帰還を待たずして彼らにラキアを伝令として飛ばし、ターラムで合流することを伝えた。用件からして、一日も早く合流する必要があると考えたのだ。そして何人かの人員を入れ替えるために、エクラやコーウェンと相談して、新たに選ばれた精鋭を何名か連れていくことにした。そしてアルネリアに申し出て、楓も連れていくことにした。
そして同時に、巡礼者も何名か補助として貸し出してもらえることを知ったアルフィリースは、素直に喜んだ。いつかミランダと約束した、アルフィリースに協力するという約束は、正鵠を射たものではないかもしれないが、ここで実現したのだった。
アルフィリースには休む間もない戦いの連続だったが、さほど疲れは感じていなかった。彼女は十分に若かったし、新しいことは常にアルフィリースの気持ちを高揚させた。新たな仲間であるウィクトリエ、タジボも心強かったし、セイトが思いのほか強いこともアルフィリースにとっては楽しみな材料だった。そして何より、悪夢にうなされることがなくなったこと、呪印が非常に体に馴染んでいることが、アルフィリースの気持ちを前向きにさせていた。
そして明日にもターラムに向けて出発するという夜、アルフィリースの部屋には窓から一匹の黒猫が侵入してきたのである。その正体を、一目見てアルフィリースはわかっていた。
「おかえり」
「・・・わかるのね」
「そりゃあね」
やや面喰ったような影の表情に、アルフィリースはしてやったりといわんばかりに得意げな笑みだった。
「好調そうじゃないか。私がいなくてせいせいしたか」
「皮肉はよして。いなくて寂しかったとは言わないけどね」
「ふん、言うようになった。まさか私が猫の姿だからって、舐めているんじゃないでしょうね? このままでも貴女よりは強いのよ」
「あなたこそ、周囲を威圧するような態度はよしなさい。別にそうやって力を誇示しなければ生きていけないような場所ではないのよ、ここはね」
「ふん・・・本当に言うようになったわ」
影――ポルスカヤはするりと窓から入ると、机の上のランプを背にして座った。ポルスカヤから伸びる影が、アルフィリースを遮っていた。
「さて、私達の関係についてだけど」
「今更? 元に戻るんでしょう?」
アルフィリースの予想外の言葉に、ポルスカヤの方が気が抜けていた。危うく机からずり落ちるところだった。
「貴女、馬鹿でしょ?」
「なんで?」
「だって、今なら私を殺して自由になれるもかもしれないのよ? いくら私が強いと言っても、この体でできることは知れていることくらい予想がつくはず。それにここなら仲間もいるわ。最後の好機かもしれないのよ?」
「貴女って、私の敵なの?」
アルフィリースの言葉に、ポルスカヤは詰まった。
「敵――ではないかもしれないわね」
「ならいいわ。確かに頭の中をのぞかれるのは気持ちの良いものではないけど、それでも助けてもらったこともあるし。私は強くなったと思うけど、貴女のおかげでもあるわ。それに、テトラポリシュカを見送ってくれたでしょう?」
「! どうして知っているのかしら」
「ウィクトリエの夢枕にご両親が立ったそうよ。良き仲間、可愛い娘、そして厳しくも孤高な師に恵まれたとね。満足な人生に感謝したそうよ。そして一人残す娘にごめんなさい、とね」
「・・・そうか。満足して逝ったか」
ポルスカヤはふっと笑っていた。感謝されようとしてしたことではないし、自分に愛情なる感情があるとも思わない。だがテトラポリシュカと出会ってから、彼女は常に自分のことを尊敬の念で見てきた。それはまるで子供じゃれつかれるような感覚だと、今ではわかるのだ。愛情はなくとも、愛着はあったことは認めざるを得ない。それをまた、他人の言葉では愛情と呼ぶこともあるだろう。
アルフィリースは問うた。
「で、どうやったら元に戻るの?」
「別に難しくはない。無意識を共有すれば戻れるさ。お前が寝たら私がやっておく。まだ離れてそんなに経っていないし、すぐにでも繋がるさ」
「うーん、それって喜んでいいのかどうかわからないけど。魂を共有しているってこと?」
「そんな大層なものではないがな。魂こそ、非常に抽象的な概念だ。それを共有などできるはずもない」
「そうかなぁ?」
アルフィリースも困惑したようだが、影は平然としていた。
「まあ魂の概念がわかりにくかったら、精神の共有でもよいさ。ただ生まれや血筋が違う者どうしが精神を共有するのは難しい。下手をすればどちらかの精神が均衡を崩すと共倒れになることもあるし、互いの境界が曖昧になることも多々ある。それを防ぐために通常は互いを名で呼び区分けを成すのだが、お前は私を名で呼んでいないからな。自分の一部とでも思っていないか?」
「え、全然違うでしょ。食べ物の好みから、お風呂の入り方まで」
「強いて言うなら、男の好みも違うな」
「え、異性の好みとかあるの? 信じれられない」
「まあ大別すればより女性に近い精神性だからな。別に男として振る舞うことにも苦痛はあまりないが」
「うげっ。まさか私が好みとか言わないでね」
「安心しろ、それだけはない」
アルフィリースがむっとしたのを見て、ポルスカヤは笑っていた。そしてふと思う。自分が笑うのはいつぶりだろうかと。思い出せば、かつて自分を教官と呼んだ者たちと過ごした日々では、こうしたこともままあったような気がした。その最後の生き残りは去ったが、どうやら新たな弟子を得たようだ。世の中と、他人との繋がりは不思議なものだと、ポルスカヤは心に染み渡るような感情を覚えていた。
そして冗談交じりに、ふと問いかけたのだ。
続く
次回投稿は、12/18(金)20:00です。