快楽の街、その16~新しい依頼⑦~
だが不思議と恐怖は感じなかった。あるいは感じても無駄だと思っているのかもしれない。そもそも、ハミッテ自身が自分にも世の中にも大して期待をしていないのだから。
「八重の森ね。思い出したくもないほど胸糞悪い場所だったわ」
「虫と気色の悪い植物ばっかりやからな」
「行ったことがあるの?」
「まぁな。遠巻きにちらっと見たくらいや。奥の方には踏み込んでへんよ」
「それはそうでしょうね。実力云々ではなくて、あれほど無数の敵が全方位から集まってくれば、物量で押されてあっという間に死ぬでしょうから。最高教主と古い魔獣共に守られていてさえ、相当の覚悟が必要だったもの」
「で、何か見えたんか?」
「・・・恨みだけがね」
ハミッテは腕で自分の体をかき抱くような仕草をした。確かに彼女は怯えていたのだ。ブランディオはこの肝の据わった女がおびえた様子を見せたので、驚きを隠せなかった。
「へえ。あんたを怯えさせるなんて、そら大したもんや」
「茶化さないでちょうだい、あそこから読み取れた情報は断片的だったわ。ということは、既にカラミティがあの場所を引き払ってからかなりの時間が経っているはず。これがわかったことの一つ目」
「ほなら、二つ目は?」
「カラミティはおそらく・・・人間だわ」
「人間~?」
この情報はブランディオにとっても意外だった。てっきりカラミティは、人に寄生する魔獣か魔物だと思っていたからだ。だがハミッテにとっても、これはあまり自信のない事柄だったのかもしれない。
「再生された情報は本当に断片的なの。あそこで起きたこと、その一部。カラミティの・・・ああ、カラミティの顔が目に焼き付いて離れない・・・!」
ハミッテは恐ろしい物でも思い出すようにがたがたと震え始めた。これはただ事ではないとブランディオも思ったが、だがどうすることもできない。情報があまりに少なすぎたからだ。
「落ち着くんや。何を見たんや」
「穴に飛び込む少女・・・あれがおそらくカラミティだった。そのカラミティの表情があまりに恐ろしくて・・・」
「聞くのは酷かもしれんけど、どんなんやったんや?」
「全てを恨んでいた、それこそ世界の全てを滅ぼしつくさんほどに。カラミティはもう正気じゃない。死ぬまで止まることはないでしょうね」
「ふん、イカれた連中なんざみんなそんなもんや。今までそんなやつらを何人も相手にしてきたわ」
「そうね、私もだわ。それでもその誰とも違うのは、尋常ではない力の持ち主ということよ。くれぐれも気を付けて。それからこれを」
「なんや?」
ハミッテが手渡したのは、一人の女の似姿。ブランディオはじろじろとそれを眺めた。
「なんやこれ?」
「多分、それがカラミティの操る個体の一つ。ローマンズランドにそれらがいたら、気を付けて」
「ミリアザールには?」
「渡したわ。大陸平和会議でローマンズランドの使節団にいるかもしれないからね。それともう一つ」
「まだあるんかい」
「私にはよく意味がわからないんだけど・・・『私は御子なのに』と言っていたわ。声が再生されたのはそれだけだった。どういうことかわかる? 最高教主もその言葉を聞いて黙ってしまったわ。何か知ってる?」
「御子、ね」
ブランディオもまた考え込んだ。彼の考えていた御子とは、魔術を扱うものが得意な者だった。その程度が魔女よりも上なのだろうと。だがどうやら少し違うのかもしれない。しかし現時点ではどうしようもないことだった。考えるには素材が少なすぎた。
「ワイにはわからん。気にしてはみるけどな」
「そう。私にわかったのは今回このくらいよ」
「あんがとさん、参考になったわ。報酬はいつもの形で払っとく」
「少し弾んでほしいわね。用入りになりそうだから」
「ほ、なんか行動起こすんか?」
「ちょっとね。心配しないで、それほど不穏なことは考えていないから」
「頼むわ。どうせ放っておいてもややこしいことになりそうなんやから」
ブランディオはハミッテに言い含めると、その場を離れて店主が用意した旅の道具一式を受け取っていた。
渡し際に、店主がブランディオに声をかけた。
「なあ、お前がアルネリアに来てからどのくらいだ?」
「せやな、10年ちょいか」
「出世はしたか?」
「どうやろな。それなりに出世はしたけど、あんまり興味ないわ」
「たまには故郷に帰っているのか?」
店主の何気ない言葉に、ブランディオの表情が一瞬強張ったように見えた。店主はひょうきんな男が見せるいつもとは違う表情に、戸惑っていた。
「な、なんだよ。怖い顔しやがって。ただの世間話だろうが」
「・・・故郷は捨ててきた。もうこっちに来てから帰ってへんわ」
「そうか、悪かったな」
「ええよ。店主にはいつも世話になっとるからな」
「与太話ついでだ。ちなみにどこの方面なんだ? その訛り、わざとだろ? でも発音が違うんだよなぁ。俺の直感じゃ、グラバー方面のどこか――」
「店主、話しすぎや」
ブランディオの手がふっと店主の頭に触れると、店主の動きがぴたりと止まっていた。そしてブランディオの指先が淡く光っていた。
「気の合う店主と思ってたんやけど、口は禍の元やな。あんさんはここでワイに荷物を渡し、何事もなく家に帰った。それでええな?」
店主が無言のままこくこくと頷いた。そしてブランディオが指先で店主の頭を小突くと、店主はがくりとうなだれた後、ふらふらとしながら店を後にして自分の家に帰っていった。
「・・・これから旅の準備にもうこの店は使えへんな。それにしてもけったいなもん思い出させてくれるわ。胸糞悪い」
ブランディオは苦い顔をすると、その場を後にした。数日後、店主の死体がアルネリアの用水路から発見されることになるが、死因は心臓麻痺だろうということしかわからなかった。
続く
次回投稿は、12/12(土)20:00です。