中原の戦火、その6~陥落した砦にて~
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ラインとダンススレイブが降り立った砦は地獄絵図だった。おそらく戦いが終わってから一日も経っていないのだろう、そこらじゅうから建物やら獣人達の肉が焦げる臭いが立ち込め、まだ燃えている建物もある。火の中で天に手を差し伸べるように墨となった獣人、壁に槍で串刺しにされた者など、それは直視に堪えない光景だった。
もはや動くものすら見当たらない。死んでいる獣人達の死骸を見ると、何度も剣や斧で頭を執拗にめった刺し、あるいは砕いたような跡が見られる。とても人間がやったとは思えない残酷さだった。
このランバウール砦は他の獣人達の砦と違って、堀は深く外壁は高い。獣人達は平野の戦いを好むので大抵は城から打って出ることになり、人間のように砦は用向きをなさないのだが、その中でもこのランバウールはかなりしっかりと作られている。もっとも獣人達は弓矢などの細かい武器の扱いは苦手なので、城壁から落とすのは、主に石や煮え湯なわけだ。
それでも城壁が高いだけでも砦はかなり落ちにくくなる。その砦をこうまで完膚なきまでに潰すとは、普通ではない。それに生存者が一切いないとは、一体どういうことなのか、ラインには不可解極まりなかった。
しかもまた殲滅戦を行い、統治する様子が全く見受けられない。火がまだ燃えている所を見ると、落としてすぐ、休憩もなしに全軍をまとめて首都に向かったと推測できる。これはクルムス軍の自殺行為以外の何物でもない。補給路の確保もせず、また野営の跡もろくろくないことから休憩すらなく前進しているだろうが、まとも指揮官のやる事ではない。ラインはそのことばかりを考えながら、砦の様子を見て回っていた。
とその時、うめき声を聞いた気がしてラインは耳をすませる。そして油断なく抜剣すると、ダンススレイブに注意を促しながら声のする方角を探っていった。
「こっちか・・・」
「ライン、あの獣人は生きてるぞ!」
ダンススレイブが倒れた柱をどかせると、下からくるしそうなうめき声をだしている獣人が見つかった。どうやら柱の下敷きになったことでクルムスの手を逃れたようだ。だが下半身が完全に潰れており、また内臓もはみ出すような重傷だ。むしろ柱の下敷きになり血流が阻害されたことで出血多量を免れ、加えて獣人の生命力だからこそ生きているのだろう。人間なら間違いなくとうに死んでいるほどの重傷だ。
身分はそれなりに高いのか、着ている物が比較的上等だし、勲章も沢山付いている。指揮官級とおぼしき獣人の頬を何度か張り、意識があるかどうかラインが確認した。
「おい! 意識はあるか!?」
「う、ああ・・・ああ」
「ライン、すぐに治療するものを我が持ってくる!」
「やめとけダンサー、もうこいつは助からん。それより何か言い残したいことがあるかどうか聞いてやるべきだ」
ラインは他の場所に行きかけたダンススレイブを制した。その言葉に、獣人がゆっくり反応する。
「俺は・・・助からんか」
「ああ、無理だな。下半身が潰れている。わからないのか?」
「もう感覚が無い・・・目も見えん・・・皆はどうなった?」
ラインは一瞬真実を言うかどうか逡巡したが、真実を告げてやることにした。どのみち答えにくいことも聞くつもりだったのだ。
「悪いが、まだお前以外に生きている者を見ていない。おそらく全滅だ」
「そうか・・・この砦には5万近い軍勢がいたのだがな。まさか全滅とは・・・」
獣人の目から涙がこぼれる。死んだ者に対する悲しみ、任務を果たせない自分への憤り。その理由は様々だろう。元軍人のラインには容易に感じとれる。だがその感情を押し殺しても、この獣人には聞いておかねばならないことがある。
「すまんが、お前が死ぬ前に聞いておきたいことがいくつかある。いいか?」
「俺にわかる範囲ならな・・・ところでお前は人間か?」
「そうだ。クルムスの軍隊がヤバそうなんで、その実態を掴むために追っ掛けてきた。このまま放置しておくには危険すぎる連中だ。よかったら知っていることを話してくれ」
「人間にも・・・奴らの危険さに気付いている者がいるのか・・・頼む、奴らを止めてくれ。これはザムウェドとか獣人とか軍人などということとは関係なく・・・この大地に生きる者としての俺の願いだ・・・」
「いいだろう。しかと聞くぞ」
獣人が力を振り絞って挙げた手を、ラインは力強く握ってやった。すると獣人は少し安心したのか微笑み、クルムス軍の様子を話し始めた。
「あのクルムスの連中は・・・俺達の爪や牙が通らない金属の鎧を着けていた。だからなのか、非常に勇猛で残虐で・・・降伏を申し出ても殺し、一般市民でも関係なく手当たり次第に殺し回っていた・・・」
「全員がその鎧をつけてたのか?」
「そうだ。特に先頭にいた連中は化け物のように強かった・・・いや、本当に化け物だったのかもしれん・・・」
「どういうことだ?」
「俺達が石をぶつけてはしごから落ちてもすぐに立ち上がり、熱湯をぶちまけてもひるみもせず・・・この城壁に奴らがとりついてから1刻も経たないうちに城壁は破られた。挙句に・・・ううう」
獣人が苦しそうにうめく。だがラインは今さら慰めの言葉などかけない。
「おい、まだ死ぬな。続きを語れ」
「あ、ああ・・・せめて武器がなければと腕を封じたんだが、奴らは武器がなくても素手で俺達を引き裂いた。あんなのは人間じゃない・・・」
「なんだと? 素手でか」
「ああ、そうだ・・・武器を落とした連中は素手で俺達を殺していった・・・」
ラインはここに来るまでにいくつかの変わったものを見ていた。レンガの壁にめり込むように死んでいる獣人、大地に入った異常に大きなひび割れ。最初は何かわからなかったが、巨人のような怪力自慢が大勢で暴れたと考えれば納得はできる。もっとも巨人の連中よりは、さらに腕力が強いかもしれない。
だが獣人の告白はそれでは止まらなかった。
「決定的だったのは・・・奴らは俺達の砦に潜入する前に逃げ道を全て塞いでいた。どの門も戦が始まると同時に外側に防壁を敷かれ・・・脱出が不可能だった」
「4方から塞ぐだと? なら少ない兵力をさらに分けていたというのか?」
「そうだろう・・・なぜなら正面から来たのは3000にも満たない数の連中だった。ここを陥落させるよりも、誰一人逃がさないことを目的にしてるような・・・いや、違うな・・・」
獣人の息が荒くなってきている。もう長くはないだろう。
「奴らは殺戮を楽しんでいるのだ・・・少なくともあの指揮官は。アイツはそれこそ化け物のように強かった・・・我が軍の精鋭を1人で何十人も蹴散らして・・・見た目はお世辞にも強そうではなかったのにな・・・」
「ハゲたチビか?」
「くくく・・・口が悪いがその通りだ。お世辞にも強そうではないだろう?・・・ははは、ぐ、げほっげほっ」
獣人が咳をすると血を吐いた。
「だがそんな奴に我々は完膚なきまでに負けたのだ・・・なんと情けないことか・・・」
「んなこたねぇよ、必死で戦ったんだろう? 無念なことには違いないかもしれないが、お前達の犠牲は俺が無駄にはしねぇよ」
「ふ・・・粋な事を言うな、人間よ・・・名前は?」
「俺の名前はライン・・・いや、本名を名乗ろうか」
ラインは獣人の耳元で、彼にだけ聞こえるように自分の本名を告げてやった。ダンススレイブはラインの本名を知っているわけだが、普通に語らなかったのは、彼自身が本名を名乗ることに抵抗があったのだろうか。
だがそんなラインの内心とは裏腹に、獣人はラインの名前を聞くと白い歯をこぼした。
「・・・良い名前ではないか・・・」
「あんがとよ。お前さんの名前は」
「ガルス・・・ランバウールのガルスだ・・・ここの指揮官だった・・・」
「そうか。とどめが欲しいか?」
「ああ・・・頼む・・・」
ラインが獣人を抱きかかえていた手を放し獣人を床に横たえ立ちあがると、剣をすらりと抜き放つ。
「その前に1つ・・・」
「なんだ?」
「あの指揮官に気をつけろ・・・奴は魔物を召喚して使用していた。その魔物がまたとてつもなく強かったんだ」
「魔物・・・どんな奴だ?」
「見たことも無い。俺はグルーザルドの遠征に帯同して南の大森林にも行ったことがあるが・・・そこでも見ないような連中だった。あれはいったい何だったのか・・・悪夢を見ていたとしか思えない・・・」
「・・・他に言い残すことは?」
ガルスの目から徐々に光が無くなっていくのを見て、これ以上はもたないと踏んだのか。ラインは今わの際の言葉を聞いた。
「いや、特に・・・俺の妻や息子も死んだろうな・・・」
「・・・」
「頼む人間よ・・・俺らの無念を晴らせとはいわないが・・・これからを生きる者達のために、奴らを倒してくれ・・・」
「ああ、しかと引き受けた。だから安心して眠れ」
その言葉を聞いて安心したのか。ガルスは死に際とは思えないほど穏やかに微笑むと、目を閉じた。そこに振り下ろされるラインの剣。ガルスと呼ばれた獣人はその生を終えた――。
***
「よかったのか?」
「何が」
「あんな安請け合いのような事を言って。獣人5万をあっさり撃破するような軍勢だぞ? お前にどうできるのだ」
「だがあの場で他に言うことがあったか? それに気持ちは本物だ」
「ほう」
ダンススレイブはラインの表情を見たが、一見何も変わらなそうに見える。だが彼の内心には煮えたマグマのような怒りが渦巻いているのだろう。自分が思うよりは熱い男なのかもしれないと、ダンススレイブはラインを見ながら思った。
「なんだ、人の顔をじろじろと・・・気持ち悪いな」
「別に。お前の顔が面白かっただけだ」
「失礼な奴だ。この美男子の顔のどこが面白いんだ」
「乞食にしか見えんがな」
「何を!?」
ラインが喰ってかかりかけたが、流石にこの死体の山の前にしてそこまでふざける気持ちにもならず、やめたようだ。ダンススレイブもそれは同じなので、さすがにからかうのもこのくらいにしておいた。
「で、どうするんだ?」
「決まっている。乗りかかった船だ、首都まで見に行くぞ。直に見なきゃわからん」
「それはいいが・・・くれぐれも巻き込まれてくれるなよ。お前が帰らなかったら、途方に暮れてレイファンが泣くぞ?」
「わかってる。女は泣かせたくないからな」
「何を恰好のいいことを・・・」
「おら、行くぞ」
そして2人は進路を首都ゲッダハルドに向けたのだった。
続き
次回投稿は1/20(木)12:00です。
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