快楽の街、その6~闇の小人②~
ピートフロートはごく自然にファーシルに近づいた。ファーシルの警戒網の範囲に無造作に入り込んだので、当然ファーシルから鋭い声が飛んできた。
「誰だ!?」
「(ひゃあっ!?)」
ピートフロートは声にならない大きな声を上げて、空中でずっこけていた。ドゥームも驚きの演技力。確かに生まれたばかりの妖精という設定だが、生まれたばかりの妖精は言語を持たない。自分ではこんなことはできないと思うのだ。
「(きゃああ、大きい人!)」
「む、妖精だと?」
ファーシルが怪訝な顔をする。いかにも怯えたように見えるピートフロートだが、ファーシルはまるで警戒心を解いていなかった。
それも当然である。オーランゼブルの工房一帯は、かなり厳重な魔術で人除けがされている。この周囲一帯が元々人気のない場所であるとはいえ、獣一匹工房には近づくことはないよう造られているのだ。そこに精霊が近づいてくることすら、ほとんど考えられなかった。ドゥームたちがこの場所を認識できるのは、先にオーランゼブルにくっついてこの工房に潜入したからこそ。そうでなければ、この工房を探し当てるのにそれこそ大陸中を虱潰しに歩く覚悟が必要になるだろう。それでもなお、この場所だけを避けて歩いてしまう可能性も否定できない。
ファーシルはなおもピートフロートの観察を続けた。
「どうしてこんなところに妖精がいる? 答えろ」
「(わ、わからない。気が付いたらここにいたから!)」
ピートフロートはただそれだけ告げて怯えていたが、ファーシルは少年には似つかわしくない鋭さで、じっとピートフロートを鑑定するように見つめていた。
そしてしばらくすると、大きくため息をついて殺気を解いていた。
「・・・その性質、闇とその他有象無象の混合亜種と言ったところか。確かに工房の周囲、結界の範囲内で単独で生まれる可能性もあるな。大流を集め過ぎたか・・・いや、そうならないように細心の注意を最近は払っていたのに、まだ完璧ではなかったと。未熟だな、工房周辺の魔術構築を見つめ直す必要がありそうだ」
「(な、なんのこと)」
「ああ、済まない。こちらの話だ」
ファーシルは表情を崩すと、ピートフロートの方を見てふわりと笑った。生来の人の良さが滲み出てきたような笑いだった。
「少し気が立っていてね、驚かせてしまったなら許してくれ」
「(怒ってる?)」
「怒ってない、安心するといい」
ファーシルはそっと手を伸ばすと、ピートフロートを掌の上に座らせた。ピートフロートはされるがままである。
「名前はないよね?」
「(名前?)」
「生まれたばかりならしょうがないか。私はファーシルだ」
「(ファーシル?)」
ピートフロートはいまだ小さく震えながら返事をしていた。その態度に、ファーシルから憐憫の情が湧いた。
「何もしない。だから怯えないで」
「(本当? ファーシルは怖い人じゃない?)」
「ああ、違うさ」
「(でも、周りの植物たちがここは生き物がいちゃいけない場所だって。いたら、怒られるって。だから僕は逃げようとしたんだけど)」
「植物の声が聞けると?」
ファーシルは目を丸くした。実は精霊でもない限り、どれほど高位の魔術士だとしても生物以外の声を聞くことは不可能に近い。相性や属性がよほど近いか、人としての性質を放棄しない限り不可能な芸当だった。ハイエルフであるファーシルにも、悪霊であるドゥームにも、これは無理なことなのだ。
ファーシルは最初、目の前に現れた妖精を処分するつもりだった。だが怯えた姿に忍びなくなり、せめて別の場所に放そうとしていた。だが、植物の話が聞けるのであれば――上手く手懐ければ、さらにこの周囲の警戒をさらに厳重にできるかもしれないと考えた。
「なるほど――どこか行く宛はあるか?」
「(ないよ。ここがどこかもわからない)」
「それはそうだろうな。ならばここで私の手伝いをしてくれないか?」
「(手伝い?)」
「そう。大切なものを守る手伝いだ。きっとやりがいがある」
そのくらいの手伝いをしてもらう裁量くらいはあるだろうとファーシルは考えた。ファーシルは見た目こそまだ少年のようだが、実年齢は200歳を超える。本来のハイエルフであれば、そろそろ下僕となる魔物や幻獣を使役しても良い頃だと考えた。もちろんオーランゼブルがそのような許可を出したわけではないが、このくらい矮小な妖精なら害はないと考えのだ。
だが果たして仲間に引き入れた妖精が背後でどのような邪悪な表情をしているのか、オーランゼブル以外の他人と接してこなかったファーシルには知るべくもなかったのだ。
***
一方、オーランゼブルの工房から少し離れたところでは、オーランゼブルに魔法をかけられたポルスカヤがとぼとぼと歩いていた。魔法がかかったばかりだからか、その足取りはどこかおぼつかず、枝に当たったり、躓いたりするのもしょうがないといったほど呆然とした様子だった。この様子をアルフィリースやテトラポリシュカが見たら、どのくらい驚いたろうか。
だがそのポルスカヤの前に、突如として森オオカミが現れる。普通ならテトラポリシュカの持つ魔力に圧倒されて、並の魔物や魔獣は息を潜めているのだが、この森オオカミだけは堂々とテトラポリシュカの進路を塞ぎ、その姿を品定めするようにじろじろと見ているのであった。そして一通り見終えると、不満気にその花をふんと鳴らし、あろうことにしゃべり始めたのであった。
「やはりオーランゼブルの奴め、私にも魔法をかけていたか。どうせそんなことだろうとは思っていたが、名付け親の洗脳となると厄介だな。解除する方法が思い当らん」
声の主はポルスカヤだった。ポルスカヤはオーランゼブルの工房に乗り込むときに本体を使わず、本体から一部を分けた意識を使ってテトラポリシュカに乗り移らせていた。そして本体の方は仮住まいとして、その辺の森オオカミを使ったのである。意識を分割できるポルスカヤのこの能力は、オーランゼブルも知らないことであった。
「あんな奴に名付けられたのがそもそもの間違いか。だがしかし悔やんでもしょうがなくはあるが、どうしたものかな。このまま分身と合流しても、オーランゼブルの魔法の影響がかなりの確率で出るだろうな。さりとてテトラポリシュカの体をそのままにするわけにもいかず、分身だとて私の一部だ。放棄するわけにもいくまいよ。そしてオーランゼブルの魔法の影響がないとわかれば、今度はどんな手に出られるか・・・オーランゼブルの真意が知りたくてとりあえずやってみたが、得られた情報は現在のところオーランゼブルの工房の正確な位置と、奴にも忠実な味方がいることくらいか。さて、この情報だけでどうしたものかな」
「ふむ、確かに困ったな」
ポルスカヤの背後から話しかけてきたのは、ユグドラシルだった。まるで気配を感じないユグドラシルの出現にポルスカヤが目を見開いたのも一瞬で、平静を装ってむしろ余裕を醸し出すように顎を突き出すようにして話をしていた。
だがユグドラシルが指を鳴らすと、テトラポリシュカの体の行動は完全に停止し、宙を舞う木の葉すら動きを停止していた。
続く
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