快楽の街、その5~闇の小人①~
最初は体の一部、特に耳と目をこの工房に侵入させていたドゥームだが、設置するだけでは能率が悪いとの考えから、徐々に動き回れる体を欲してこういう形になったのだった。ドゥーム自身がそのようなことができることに驚いたのだが、自我まで形成し、動き回れる分身を作るのは一体が限界だった。まして、戦闘はもってのほかである。試してはいないが、簡単な聖属性の魔術で消滅するくらいの強度にいか過ぎない脆弱な個体だろう。だが、工房内を動き回るだけの自由さを得ているのは便利だった。
もちろん、こんなことが可能になったのはある原因があった。それは――
「ふう、とんでもないことを聞いてしまったな。およそ想像通り――とまでは言わないけど、まあ仮説がいくつか証明されたか。となると、どうにかしてオーランゼブルの工房の最深部に潜る必要があるだろうが、それには結界が邪魔だ。さすがにこの結界を無効化することはできても、破ればばれてしまうだろうし、さて、どうしたものか」
「(・・・私の力が必要かな?)」
ドゥームの頭の中に響く声がある。それはドゥームがノースシールで取り込んだ、ピートフロートの声だった。ピートフロートはドゥームに取り込まれるも、なんとその自我を保っていたのだ。さすがに上位精霊としての力の行使や、またドゥームの体の支配権などを奪うことは不可能だったが、口出しすることにかけてはドゥームでも制限は不可能であった。
つまり、ドゥームは困ったことに頭の中に同居人を抱えたようなものなのだ。元々多くの悪霊を従えるドゥームとしては常に背後や意識の中でざわめかれるのは仕方がないにしても、それは彼の一喝で制御が可能であった。だがこのピートフロートだけはどうやっても、制御が不可能だった。
確かにピートフロートの知識は興味深い。だが話し相手を得たりとばかりにのべつまくなししゃべり続けるピートフロートには、ドゥームでさえもうんざりしているのだ。さりとて、もはや分離の方法もわからない。滅多なことでは後悔をしないドゥームだが、ピートフロートを取り込んだことだけは後悔していた。
ドゥームはうんざりした表情でピートフロートに問いかける。
「何を協力するっていうのさ」
「(オーランゼブルの近侍、ファーシルとか言ったかな? 彼をこちら側に取り込むつもりなんだろう? 協力しようと言っている)」
「へえ・・・」
ドゥームは自分の目的を見透かしているピートフロートの申し出に興味を覚えた。だが、だからといってそう簡単に頷いてやるのも癪に障った。
「どうやって取り込むつもりだい? アルフィリースの影であるポルスカヤなる者を退けた手際といい、彼がハイエルフであることに変わりはない。おそらく魔術は看破されるし、搦め手は通用しない。オーランゼブルを崇拝しているだろうし、そもそもオーランゼブルが精神束縛をかけていないわけがないぜ」
「(そうだろうな、私も同じ読みだよ。だが搦め手が通用しないなら、いっそ正攻法を取ればいいのさ)」
「どういうことさ?」
「(つまり、ファーシルと本当に友達になってしまえばいい)」
まさかの発送の逆転にドゥームも一瞬唖然とし、しばし冷静になった後に考えるとそれが唯一の方法に思えてきた。
「・・・できるの?」
「(任せてくれ、誰とでも親しくするのは得意だ。ハイエルフの友人はいないが、エルフには何人もいた。まぁ経験は生かせるだろう。口先だけで魔王になった者だぞ、私は?)」
「ああ、そういえばそうだったね。確かに僕がそのまま近づくと、いくら人形の大きさでも悪霊であることはばれてしまうだろうし、君にこの体の主導権を譲り渡してお願いするしかないかもしれない。
だけど一つだけはっきりさせておきたい。どうして僕に協力する? 君にしてみれば、僕は君を取り込んだ憎むべき敵だ。非難こそすれ、協力する理由なんて一つもないはずだけど?」
「(ふふ、君は私の性質をいまだに理解していないようだな。私の行動原理は、全て興味が湧くか面白いかどうか。それにかかっているんだ)」
ピートフロートがドゥームの困った顔を見て笑っているのがわかった。だがドゥームはそれでも理解不能なこの上位精霊の人格を持て余していた。
「(私はね、言ってしまえば正も死も、自由になる肉の身にもそれほどの執着を持たないんだ。そりゃあ動ければ便利だと思うけど、一度死んだ時点でノーティス様との契約も無効だろうし、私は自由に思考ができればそれでいい。君の中にいればやがて私の人格は薄れて消えてしまうだろうが、それもまた運命の一つだ。私は自然から生まれい出た存在だからね、生き汚い人間と違って執着もないんだよ)」
「・・・それで?」
「(今は君の行動に興味がある。取り込まれてわかったことだが、君の存在は非常に興味深いな! 君はまだ自分自身が何者であるかを知らないはずだ。違うか?)」
「だとしたらどうなのさ」
ドゥームはやや苛立ちながら答えたが、ますますピートフロートの調子に乗せられる一方であった。
「(私が君の思考に助言を与えよう。思索というものは独りでゆっくりとやるのもよいが、誰かと対話をしながら進めるのがもっとも早い。君の周囲には自我を持つ悪霊はいるが、君ほどの思考能力を獲得しているわけではない。アノーマリーの英知を奪い取った君に足らないものは、対等に話せる相手だ。違うか?)」
「・・・それは一部納得だ」
「(心配するな。私はただ知りたいだけだ、君の先に何があるのかを。君は自分で思っているよりも、興味深い存在なんだ。私はただ見てみたいんだ、君がこの世界で何を成すのかを)」
「それが、全てに仇成すことだとしても?」
「(関係ないね。それが偽らざる私の本質だ、今更どうやっても変えようがない。こんな私だからこそ、魔王と呼ばれてそれを受け入れた。ほら、精霊の魂消えるまで性格は変わらない、と言うだろう?)」
「そんな諺はないよ」
ドゥームは苦笑しながら決意した。なるほど、任せてみても面白いかもしれないと。確かにピートフロートを取り込んでみてその記憶を探ったが、ドゥームでも感心するほどの交渉力が彼にはあった。口先だけで数々の種族を誑かし、魔王になったのは伊達ではない。
ドゥームは分身の支配権を譲り渡すと、ピートフロートと丁度反対の立場になるように自分の自我と性質を奥深くにしまい込んだ。元々作った体だし、その知識の元はアノーマリーの魔王製作に関わるものである。正直取り出すのに辟易するとはいえ、妖精を『研究』した知識もあったし、生まれたての妖精を模した体を作り出すのはそれほど難しいことではなかった。
そして準備を整えたドゥームとピートフロートは、ファーシルに近づいた。オーランゼブルがいかにハイエルフであるとはいえ、彼が生物である以上食べ物や睡眠は必須となる。ファーシルは食べ物の調達するために、度々外に出る必要があった。ドゥームとピートフロートは、そこを狙ったのだ。
続く
次回投稿は、11/21(土)22:00です。