中原の戦火、その5~異常な爪跡~
「話って言うのは他でもねぇ、この女の子を預かって欲しい」
「ほっほほ、これはまた可愛らしいお嬢さんじゃの」
「ライン、あんた・・・ついにそういう方向に」
「どういう方向だ!」
娼婦長の揶揄に怒るラインだが、またしてもダンススレイブが悪ノリをする。
「そうなんだ、我がいくら誘惑しても見向きもせず、夜な夜なこのいたいけな少女を・・・」
「ダンサー、黙ってろ」
ラインに睨まれたので、ダンサーはつまらなそうにして黙った。レイファンはいきなり淫靡な内装の部屋に連れて来られ、目を白黒させている。まあそれも仕方ない。部屋の内装はピンクや赤などのいかにも男を煽る色の壁紙を使っているし、壁には裸婦画がそこかしこにある。また目の前の娼婦長も服こそ着ているものの、その生地は極薄であり、乳房は完全に透けてしまっている。
そんな中に突然放り込まれ眩暈を覚えるレイファンをよそに、ラインは事情を説明した。
「ふむ。では内通者が近くにいるから、とりあえずワシらの所でその皇女様を匿ってほしいと?」
「要約するとそうだな。内通者をいぶり出せればそれが一番いいんだが、そんな時間はなかった。下手をしたら今夜にでも奇襲を受けていただろう。あんなみえみえの隠れ家じゃな」
「アンタはつけられてないのかい?」
「さすがに離れの一軒家を見張っている連中がいたら、俺が気づくっての。それに町に入ってからは、かなり複雑な道順を通ったからな。大丈夫なはずだ」
「話はわかったが、娼館は皇女様にはちときついのではないのかの?」
「まあそりゃそうだが。いい人生勉強になるだろ」
「とんだ人生勉強になりそうだね」
娼婦長が呆れている。
「ラインが帰って来た時に、皇女様がどうなっててもしらないよ?」
「お手柔らかにやってくれよ。まかり間違えても変な教育はしてくれるな」
「さぁてねぇ~」
「おい」
「冗談だよ。責任もってちゃんと預かるから安心しな」
「頼む。さて、と」
空とぼけようとする娼婦長に確認を取ると、ラインはレイファンのさるぐつわを取り、彼女と向きあった。
「あ、あなた! 私にこんなことをしてただで済むと・・・むぐっ」
レイファンの口を手で押さえるライン。目で抗議の意思を示そうとするレイファンだが、ラインの表情は真剣そのものだった。
「めんどくさいことは言いっこなしだ、レイファン。こうするのが一番お前にとって安全だろう。ラスティは多分信用できるからいずれちゃんと連絡を取ってやるが、今はダメだ。アイツは嘘をつくのが上手くない。ここを教えると、アイツからぼろが出る可能性がある。わかったら頷きな」
レイファンはラインの様子から事態を感じとったのか、コクリと素直に頷いた。その様子を見てニヤッとするライン。手をそっと口から放してやる。
「物分りのいい女は好きだぜ、レイファン。俺が帰るまでイイ子にしてな」
「どこへ行かれるのですか?」
「ああ、戦場の様子を見てくる。ついでに首都の様子もな。どっちにしてもいつまでも逃亡生活は出来ないだろう? いずれは王様の所に行かないとラチがあかない」
「それは理解できますが、なぜ私のためにここまで?」
レイファンがじっとラインをみつめる。その様子に適当なごまかしはできないと思ったのか気まずくなったのか、ラインが頭をかきながら答えた。
「自分でもよくわからんが・・・俺はこう見えて損な性格でな。どうも困った人間は見逃せない性質らしい。まあ報酬はきっちりいただくぜ」
「そうですか・・・」
レイファンは納得したような、納得できなかったような顔をしている。ラインとしても自分の感情が100%理解できているわけではない。ただこうするのが正解だという気がしてならないだけなのだ。
「じゃあ俺は行く。レイファンを頼むぜ、爺さん」
「ほっほほ、任せておきなさい」
「アタシ好みに仕立てておくから」
「だからお前はそれをやめろと。じゃあな、レイファン」
ラインはレイファンに背を向けながら手をひらひらと振ったが、何かを思い出したようにくるりと振り返る。
「そうだ、1つ聞いておきたいことがあるんだが」
「なんでしょうか」
「ゼルバドスという名前に心当たりは?」
それはアルフィリースと会話をしたときにリサが口に出した名前だった。それ以上は聞く機会を逃したが、彼はしっかり覚えていたのだ。
レイファンも心当たりがあるらしく、すぐに答えてくれた。
「確か最近急激に出世した男で、宰相補佐をしながら、ムスター兄上の近習になっていたと思います。ですがある日、自殺したとか」
「自殺?」
「ええ、それはひどい有様だったようで。なんでも部屋は天井まで血で真っ赤だったとか」
「どういう自殺の仕方だ、そりゃあ。他には?」
「いえ、私は面識がなかったので・・・ラスティは話したことがあるとか言っていましたが」
「そうか・・・ならいい」
ラインはうなったが今はどうしようもない。そのまま今度こそダンススレイブと共にその場を後にした。レイファンとしてはラインが戻らなかったらどうすればいいのか不安であったが、だが今その疑問を投げかけた所でどうなるわけでもなく、彼女はただ彼の帰りを大人しく待つしかなかった。
***
「いいのか、ライン」
「何がだ」
「むろん皇女様のことだ。あそこに1人では心細いだろう。あの騎士達が見つける可能性もあるしな」
「あんな頭カッチカチの人間どもに、皇女を探して娼館を捜索しようなんて発想はないだろ。よしんば来たとして、上手いことはぐらかされて腰砕けにされ、追い返されるのがいい所だ。それにあそこの娼婦たちは、なんのかんので良い連中ばっかりだ。寂しがることはないだろうよ。
他にも理由はあるがな」
「それならいいが・・・」
実際に娼館で働く女性という者はほとんどが借金のかたに売られるか、戦争孤児などで天涯孤独の者である。そのため彼女達は連帯意識が非常に強く、特に社会的弱者に対して非常に温かい。たとえ皇女でも、困っていれば助ける種類の人間の集まりだった。
それにクルムスは娼婦達に対して特に弾圧などはしていないため、王家に対して悪感情はないはずだ。むろん全ての娼婦がそうではないが、レイファン自身も嫌みの無い人間だし、少なくともあの娼館の人間達は信頼できるとラインは踏んでいた。
「に、してもだ。詳しいな、ラインよ」
「そりゃな。俺の行きつけでもあるしな」
「・・・アルフィリースにしっかり伝えておこう」
「だから、なんでそこでアルフィリースを引き合いに出すんだ?」
ラインはぶつぶつ文句を言うが、ダンススレイブは素知らぬ顔でその文句を聞き流していた。
***
ラインはダンススレイブに竜の手配をさせる一方で、自分はギルドに来ていた。ゼルバドスに関して情報を得るためである。だがむやみに聞き込みをするのは危険だと感じたのか、すぐに受け付けへ向かう。受付には感じが良く、美人とまではいかないが愛嬌のある容姿をした若い女性が座っていた。
「いらっしゃいませ。御用件は?」
「調べたい人物がいる。何でもいいから情報を集めて欲しいんだが、誰か情報屋に空きはいるか?」
「はい、手配できると思います。何人ほど雇われますか?」
「3・・・いや5人がいいな。それぞれ情報交換を無しにして別個に依頼してくれ。情報の比較は俺がやりたい」
「承知いたしました。では以下の名簿の中から人物をお選びくださいませ。また調べる人物に詳細、調べる内容、期間、報酬についてもどうぞ」
受付の女性に渡された用紙に慣れた手つきで記入していくライン。そして記入し終わると、前金を置いてその場を後にする。
「じゃあ任せたぜ、綺麗な姉ちゃんよ」
ラインは精一杯の愛想でウィンクしてみせるが、ぼさぼさの髪で無精髭まみれでは恰好はつかない。でもそれなりに愛嬌はあったので、女性も営業用とはいえ笑顔で返してくれた。
だがラインが去った後、用紙の内容を見て女性の笑顔が消える。そしてカウンターの後ろにいる、もう1人の女性に機械的な音声で声をかける。
「依頼です。情報収集につき、以下の名簿に印がある人に連絡が通るようにしてください」
「了解です」
「もう1つ。調査対象はゼルバドス。コードc771。あの方に連絡が通るようにしてください」
「復唱します、コードc771、あの方に連絡をとります。ちなみに調査を依頼した人物の名前と特徴をどうぞ」
「名前はライン。身長は180cm、中肉中背、髪色・瞳の色は標準的、髪はみだれており無精髭の多い、一見すると乞食に見えなくもありませんが、立ち振舞いから腕の立つ傭兵と推測されます」
「了解しました。ラインという人物について調査したのち、あの方への連絡を行います」
ここまで言い終えると、受付の2人のかわしていた機械的な会話が嘘のように元に戻り、そのまま愛想のいい受付嬢へと再び戻るのだった。
***
そしてその後すぐに竜を駆り、戦場近くまで飛んできたラインとダンススレイブ。そこで彼らが見たのは想像だにしなかった光景だった。
「こりゃあ・・・」
「・・・ひどいな」
2人は二の句が継げなかった。現在彼らが立っているのはクルムス国境を越えた、砦も兼ねたザムウェド側の町なのだが、どうやらここで一戦交えたらしい。だが既に町とは呼べないほどひどい光景が、彼らの目の前に広がっていた。
町は既に廃虚だった。建物は焼かれ、崩され、なぎ倒され、その辺中に死体が転がっている。町は余すところなく一面火に包まれたのだろう、焼けていない死体がない。もっともまだ戦闘からそれほど時間が経ってないはずであるから、もし焼けていなければ今頃蛆が湧いてとんでもないことになっているであろうが。
だが死体は完全に打ち捨てられたままであり、埋葬しようとした痕跡すらない。戦場慣れをしているつもりだったラインですら、思わず吐き気を催さずにはいかなかった。
「ひでぇ・・・」
「ああ、我も長いこと戦場を巡ったがこれほどひどいのは珍しいな。特に・・・」
「特に?」
「自軍の死体すら放置とはな」
「なんだと?」
焼け崩れた街を歩く2人だが、ダンサーの指摘通り鎧兜姿の兵士もいるため、どうやらクルムス側の死体もそのままのようだ。普通は戦死者の遺体は回収され、遺族の元に送り届けられるのが戦場の掟だ。それが無理なら、識別証だけでも持って帰るのが義務である。だが目の前の死体を見る限りでは、そのような配慮は一切された様子が無い。それどころか占領地であるはずの、この町を統治する部隊が一切いないのもまた不可思議な話である。
「どうやら人っ子一人いないようだな」
「そのようだ。だがそれもまたおかしな話だ。普通は町が戦場になりそうなら、非戦闘員は疎開させるはずだから、もうそろそろ難民が戻って来てもよさそうなものだが?」
「そんな暇すらなかったってことか。いや・・・どうやら違うようだぞ?」
「何? これは・・・そんな、まさか・・・」
ダンススレイブは思わず両手で口を覆っていた。ラインも苦虫をかみつぶしたような顔をしている。2人が見ているのはザムウェド内地に向かう方向の町の外だが、その辺中に死体が転がっていた。野生の獣や魔物に荒らされてひどいことになってはいるが、間違いなくこの町の住人だろう。女、子ども、老人。おかまいなしの虐殺だった。
「逃げようとしたんだ・・・それを片っ端から」
「殺したというのか。バカな、狂っている!」
「実際狂っているんだろうな。これは人間のやり口じゃない、魔物でもここまで徹底的にはやらんだろ」
「じゃあなんだと?」
「さあな。だが答えは先にあるだろう・・・行くぞ」
ラインに促され、再び2人は先に向かう。この段階でラインの思惑は既に外れていた。国境警備兵を蹴散らしたのも戦力ぎりぎりのことで、どうせこのあたりの町でクルムス軍が足止めをくらっているだろうと思っていたのだ。だがそこから竜を駆けること2日。眼下に滅びた町こそ見かけるものの、クルムス軍の姿はいまだ見えなかった。
「おかしいな・・・これ以上深入りしたらザムウェドの首都にいっちまう。後はザムウェド最大の砦ランバウールと、首都ゲッダハルドしかないんだが」
「ここまでクルムスはおろか、ザムウェドの軍隊すら見なかったな」
「ああ、残骸はあったがな」
「ザムウェドのばかりだったな」
2人は黙ってしまった。ここまで見たザムウェド軍の敗北後はひどかった。既に10万近い軍隊を失っているのではないかと思わせる。ラインはもはやクルムス軍が普通の軍隊でないことは分かっており、これ以上の深入りは彼の本能が危険だと警鐘を鳴らす一方で、是が非でも知っておかなければならないこともまた分かっていた。
だが少し進んだところで、黒い煙を出して炎上する砦を彼らは見た。ザムウェド最大のランバウール砦である。
「そんな・・・落ちたのかよ。一体どうなってる?」
「我が知るか」
「そりゃそうだな。だがまだ火がくすぶっているところを見ると、落ちてからそう時間は経っていないだろう。生き残りがいないかどうか探そう」
「わかった」
2人は頷き合うと砦の近くに竜を降ろし、打ち壊された正門から中に入っていった。
続く
次回投稿は1/18(火)12:00です。