黒の巫女、白の巫女、その32~ただ一つを求める者⑩~
無機質で、血の通っていないように白い巨大な手が、アルフィリース達の方にまっすぐに伸びてきた。
「まさに追手というわけですか」
「ちょっと、どうするの!?」
「逃げるに決まっているでしょう。みなさん、揺れますよ!」
グロースフェルドが叫ぶなり、誰の同意もないままに彼は強制的に影歩きに入った。突然のことであったため、移動の際に多くの者は渦に呑まれたようなぐるぐるとした天地のわからぬ回転感を味わったが、さすがに宮殿内に降りた時には酔いのことも忘れるように、戦闘体制に入っていた。
目の前には、白の十位。その横には、神将と思しき男が二人立っていた。昼とは違う、明確な殺気。完全にアルフィリースたちを敵とみなし、狩りにきた証拠であった。今更話し合いが通じそうな雰囲気はない。
だが殺気を放ちながらも、白の十位は静かに声をかけていた。それがまずは文化的で、義務だとでも言わんばかりに。
「皆様、部屋にお戻りいただけると何事もなく終わります。今なら何事もなかったこととして、胸の内に収めましょう。どうか賓客としての姿勢を崩されませんよう、お願いいたします」
「戻らないと言ったら?」
「客人でなければ、ただの異物。異物がこの宮殿内にあるのを、私たちは許せません。おわかりか?」
「十位」
グロースフェルドがぴしゃりと十位を咎めるような声で制した。その声に、思わず十位の背筋が伸びたと、アルフィリースはわかっていた。
「変わりませんね、あなた。争いを嫌うのは、昔と本当に変わらない。あなたは優しい子だった、彼岸の一族にはふさわしくないほどに」
「・・・大司教。ですが私は」
「皆まで言わずとも結構です。わかっていますよ。ええ、わかっていますとも。あなたが優しいのも、本当は自分たちの行動に疑問を持っていることも、そして会話の最中につい集中が途切れることも」
白の十位がはっとするのと、背後から影歩きで現れたベッツが十位を刺したのは同時だった。ベッツの刺突は正確に十位の心臓を貫き、その命を確実に奪っていた。そのまま腰の二刀を抜き放ち同時に神将めがけて打ち込んだが、それを許すほど神将も甘くない。だが彼らの背後から猛然と突撃したゼルドスとヴァルサスの攻撃は、神将二人の首を同時に落としていた。
「あーあ、これでオリュンパスとも切れたな」
「よく言う、ためらいなくやったくせに」
「急所を外してたら俺が反撃で死んでらぁ。そんな余裕のある相手じゃねぇだろうよ。それにしても、変態神父の方がよかったのかよ。お前の知り合いじゃねえのか?」
「・・・いいんですよ。こうなることを私は以前から警告していました。ですが、誰も私の言葉に耳を傾けなかった。よほど人徳がなかったようだ」
「そうですね。私もあなたのことは嫌いでした、大司教」
背後には九位が音もなく出現していた。そしてさらにその背後には今後は神将が四人。間髪入れずルナティカが投げた短剣は、地面から生えてきた金属の樹に絡めとられていた。からめとった剣はぽいと放り出され、どうやらルナティカのことなど歯牙にもかけていないらしい。
一度に自分を殺せるだけの決め手がないと考えたのか、九位が神将たちを散開させながら話しかけてきた。
「最初は敬虔な白の信奉者だと思っていたのに。いつからかあなたは我々を惑わすようなことばかり行ってきた。裏切り者のミーシャトレスの書籍を隠し持っていたようですが、毒されでもしましたか」
「それは違うぞ、九位。ミーシャトレスのことはきっかけに過ぎない。私はより良いオリュンパスの――彼岸の一族の形を求めたのだ。予言を信じるのはよい。そのためにただひたすらに血を濃くして優秀な魔術士を作り上げるのもよいだろう。だが、その先は? 予言が成就し、安寧が訪れたらその先は? そのことを誰も考えていないことを、私は危険だと考えたのだ」
「そんなことは、悲願が成就した時に決めればよいことです。我々のあずかり知らぬことだ」
「その考え方が良くないと言っている! 幼い子どもならいざ知らず、そなたももう一族を代表する魔術士となったのだ。思考放棄すれば、何千何万という民が路頭に迷うこともあるだろう。それがなぜわからぬ。予言の時はすぐそこに迫っているかもしれないのだ。それに安寧も混沌もその形を明らかにしていない。そのことをどうして――」
「戯言は結構だ。死ぬがよい」
九位が頭上に左手を掲げ、突如として大きな光の玉が出現したかと思うと、その手を振り下ろして光の玉を投げつけようとする。アルフィリースたちは慌てて防御魔術でそれを相殺しようとしたが、いち早くレイヤーが飛び出してマーベイス・ブラッドで光の玉の横腹を打ち付けて弾いていた。九位が驚くのと、弾かれた光の玉が神将二人を巻き添えにするのは同時。光の玉が轟音と共に爆発し、レイヤーは音と光に紛れて九位の命を狙わんとシェンペェスを手にしていた。
レイヤーの行く手に残った神将二人が立ち塞がる。だがレイヤーは彼らとまともに打ち合わず、少々の傷を覚悟で突撃した。神将二人に傷を負わされながら、レイヤーの剣が九位の眼前で金属の樹にからめとられて止まっていた。ふっと、驚愕から安堵の表情に九位が戻った瞬間、目がかっと見開かれ、そして前のめりに彼女は倒れていた。後頭部には、ルナティカの放った曲剣が突き刺さっていた。
だが神将は九位が倒れたにも関わらず、レイヤーを仕留めるべく即座に切り返した。がら空きの背中に向けて必殺の一撃が打ち下ろされるかと思ったが、それよりも早かったのはセイトとヤオの突撃。神将二人を蹴飛ばし、ウィクトリエの追撃の魔術が神将に襲い掛かると、その隙を突いてレイヤーは脱出した。そして神将二人が再度体勢を整える時には、もう既に彼らは影歩きで姿を消していた。
続く
次回投稿は、11/4(水)23:00です。