黒の巫女、白の巫女、その28~ただ一つを求める者⑥~
「どうやら安全のようですね」
「夢の世界に侵入者がいるとでも?」
「彼岸の一族――白の位階にある者達は世の魔術士とは一線を画します。ライフレスが十人いるようなものだ。わかりますか?」
「ライフレスとは魔術士として質と志向性は違うけど、言いたいことはなんとなくわかるわ。それで、何の用かしら?」
「忠告と提案を。出された物には一切手を付けていない?」
「ええ、そのはずよ。男たちの方は知らないけど」
「男性たちの方は直に忠告をしておきました、部屋が近かったもので。何も影響を受けていないのならまだ手はある」
グロースフェルドは声を顰めた。誰にも聞かれたくないといわんばかりに、誰かがいつも聞いているといわんばかりに。
「眼が覚めたら今晩中にでも、ここから逃げることです」
「逃げる? どうして」
「聞かずとも、理解していると思いますが。彼らは意図するとそうでなくとも、自らの領域に取り込んだ者を殺してしまう。それは物理的に、精神的に、社会的に。ただ一つ明確なのは、この領域に入った者は無事ではいられない。
ラ・フォーゼにその気はないかもしれません。ですが、ラ・ミリシャーはどうか。今の貴女を見て考えを変えたかも。それに白の二位、三位はともかく、四位は貴女を疎んじている。全てに無関心な二位、三位と違って、彼は異物を極端に嫌いますから」
「歓迎されていないのはわかるわ。でも、あなたを信頼もできない。どうしてあなたがここにいるのか、そして彼らに詳しいのか。話せるかしら?」
アルフィリースの言葉に、グロースフェルドはためらいがちに応えた。
「・・・できれば内密に願います。ブラックホークは、オリュンパスと関係のある傭兵団です」
「彼らの尖兵だということ?」
「そこまでは従属していません。ですが、大陸の状況をつぶさに報告しているのは事実です。もっとも、そのことを知っているのはヴァルサス直属の零番隊の一部と、隊長数名だけ。その代りとして、我々は活動資金と調度品を得ている」
「ああ、そういうこと。どうりでブラックホークの隊員たちの装備ってあまり見かけない物ばかりだと思っていたの。全員猛者であることに違いないけど、それにしても装備が上等だったわ。お金で買えないものもたくさんあるだろうしね」
「元々西側での活動が多いというのもありますが、西で活動する以上オリュンパスの影響は避けられません。かといって、東ならアルネリアが同じ働きをするでしょうが」
「アルネリアはそこまで高圧的かしら?」
「最高教主の秘蔵っ子であるミランダと親友であるあなたは感じないでしょうね。ですが、もっと実態はえげつない。巡礼の一部はただの殺戮集団だ。実際、獣人たちの南部では――いえ、よしましょう。今はそれも関係ない。
ともかく、我々は定期報告のためにここに来ています。ヴァルサス、ベッツ、それにゼルドス。それぞれの武器を新調する意味もありますが、団員の武器も一新しますしね。それも終わり、そろそろ発とうというところでしたが――」
「そこに、私たちが来たと」
グロースフェルドは頷いた。
「貴女の来訪は私にとっても、おそらくは彼岸の一族にとっても予想外の出来事。ラ・フォーゼだけは予想していたかもしれませんが」
「どういうこと?」
「貴女たちは対をなす存在です、放っておいても惹かれ合う。ここでなくともどこかで、きっと出会ったでしょう。やや早かったかもしれませんが、決して遅いというわけでもない」
「赤い糸でつながれてるみたいじゃない」
「因果の鎖では、間違いなくつながれているでしょうね」
アルフィリースは渋い顔をした。
「抽象的な表現は嫌いよ。もってまわった言い方も。何を知っているの?」
「――口にすれば本当に現実となってしまうこともあります、多くは言えません。ただ、今はここから逃げた方がいい。現時点でラ・フォーゼと貴女の実力には、天と地ほどの開きがある。ラ・フォーゼに貴女を害する気持ちがなくとも、猛獣にじゃれつかれる子猫のようなものです。ラ・フォーゼと関われば無事では済まない」
「なるほど。具体的な方策は?」
「白い月が中天に差し掛かる頃、そっと部屋を出てください。貴女たちを上手く誘導してみせます。ただ導きに従ってくれれば結構です」
「いいでしょう。ただあと二つだけ。どうして私たちにそこまでしてくれるの?」
「ヴァルサスが認めた人だからですよ。ヴァルサスは不思議な人間だ。特別な能力を持たずとも、本能で運命の分岐点を嗅ぎ分ける。そしていまだ一つも外したことはない。ある意味では、人間には非常に無関心だと言いかえてもいいでしょう。だがその男が貴女のことを気にかけている。それだけで理由には十分。私も貴女のことに興味はありますが、何せ人を見る目がないものでね。愛した女性の本当の気持ちにすら気づけない、甲斐性なしの男ですから」
「自虐は他所でやって頂戴。あと一つ、どうして『あなた』がここにいるのか、ということよ」
「・・・私は元オリュンパスの人間です。その経歴を生かし、彼らとブラックホークの橋渡しをしている。それで十分な理由になりませんか」
「オリュンパスの手の者でないという保証が?」
アルフィリースの指摘に、グロースフェルドがぐっと詰まった。
「・・・そればかりは、私を信じていただく以外にありませんね」
「言い訳をしないところは気に入ったわ。随分軽薄な人間だと思っていたけど、違うのかしら?」
「いえ、どちらも私ですよ。ただ、時と場合くらいは選びます」
「なら、予定通りに」
「ええ。くれぐれも言っておきますが、機会は一度です。そして彼らに見つかれば終わりだと思ってください。彼らと戦うのは、まったくもって無意味だ」
「そうでしょうね」
アルフィリースの返事を聞き届けると、グロースフェルドはすっと夢の世界から離脱した。そして意識が自分の体に引き戻され、ゆっくりと覚醒した。体はブラックホークにあてがわれた部屋の中、応接間に背もたれの深い椅子に腰かけていた。目の前には、真剣な顔で持参した本を読んでいるヴァルサスがいる。ヴァルサスは字を目で追いながら問いかけた。
続く
次回投稿は、10/27(火)23:00です。