黒の巫女、白の巫女、その20~火の山⑬~
「なんだテメェ!」
「・・・」
グンツの激昂にも、男は一切答えない。寡黙で一際大きな体格のその男がじろりとグンツを睨むと、グンツもそれ以上凄むのが躊躇われた。
そして全く別の方向から、全く別の男が一人。こちらは巨大な戦槌を背中にさし、殺気の一つも出さずに歩いてきた。その傍には、肌が透けそうなほど薄い絹に身を包んだ女性が一人付き添っている。女性はグンツとアルフィリース、それに竜人たちを見据えると高らかに宣言した。
「双方、剣を収めるがよいでしょう。この戦いはオリュンパスが預かります」
「オリュンパスですって?」
アルフィリースやリサよりも先に、ミュスカデが驚きの声を上げた。アルフィリースたちもオリュンパスという名前だけは知っている。東のアルネリア、西のオリュンパス。互いに異なる教義で構成された二大宗派は、事あるごとに衝突してきたと言われている。
彼らの名が世に出たのは、古くはアルネリアの記録が初めてと言われている。アルネリアが人間の版図を広げ、その勢力圏が大陸中央部を超えた時、初めてと言ってもよいほどアルネリアは自分たちに抵抗する人間の大勢力とぶつかった。それがオリュンパス教会である。
実戦部隊を指揮する十二の神将と言われる猛者と、仙女と言われる絶大な魔力を持った魔術士たち。彼らは当時のアルネリアの遠征部隊と互角以上の戦いを行い、双方に甚大な被害をもたらした後、彼らの間には基本的に相互不干渉という条件で和議が交わされた。以後、当時戦端が開かれた場所を境界とし、西がオリュンパス、東をアルネリアの勢力圏とした。だがそれからも互いの勢力はこまごまとした争いを続け、勢力圏は長い歴史の中で勢力圏が微妙に変更されることも多かった。以後大陸の西、東とは彼らの勢力圏をことを意味し、大陸中央部とは、彼らの勢力が及ばない緩衝地帯のことを指している。
ミリアザールは長い歴史の中で幾度となくオリュンパスに揺さぶり、あるいは挑発をかけていたが、彼らの目的や実体がいまいち掴めないままだった。彼らの起源はどうもアルネリアよりも古そうなのだが、誰が創設者なのかは誰も知らないようで、またそのこと自体に重きもおかれていなかった。
時に彼らは一切の戦いを拒むかと思えば、勢力圏内の争いには相手が人間でも魔物でも、積極的に介入した。長らく外から、あるいは戦いを仕掛けながらミリアザールが掴んだことは、彼らが御子と呼ばれる絶大な魔力を持った人間を常に教主として崇めていることと、大陸の東側にはなんの興味も抱いていないことだった。
とりあえず全面的に戦う必要がないと悟ったミリアザールは、オリュンパスのことを捨て置き、以後内政に力を注いだ。オリュンパスにわざわざかかずらわずとも、やるべきことは山積みだったのだから。
そうしてオリュンパスという存在は大陸の東側では有名でありながら、その実を誰も知らないという不思議な事態となっていた。ミュスカデが声を上げたのも、オリュンパスの人間が非常に珍しいからだった。
オリュンパスの女性は無表情のまま、グンツをみつめていた。そこには批判めいた視線や敵意などは一切なかったが、グンツは無言の圧力を感じざるをえなかった。グンツは魔術士としての訓練を積んだわけではないが、その女が発する魔力は、明らかに今この場にいる面々の中で群を抜いて強大であることだけはわかっていた。そう、アルフィリースや魔女よりも、はるかに。
だがそれだけであれば、グンツは飛びかかっていただろう。彼の基本的な欲求は楽しむこと。残酷な本能に従い壊すだけなのだから、女がいれば犯して殺すのがグンツにとって最も自然な行為だった。だがグンツは、自分でも奇妙なほど自然に武器を収めていた。
「・・・やーめた」
「それがよいでしょう。無駄に戦う必要はありません」
「戦いに無駄なんざねぇけどな、この場で戦うのはやめとくぜ。せっかくこいつら仲間にしたのに、無駄に頭数を減らされたんじゃかなわんからな。それにオリュンパスと揉めるなってのは、傭兵の中じゃ鉄則だぜ。
ってわけで、俺はここでサヨナラだ。また縁があったら会おうや、ねぇちゃんたち」
グンツがあっさりと青銅竜を撤収させたので、アルフィリースたちは拍子抜けしてしまった。だがオリュンパスの人間たちの意識が自分達に向くと、そうもいっていられなくなった。
アルフィリースたちは緊張と警戒をもって、この闖入者を迎えた。
続く
次回投稿は、10/11(日)10:00です。