黒の巫女、白の巫女、その16~火の山⑨~
「またか」
「お前の悪い癖だ」
「と言いつつここを去らない兄ィたちも、俺と大差ないと思いますがね。他でもない、俺のお願いってのは、外の世界のことを教えてもらいたいんですよ。あんたたち、傭兵なんでしょ? 大陸のあちこちに行ってるんですよね?」
「ええ、まあまあね。外の世界に興味が?」
タジボは目を輝かせながら頷いた。
「大有りですよ! この集落は言っちゃあなんだが、刺激が少なすぎます! 俺の目標は、いずれこの集落を出て、素敵な雌竜を探すことなんです!」
「・・・は?」
思わぬタジボの告白にアルフィリース達は目を丸くしたが、スヴァルやぺルンも頷いていた。
「誤解しないでほしいのだが、種の存続としてやはり集落に雌は必要だ。我々も今はこのよう集落にとどまっているが、そのうちに他の集落で嫁をもらうこともあるだろう。火竜の集落はここだけではないからな。だがタジボの奴は、素敵な雌なら別に火竜でなくともよいだろうなどと言うのでな・・・」
「そこだけルージュ姉に似ているからな。頭は回るのに困った奴だぜ、ったくよ」
「・・・イルはあげないわよ」
「大丈夫だよ、ママ。あのおじさん、好みじゃないから」
「お兄さんって言ってくれよ! 俺はまだ300歳ちょいだ!」
「十分おっさんじゃないですか。こじらせるのは童貞だけにしておきなさい」
「なんてこと言いやがる! 誰が童貞だぁ!」
「ちょっとリサ・・・」
イルマタルとリサがばっさりとタジボを切って捨てたので、場は明るい笑いに包まれた。そのままアルフィリースたちは火竜の歓待を受け、外の世界の話を彼らに話して聞かせた。タジボの要求に応じてのことだったのだが、スヴァルやぺルンもまた、アルフィリースたちの話に聞き入るあたり、彼らも外の世界の様子には興味があるようだった。
明けて翌日。彼らは早朝に出立の準備を終えていた。目的は、青銅竜の集落への先制攻撃。イェーガーの戦力があれば、里の守りを残したまま青銅竜の里を急襲することも可能ではないかとタジボが提案したのだ。
イェーガーの面子を加えて彼らの集落を急襲することで、その状況を探ろうということである。威力偵察と言い換えてもよいだろう。そのどさくさに紛れて、彼らの領域を抜けるのが良いだろうという結論に至った。アルフィリースたちは正直気乗りはしなかったが、状況が状況だけに、相手の襲撃を悠長に待つよりは積極的な行動に出るのが得策と考えた。
一つ良いことは、昨日までの曇天はどこへやら、本日は日光を十分に浴びることのできる快晴にも近い陽気であった。爽やかな風が差し込むこの気候なら、火山帯で温かい分過ごしやすいくらいである。アルフィリースたちは久しぶりに深呼吸するように爽やかな空気を肺一杯に吸ったが、竜人たちは不安そうな表情で空を眺めていた。
「今日は陽が射すわね。朝が来たのかどうかもわかりやしないと思っていたけど、こんな日もあるのね」
「・・・いや、ここまでの陽気はほとんど見たことがないですね。ここに住む我々にとっては、むしろ不吉かもしれない。奇襲にも不向きだがそれよりも・・・スヴァル兄ィ、こんな好天は記憶にありますかい?」
「いや、ないな。これは何かの予兆か? ブローム火山の噴煙がこれほどまでに少ないとは」
「まぁ出立には向いているだろうさ。ブロームの空気は俺たちにはともかく、人間にとっては長時間吸うと毒になるからな。それより出立前に親父殿に挨拶してから行くぞ」
「あれ、イルは?」
「朝早く親父殿のところに遊びにいったらしい。そこにいるだろ」
ぺルンに促されてアルフィリースたちはウンブラの元に向かったが、彼の洞穴から出てきたのは意外な人物であったのだ。
中から出てきたのは長い黒髪がたなびく、人間離れした美しさの女性。背も高く、アルフィリースと同じかやや高いくらいであった。その人物を見るとアルフィリースを始め竜人たちも呆然と見つめるだけだったが、その女性もまたぼうっとしてアルフィリースの方を見つめていたのである。
そしてアルフィリースだけが、彼女が誰であるかに気付いていた。その目の輝きに覚えがあったのだ。
「・・・イル?」
「ママ、ちっちゃくなったねぇ」
人懐こかった面影をそのままに、すっかり妖艶になった笑い方に思わずその場の全員がどきりとした。
「イル、本当にイルなの?」
「そうだよ? やっぱりママにはばれちゃうのか。なんでわかるのかなぁ?」
「その姿は、幻身なの?」
「んー、それはねぇ・・・」
「なるほど、これがイルマタルとわかるからこそ、真竜と縁を結べるのか。いや、すまないな。私のせいなのだよ」
さらに中から一人、若い竜人が出てきた。ぺルンやスヴァルも随分と体躯の立派な竜人だが、それにもまして一際立派な竜人であった。その体つきだけなら、ドライアンと互角なのではないかとセイトやニアは感じていた。
竜人たちも一瞬誰かわからなかったようだが、スヴァルが驚いたように声を上げた。
「・・・親父殿か?」
「そうだ。この体になるのは久しぶりだが」
竜人がにいっと笑って見せた。その笑い方には、どこか得意げでもあり、そして自信に満ちていた。
「闘気や鍛錬で若さを保つこともできるが、さすがに俺も限界でな。だが今日ばっかりはこの姿でいさせてもらおう。やはり若いというのはいいな」
「いや、だが――どうやってその姿に?」
「幻夢の実の存在を教えたことがあるな?」
「あ、ああ。確か自分の最盛期の体に戻す果実だとかなんとか。でもほとんど今は取れないっていってたじゃないか」
「あれ、まずかったよぉ」
イルマタルがうえっというような仕草をしたので、ウンブラがその頭を撫でていた。
「止める暇もなく実を口に放り込むからだ、馬鹿者」
「だってぇ」
「えーっと、じゃあその幻夢の実とやらを食べたせいで、イルはこんな姿に?」
「そのようだ。希少な実だし、幼い者に使ったことはなかったが。俺は単純に若返りの効果だと思っていたが、どうやら若い者が使うと、成長した姿になるらしいな。それが本当に成長した姿そのものかどうかはわからんがね」
ウンブラがしみじみと感心したように言っていたが、イルマタルの姿は目に毒だった。何せ、服は幼い姿のそのままなのだから。
アルフィリースが外套を貸してやりながら、ウンブラの説明を聞いていた。
「お前たちは三人とも彼らのを案内してさしあげろ。守りは私がやる」
「なるほど、そのためにその姿に」
「・・・元に戻った時に反動があるはずですよ、親父。起きるのもままならないあんたが、そんなことをしたらどうなるか。どうしてそこまで」
タジボの懸念に対し、ウンブラは何も応えなかった。代わりにアルフィリースに向けて、一つの剣を差し出していた。
「報酬の件だが、昨日里に残っていた人間が使えそうな武器を見たが思ったより種類が多くてな。選ぶのにも一苦労するだろうから、勝手ながらこちらで選ばせていただいた。この剣なら使いやすかろう。そなたの剣もそれなりに業物だが、そなたの魔術も使う剣士である以上、そなた本来の戦いには向かないだろう。
これはかつて俺とサーペントで鍛えた剣だ。黒竜の鱗を使い、俺が火を噴き、奴が冷やす。そうして鍛えられた剣は、魔術の使用にも耐える剣だ。黒鱗剣とでも呼ぶか」
「なるほど。それにしてもサーペントとお知り合い?」
「うむ。子どもの頃からの腐れ縁だ。もっとも俺はせいぜい二千年も生きていないのだから、あちらにしてみれば子どもに絡まれただけだろうがな。だがルージュのことはすっきりしたよ。まさか自分よりも歳が上の男に娘がもらわれてしまったのでは、いまいち釈然とせんからな」
「随分と人間じみた考えの火竜ですね」
リサの皮肉にもウンブラは笑って返した。
「そうだな。昔は人と竜の距離も、もっと近かったのだ。青銅竜も蛇竜も、もっと邪悪な竜もいたが、力のある人間は認める者が多かった。今は人も竜も小粒ばかりだ。人間の娘よ、真竜との縁は大切にするがよい。それがいずれそなたを救うだろう」
「そんなことは関係ないわ、私はこの子に対して責任があるもの。それに可愛い子は放っておけないじゃない? それより、イルは元の姿に戻るのでしょうね」
「心配ない、その姿はもって一日。元に戻ればそれきりだ」
「ならいいけど」
アルフィリースは釈然としないものを感じながら、イルマタルに服を着せるためその場を一度後にした。残された息子たちを、ウンブラはそっと呼び寄せる。
「お前たち、後のことはわかっているな?」
「はい。我々も青銅竜の里を出て、他の火竜の地へ救援を求めに行くのですね?」
「それもそうだが、タジボ。お前は彼女たちについて行くのだ」
「へ? そりゃまた願ったりですが、なんで」
タジボは予想外のことを言いつけられたので、さすがにきょとんとしていた。だがウンブラは真剣だった。
「真竜の娘と縁を結べる人間。そんな人間が唯人でいるはずがない。それにあの娘――アルフィリースのことはグウェンドルフから使い魔が来ていてな、よろしく言われているのだ。とはいえ会いもしない娘に何もできようもないと考えていたが、わが里を来訪しておいて何もしなかったとあれば、火竜の名折れ。本来なら三人とも良い機会なので外の世界を見せに行かせたいのだがな」
「嫁ももらわないといけませんしねぇ」
「それももっともだが、やはりあの娘を見て確信したよ。妄執の塊と化した娘を強制的にではなく昇華させるなど、ありえないことだ。それにあの娘が来てから、火の精霊がより多く舞っておる。あの娘には何かがある。あの娘の存在が何を意味するのか、しかと見届けてまいれ」
「族長の言いつけとあればもちろん。ブローム山の火竜の族長ウンブラが一子タジボ、謹んでお受けいたします」
タジボは恭しく礼をしたが、内心では自分本位の興味でいっぱいだった。タジボが本当の意味でアルフィリースと共にいることの大変さを知るのは、しばし後のことである。
続く
次回投稿は、10/3(土)11:00です。