中原の戦火、その2~少年と騎士と~
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ダンススレイブが少年を助けに行く一方、ラインは彼女と反対方向に歩き始めていた。だが特に目的があるわけではなく、彼の足取りは重い。賭博にも娼館にも、行く気が失せてしまった。単純に意地を張っていたという部分が大きく、うしろめたいせいだろう。
ラインは元々正義感が非常に強い人間である。彼は正義感から面倒事に首を突っ込みつづけ、最後には自分にとって一番大切なことが何かを見失ってしまった。そのことを今さら悔やんでも悔やみきれるものではない。だから彼は正義感から面倒事に首を突っ込むのを止めることにし、今度こそ本当に大切なことを見極めようと、彼は軍を辞めて国を飛び出した。
だが国を出たことで、彼は逆にやることを見失ってしまった。世の中に本当に大切な事などそうそう見つかるわけもなく、彼はこの数年を逃げながら無為に過ごしている。
「何やってんだ俺は・・・」
騎士を辞めて国を飛び出しても相変わらず振っているのは剣であり、そして今もダンススレイブの言葉が気になって後ろ髪をひかれている。本当なら剣を捨てる道もあったはずなのだが、騎士道を捨てたことに未練があることすら、彼は気づけていない。そして剣を振い、弱い物を助けることこそ自分の本質であろうことにも。
だが結局のところ何一つ変わっていないのではないか、ということを認めたくない自分がいるだけなのだということには、ラインは気づき始めていた。そして自分が追われる身になった原因である出来事が頭をちらつく。
――お前は良い男だよ――私にはもったいないくらいな――
国を出れば忘れられるかとも思ったのだが、むしろ後悔は強まるばかり。いまだに失くした女を想い、何度悪夢で飛び起き、眠れぬ夜を過ごしたか。
「・・・くそっ! 今回だけだぞ!?」
誰に言い訳するでもなく声を張ると、ラインはくるりと逆向きに走り出したのだった。
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一方追いかけられていた少年は・・・
年の頃は10歳より少し上くらいなのだろうか。ローブで顔を隠しているのでその表情は覗えないが、背格好から判断してそのくらいの少年である。少なくとも、そう見える。相当長い距離を走っているのか、顎は上がり息が切れ、足はもつれている。もう長くは走れないだろう。案の定路地を曲がろうとして、置いてあった木箱に足を取られ派手に転げまわる。
だが健気にもすぐに起き上がり走ろうとするが、足をひねったのかその場にうずくまってしまった。背後には追いかけてきていた男どもが、小刀を抜きながら迫ってくる。
少年はなんとか逃げようと手を使ってじりじりと後ずさるが、もはや逃げ切れないのは明白であった。と、その時少年の目の前に頭上から落下してくる黒い塊が一つ。塊は落下と同時に追手の頭にかかと落としを喰らわせ、そのまま少年と追手の間に割って入った。
「感心しないな、大人が集団で子どもをいたぶるのは」
少年の前に立ちはだかったのは、黒髪の踊り子風の女。もちろんダンススレイブである。少年も追手も何が起こったのか一瞬理解が追いつかなかったが、ダンススレイブが素手あることを見てとると、追手は無言で襲い掛かる。
「ふん」
だがダンススレイブも躊躇うことなく反撃に出た。男は5人。素手の女で相手をするのは本来難しい所だが、路地は狭くせいぜい2人を相手にすればよかった。それにダンススレイブも伊達に長年を生きてはいない。人間の状態でもある程度は戦えるように、格闘術を身につけているのだ。
それでも相手は訓練を積んだ獲物持ちの集団である。達人でもないダンススレイブが一方的に倒すというわけにはいかず、追手の剣がダンススレイブに迫る。頭部目がけて刺し出された剣に対し、ダンススレイブはためらうことなく腕で剣を払いにいった。普通ならかなりの深手を負うはずだが、
キン!
という金属音と共に、追手の剣は傷一つダンススレイブに与えることなくはじかれた。驚く男の顎に掌底をくらわせ昏倒させ、もう一人の土手っ腹に蹴りをお見舞いする。元が剣であるダンススレイブには、生半可な金属では傷一つつけられないのだ。
ダンススレイブが普通でないことを見てとった男たちは慎重に間合をとり、仕掛けてくる様子がない。その様子をダンススレイブは訝しむ。
「(おかしい・・・裏路地とはいえ長居をすれば人が来るはず。強引にでも仕掛けるのが好手だと思うが? まあいっこうに我は構わんが、さてどうしたものか・・・)」
ダンススレイブが思案を巡らせていると、路地の反対側から足音が複数聞こえた。
「しまった! 他にもいたのか」
反対側からも男たちが5人迫って来ている。それほどこの少年が重要だということになるが、今は何とかしてこの場面を切り抜ける方が先である。しかしダンススレイブに好手は思いつかない。ダンススレイブが舌打ちをし、少年に駆け寄ろうとするが、その時背後から叫ぶ声があった。
「ダンサー、しゃがめ!」
考えるより早くその場でしゃがむダンススレイブ。同時に彼女が相手にしていた男達を一瞬でなぎ倒し、ダンススレイブの上を飛び越えるライン。
そのまま反対側の5人に斬りかかり、4人を一合と交えることなく切り捨てる。最後の1人はすれ違いざま足をかけバランスを崩し、後頭部に一撃を加えて昏倒させた。まさに一瞬の出来事だった。
「(強いのは分かっていたが、相変わらず鮮やかだな)」
ダンススレイブは旅をする中でラインが剣を振うのを何度か見たが、彼は実に無駄なく最小限の動きで相手を仕留める。その剣捌きはダンススレイブが長年見た剣士の中でも、一級の美しさを持っていた。
「(我流ではなく、正規の騎士剣。それもかなり上位の腕前でありながら、戦場での研鑽も怠っていないというところか。派手ではないが、堅実だな。ずぼらな性格と違って)」
ダンススレイブの評価は皮肉交じりだが、正確なものであったろう。実際追手は結構な使い手だった。それを感じさせないラインの実力は、大した領域なのだ。
とその時、ラインが最初になぎ倒した男の1人が逃げ出した。だがラインは追わない。全員を殺すことが目的ではないのだから。
しかし男が路地から抜けようと目線をライン達から通りに向けた瞬間、彼の胸には剣が深々と突きたてられていた。同時に口を押さえられ、断末魔すら上げられず絶命する男。
ラインが気がつくと、路地は既に両方が塞がれていた。前後で合わせて20人はいるか。今度の連中はフードをつけておらず全員が顔をさらしているが、腰に剣を佩き、具足こそつけていないものの明らかに騎士だとわかる精悍な面構えをしている。
その内の何人かが路地に入って来たのを見て、ラインは剣を収めて両手を上げ、抵抗の意志が無いことを示す。真っ先に男達の中から1人が少年にかけより無事を確かめ、他の何人かは追手の生死を確認する。そしてまだ息のある者には無慈悲にとどめを刺していった。
ラインとダンススレイブのことはとりあえず後回しなのか、放置されている。だが少年の面倒を見ていた男がうなずくと、路地に入ってきた他の男達3人が剣をラインに向けた。少年はその様子を見て止めようとしているようだが、男は聞き入れない。
「何者か知らんが、済まぬがここで死んでもらう」
「おいおい、俺はそのガキを助けた人間だぞ。いくらなんでもそれは無いんじゃないのか?」
「尤もな意見だが、ここで見られたことをその辺でペラペラと話されては困るんだよ。見た所傭兵だ。傭兵という奴らは、金次第で何でもやる人種だからな。信用できん」
「そりゃそうだ。だがお前ら騎士って人種は、主人のためなら何でもやるだろうが。傭兵と変わらんどころか、大義名分をかさに来て殺人も正当化するお前らの方が、よっぽどタチが悪いや」
「騎士を愚弄するか?」
「傭兵だからって馬鹿にされるいわれはねぇな!」
ラインも色めき立つ。ラインを取り囲む男達がじりじりと距離を詰めるが、ラインはどこ吹く風だ。そしてしばしの沈黙の後、1人が動いたのをきっかけに全員が仕掛けてくる。
だがラインの対応は冷静だった。最初に動いた騎士の剣の柄を、手ごと掴んで引っ張ると、足払いをかけてバランスを崩し、他の1人に叩きつけ、余った一人の懐に飛び込み、鳩尾に拳を入れて悶絶させる。そしてまとめて吹き飛ばしたうち、上の男が起き上がりかけた瞬間に顔面を殴りつけると、そのまま喉元に剣を突き付ける。もう1人は殴られた男の下敷きになり、思うように動きが取れない。
「まだやるか?」
ラインの一瞬の早業に、路地を塞ぐ者達からもどよめきが起きる。だが少年の様子を見ていた男が立ちあがると、何かしら合図をし、少年を代わりに守る者を呼び寄せる。少年は男を止めようとしているようだが、やはり男は聞き入れる様子は無かった。
「私が相手だ」
「しつけえな」
ラインは悪態をつくが、今度は油断できる相手ではないと踏んだのか剣を構える。そのまま互いに円を描くように動きながら、距離をじりじりと詰める。
が、突然何を思ったのかラインがニヤリとすると、無造作に間合いを詰めた。男は一瞬呆気にとられるが、はっとすると気を取り直して気合と共に切りかかる。それを見たラインは、
「全然だな。戦い方がお上品すぎるぜ」
と吐き捨て、足元の土を男の顔面に向かって蹴りあげる。男は思わずのけぞり、前を向きなおした瞬間には既にラインの剣が男の喉元に突きつけられていた。
「剣を捨てろ」
「卑怯な!」
「戦いに卑怯もクソもあるかよ、何甘っちょれぇことぬかしてやがる。だからそこのガキが危険な目にあってんだろうが」
「な」
男は痛いところを突かれたのか、剣を落として絶句した。だがラインも勝ったはいいが、ここからどうしたものかと思案する。男を人質にこの場を逃れたとしても、追跡される可能性はかなり高い。また先ほど倒した男たちが暗殺者の類いだとすると、ことの成り行きはどこからか見られていてもおかしくない。要は二重に追跡される可能性があるということである。
だから面倒くさいのは嫌なんだとラインは考えつつも、自分から首を突っ込んだのではいたしかたない。決定的な案が思い浮かばないまま時間が過ぎるが、ふと少年がおぼつかない足取りで立って、こちらに近づいてくるではないか。それを止めようとした者の手を払いのけるようにして。
「剣を収めてはいただけないでしょうか?」
少年の口から発せられた言葉には力があった。大きくはないが、力のある響き。先ほどまでは怯えていた様にも見えたが、今は微塵も感じさせない。しかも丁寧な言葉遣いに、ラインはおそらく少年は貴族だろうと想像をつけた。
「嫌だね。収めた瞬間、よってたかってバッサリされない保障がどこにある?」
「ご心配なく。私の名前において命令を出します」
「なら名前を名乗りな。どこの誰とも知らないガキに、そんな権力があるとは思えん」
「いいでしょう。私は・・・」
「いけません!」
「黙りな!」
少年の名乗りを止めようとする男の胸倉を、さらに捻り上げるライン。男は苦しさに顔をしかめるが、目は少年を向いたままだ。その男に軽く頷き、少年は名乗りを上げた。
「私の名前はレイファン。レイファン=クルムス=ランカスター。クルムス公国第二王位継承権を持つ、第一皇女です」
続く
次回投稿は、1/14(金)12:00です。