黒の巫女、白の巫女、その10~とけた大地④~
「そなたは――オーランゼブルの仲間か?」
「形の上ではな。だが私はただの傍観者だ、誰の味方でもない。名はユグドラシル。もっとも、それはアルフィリースにつけられたものだが」
「アルフィリースに? そうだ、アルフィリースは」
「無事だ。もちろんイルマタルもな。すんでのところで彼らは逃げ切ったよ。この大地で起きたことを考えれば、まさに奇跡としか言いようのない逃れ方をした。やはり彼女はまだ死ぬ運命にはないようだな。
それをお前は真竜の長でありながら、簡単にウィスパーごとき人間に乗せられたな。先程の情報は真っ赤な嘘だ。真実を確かめもせず嘘に乗せられ怒り狂うなど、恥を知るがよい」
「ぬ・・・」
アルフィリースとイルマタルが無事と聞かされ多少平静を取り戻したグウェンドルフだったが、上からの物言いはさすがに頭にこぬでもなかった。だがそれは全くの正論であったので、グウェンドルフも黙って聞き入れざるをえなかったの。
その奥歯で苦虫を噛みつぶしたようなグウェンドルフの表情を見て、ユグドラシルもため息をついた。
「まあ、しょうのない部分もある。ウィスパーの能力とは元来そのようなものだし、お前が短慮であったことを差し引いても結果は同じだったかもしれん。今の言葉を我慢できるだけでも、昔よりは成長しているようだと評するべきか。ただ、どこまでオーランゼブルもこの展開を意図したのかは、はなはだ疑問だがな」
「オーランゼブルの意図ではないと?」
「少なくともバイクゼルの覚醒はそうだろう。真竜の長としてダレンロキアの知識を得た貴様なら、その名を知っているはずだ」
「バイクゼル――確か、このノースシールに封印された強大な魔物だったと記憶している。古竜達が総出でこの大地に封印したとか。以降この大地はバイクゼルの影響で、雪が解けぬ地になったと聞いている」
「まあその程度だろうな。お前はその話を聞いても何も疑問に思わないのか?」
「疑問だと?」
「どうしてそんな魔物が単一発生したと思う? 偶発的に発生したのだとしても、なぜその後同じような個体が発生しない? それに力もこの大地を破壊して余りあるほどだ。過剰過ぎるとは考えないのか? バイクゼルの種族はそもそもなんだ? 目的は? どうして倒すのではなく封印された? きっとアルフィリースならこういった疑問を抱くだろう。お前は暴れ者のくせに、妙なところで素直過ぎる。言われたことをそのまま記憶するだけでは、真竜の長は務まらんぞ。
まぁノーティスの奴めは、頭が回りすぎて逆に扱いに困ったのだが」
「むぅ」
ユグドラシルの言うことはいちいち尤もなので、グウェンドルフは黙らざるを得なかった。同時にユグドラシルの投げかけた疑問に関して、全力で頭を巡らせていた。
「ではお前は、それらの答えを全て知っているというのか」
「当然だ。でなければこれほど偉そうに問いかけはしない。お前の前にも今日現れるつもりはなかった。時計の針が強引に進まなければな」
「時計の針?」
「見ていればわかる。先ほどの問いかけの答えが、目の前に現れる。ライフレス、ティタニア、ウィスパー、それにアルフィリースにとりついていた名もなき者もいなくてよかった。彼らが目にするには、少々衝撃的な光景だからな。ドゥームだけは油断なくこの光景を見ているが」
「何?」
「心配するな。私が魔法でドゥームの視界に限定的な影響を与えている。奴が見ているのは落ち込んでいるお前だろう。私の姿は見えていないし、これから起こることも気付きようがない。奴もまさか自分が見ているものが幻影だとは思っていないだろうよ。それより見ろ」
ユグドラシルが指さした先で、グウェンドルフは信じられないものを見た。いや、それこそ幻影としか思えない光景が見えたのだ。
グウェンドルフに両の瞳に移ったのは、山を一跨ぎで越してくる、在り得ないほど巨大な大きさの生き物。それは非常に巨大なヤマゾウのようにも見えたが、禍々しさが群を抜いていた。体表は黒く、巨体に似合わぬその存在の無さ。それら全てが異質の存在だった。
「あれは、なんだ!?」
「単に、終末の獣とも、精霊喰とも。虚ろなる者と呼ぶものもいるな。お前達は知っているはずだ。いや、正確には真竜はあれを見張る番犬ならぬ番竜なのだ。代々お前たちの役目となっている、天空から地上を見下ろす。それの本当の意味を族長であるお前はダレンロキアから語られているはずだ。それとも、奴はさぼったか? お前が聞いていなかったのか?」
「本当の意味・・・?」
グウェンドルフは必至で思い出す。さすがに族長の地位を継ぐ時、当時暴れ竜として知られたグウェンドルフも真摯にその役目を聞いた。一言一句違わず、空で言えるようになるまで彼らの口伝は聞かされ続ける。それを百日、一言一句間違わずに諳んずるように言えて、初めて族長の口伝は受け継がれる。だがその意味を紐解くのは、まさに千年以上ぶりだったが。確かに、その中に思い当る一節がある。
――黒く蠢く者。それは時の狭間に現れ、刹那に消える。戒めよ。数多の蠢く者を見る時、お前の伝える役は終わり、問いかける者になる――
なんのことやら具体的なものは何一つダレンロキアは教えてくれなかった。むしろ、ダレンロキアその竜も、その意味を正確には知らないのかもしれない。だが、それはこのことを言っているのではないのか。
そして口伝にあるということは――
「これは・・・過去にもあったことなのか? 答えろ!」
「さてな。言った通り私は傍観者だ。お前の問いに答える口は持たん。お前が問いかけるのは、また別の者だよ。それよりも、急ぐな。いかに傍観者の私といえど、やるべきことはある。ヴェズルフェルニール、いるか?」
「はい、こちらに」
ユグドラシルの呼びかけに応じたのは、グウェンドルフの背後に立つ美しい女性だった。白の薄絹に身を纏い、背中には巨大な鷲の翼を備えている。一目で強大な存在だとわかるその圧力なのに、グウェンドルフは背後に立たれるまで何の気配も感じなかった。
だが彼女はグウェンドルフなど視界に入っていないかのように、ユグドラシルと話をしていた。
「私の解放には少々早いのではないですか?」
「時計の針が予定より早く進んだのだ、しょうがあるまい。いや、進められたというべきかな。でなければ私が動けはすまいよ」
「なるほど、修正というわけですか。ですが私も急な呼び出し故、本来の役目と同時に行うのは少々困難が伴いますが」
「構わん。代わりとはいえんが、カレヴァニアがいる。今のところはそれで十分と言わざるをえない。ただカレヴァニアも、いまだ正しき導き手を得たとは言い難いがな」
「むしろ不純物が入り込んだが故の、この事態なのでは?」
「言うな、完全な導き手とはなれぬさ。だからこその私だ」
「確かに。私の意見することではありませんね。では私は、私の役目を果たすとしましょう」
「そうしてくれ。私ではなんともならんからな」
「あなたが力を振るうことがあれば、それこそ憂慮すべき事態でしょう。そのような時が来ぬことを願いますが」
「私もだ」
それだけのやり取りの跡、ヴェズルフェルニールと呼ばれた女性は消え、直後、巨大な虚ろなる者は跡形もなく足元から消えていった。その消え方はまるで蜃気楼が地面に溶け込むようであり、跡形も残していなかった。ただ、それが歩いたであろう場所からは、雪は跡形もなく消えていた。
目の前の信じられない事態にまたしてもグウェンドルフが呆気にとられ、はっと我に返った時、既にユグドラシルの姿はなかった。そこには意識を失ったまま、傷が回復に向かっている真竜達と、呆然とするグウェンドルフだけが取り残されているのであった。問いかけても答える者のない空に向けて、グウェンドルフは自らの鬱積を全て吐き出すように、大きく吠えていた。
続く
次回投稿は、9/22(火)12:00です。連休中は連続投稿します。私が息切れしない限り・・・