黒の巫女、白の巫女、その8~とけた大地②~
「ライフレス――あなたは知っていたのですか?」
「俺を舐めるなよ? 魔術や魔法についてはお前たちの誰よりも詳しいつもりだ。英雄王の他にも、魔導王などとも呼ばれたことのある俺だ。自分の体にある異変には気づいていたさ。だが実を言うと、アルフィリースの監視という暇な任務を押し付けられた時に気付いたのだがな」
「では、なんとかならないのですか?」
「難しいな。この魔術は俺の本質に食い込んでいる。今のところそれほどの不自由は感じないが、俺自身の手では解除もできんようだ。こればかりは対策を練りつつ、機を待つしかあるまい。それに気になることもある」
「気になること?」
「ドゥームだ。アノーマリーも奴のことをかなり警戒していた。あの餓鬼が何を考えているかそれとなく見張っておこうと思っていたが、ますます目の離せない相手になりつつある。気づいていたか、ティタニア。単純に率いる悪霊の数だけとっても、倍増していることに」
「――なんとなくは」
ティタニアも表情を引き締めた。ドゥームの変容には誰もが気づいていたのだが、全員がそれなりにやることがあるため、それほど問題にはしていなかったのだ。
だがライフレスは今回の一件でドゥームを大幅に警戒しているらしい。
「群体を自由に使えるということは、いつでも好きな時に奴は軍勢を展開できるということだ。我々相手ならそれほど脅威ではなくとも、その力を使い方によっては恐ろしいことが起きる。どこまで奴が気付いているかは考えたくもないな。
俺はオーランゼブルの元でドゥームを見張る。それにアノーマリー亡き今、俺にはドゥームの知識も必要でな」
「?」
ティタニアにはわからないことだったが、ブランシェの体調管理はアノーマリーが行っている。アノーマリーが作った魔王であるブランシェは、その体の構造一つとっても人間とは違う。それにブランシェ自体がアノーマリーの特別性で実験段階であったため、アノーマリー自身にも今一つわからない点が多かった。
ライフレスも知らないことだが、ブランシェの組成はセカンドやクベレーに近い。アノーマリーにとっても、ブランシェという個体は特別だった。ゆえに、その管理はアノーマリー亡き今、その知識を少しでも受け継いでいる可能性があるドゥームの力が必要となるのだ。ライフレスにとっても、苦渋の決断でしかない。
そんな苦悩などどこ吹く風なのはウィスパー。彼は既に用を成したからなのか、この大地に興味を失くし始めていた。
「さて、他に用事がなければ私は去らせていただきますが」
「おう、誰も引き止めんさ。そうするといい」
「ならば遠慮なく。ああ、それと二つほど忠告を。私が去るとこの真竜たちは狂ったまま統制を失くすと思いますが、後始末は任せますよ。後のことはオーランゼブルには何も指示を受けていませんし、それに貴方たちがいるとは全く思っていませんでしたので」
「何!?」
「それと、怒り狂って見境のないグウェンドルフの相手は御免ですね。命がいくつあっても足りやしない。では、皆さまごきげんよう」
形だけのあいさつを残して、ウィスパーの気配が消えた。そして誰も何も考える暇もなく、ウィスパーの気配が消えると同時に、北の大地に半分腐った真竜達の咆哮が響きわたる。威厳の欠片もない濁った咆哮だったが、どこか悲しく聞こえたのは気のせいではなのか。耳をつんざくその雄叫びは、離れようとしていた天翔傭兵団の耳にも届く。どの真竜もがエクスぺリオンの影響で腐っていたわけではないのだが、ウィスパーの洗脳が解けても一瞬では意識が目覚めないのか、どれもが茫としていた。
そして同時に、上空に怒れる漆黒の真竜が現れていた。殺気を隠そうともしないグウェンドルフの登場に青ざめたのは、全員が同じ。
「ぐ、このタイミングで現れるのか」
「これはまずい。私たちの顔はグウェンドルフも知っている。もはや黒の魔術士とは縁を切るつもりだと言っても――無駄だろうな」
「言ってみたらどうだ。真竜の族長は案外思慮深いかもしれんぞ」
「あなたこそ。真竜と戦いたいなどとのたまっていたような気もしますが」
「時と場合による。何の準備もないまま、怒れる真竜と戦うのは挑戦ではない。自殺と言うのだ」
ライフレスですらどこか及び腰になる中、さしものグウェンドルフも状況を掴まぬまま攻撃をするほど我を失ってはいなかった。かつてもっとも猛き竜と言われたグウェンドルフも、年齢を重ねて怒りを抑えるすべくらいは身に着けていた。だがそれも他の者に言わせれば、吹きこぼれる前の鍋を頭上に抱えるような感覚であったろう。
そして誰もがここで予想もしないことが起こった。ウィスパーが直接操っていた竜――この竜は操りやすいように完全にエクスぺリオンで正気を失くしているのだが――が、突如としてグウェンドルフに向けてブレスを放ったのだ。人間にとっては致命傷となるその毒の吐息も、真竜たるグウェンドルフには知れたもの。グウェンドルフは羽ばたきで受け流すと、吐息を羽ばたき返さず、上空に拡散させるだけの余裕があった。
だが予想外の攻撃に、グウェンドルフの怒声が飛んだ。
「何をする!」
「・・・ワレラ、ナカマのウラミをハタスナリ。ゾクチョウとてジャマはサセヌ。たとえダレがアイテデモ。それがアルフィリースや、イルマタルでも」
「・・・待て、アルフィリースとイルマタルの気配がないな。どこにやった?」
全員がはっとした。話の流れがおかしい。この真竜はそもそも、本当に意識を取り戻したのか。ウィスパーの気配はなくなったが、どうして他の竜が正気を取り戻さないのに、このいかにも死んでいそうな竜だけが動くのか。
嫌な予感は、形を成して現実となる。
続く
次回投稿は、9/19(土)12:00です。