黒の巫女、白の巫女、その7~とけた大地①~
***
その頃、アルフィリース達のいなくなった直後のノースシール。魔法の衝撃と、ティタニアの剣戟、さらには真竜達の咆哮とブレス。それらが混じり合った戦いの中、何があったのかを正確に理解していた者はほとんどいなかった。全ての衝撃が収まった後、まず全員がしたことと言えば、自らの無事の確認ですらあった。
天翔傭兵団の精鋭たちといえど、こればかりは致し方なかった。なぜなら、彼らが目覚めた時には彼らの足元にあったはずの白い大地は跡形もなく消え去り、周囲には膨大な蒸気と、ごつごつとした岩肌が出現していた。
呆然とする団員達。だがその中に一人だけ、何が起こったのか全てを理解した者がいた。その男――ラインはティタニアの喉元にダンススレイブを突きつけ、冷酷な表情で彼女を問い詰めていた。
「アルフィリースたちをどこにやった? 言え」
「どうして殺した、とは言わないのですね」
「ほざけ。さっきの一撃に込めた本気と殺気を取り違えるほど耄碌しちゃいねぇ。どこにやった?」
「それは私にも応えかねます。転移の魔術と同じく、細かな空間指定は非常に困難。ただ私は先ほどの危険地帯から離れるように念じました。ゆえにそれほど離れていなはずですが。現に仲間たちはそれ、そちらにいるようですが」
「寝言か、それは? 気配を数えろ、十人ほど足りやしねぇ。アルフィリースを含めてそいつらがどこに行ったのか聞いてんだよ。三発ほど放った斬撃の、最初の一発に巻き込まれた連中だ。心当たりは!?」
ラインの言葉にティタニアは周囲の雪煙とも蒸気ともとれぬ空気を吹き飛ばし、傭兵たちの数を数えた。確かにラインの指摘通り、人数が足りない。そこでティタニアは一度目を見張り、そして首を横に振った。
「わかりません。この剣はそれほど遠距離を移動できるような代物ではないのです。あくまで転移の能力は、副産物にしか過ぎないのだから」
「ならば、何が起こったか可能性に心当たりは?」
「誰かの魔術が介入した。それならば在り得ないほどの遠距離を飛んだことも考えられますが」
「それほどの余裕を持つ奴はここにはいない、いや、いないはず。そうだな?」
ティタニアが頷く。ラインはゆっくりと剣を引いていた。
「気が立っていたようだな、許してくれ」
「無理からぬことです。私も信用しろなどとは言いませんし、言えません」
「それならいいんだ。一つだけ。アルフィリース達は無事か?」
「無事だ」
答えたのは影である。彼女はバイクゼルにとどめを刺すべくテトラポリシュカの魔眼を行使ししたが、その代償からかかなり疲弊しているように見えた。呼吸を乱しながら、影が応えた。
「ティタニアの剣の直後、強大な魔力がこちらに向けられていた。おそらくは遠方から何かを介して使われた魔術だろうが、魔法などで力場が乱れたため転移の場所がずれたのだろう。悪意は感じられたが、殺意ではなかった。殺されていないだろう」
「わかってたのに、そのままにしたってのか?」
「悪いがバイクゼルで手一杯だ、私にもできることとできんことがある。それに、何かあればティタニアの剣を使って転移をするように予め決めておいたのは私だ。まさか気配を感じ取れない場所にまで飛ばされるとは思わなかったがな」
「どのくらい遠い?」
影はしばし目を閉じて気配を探ってから答えた。
「・・・確たることは言えんが、私とアルフィリースの間には一種の経路のようなものがつながれている。細いが、どれほど遠くにいても一方的に切ることはできないものだ。意識の共有や、もっと青臭く例えれば絆と言い換えても良い。それが切れていないということは無事ということだが、居場所がわからんとなると、少なくともこの雪原にはいまい。さて、どこまで行ったか」
「なんだ、結局役立たずか」
「なんという言い草だ。だが確かに予想外の展開だな。アルフィリースが目覚めさえすれば連絡を付ける方法はあるだろうが、もし私の想像が当たっているとすると、非常に厄介かもしれん」
「厄介?」
「アルフィリースの価値を知る人間がこの大陸には思いのほか多いということだ。今まではミリアザール、あるいはグウェンドルフの庇護が働いていたが、この予想外の事態に対応できた者は誰もいまい。そうなると手を出してきそうな者は山ほどいるが、これほどの力場に手を出せるとなると、考えられるのは数えるほどしかいない」
「誰だ、そいつは」
だが影はその答えを言わなかった。何も言わぬ影を見て、ラインもこれは聞くべき話題ではないと悟ったのか。それ以上は何も言わず、しばし影を睨んで踵を返していた。
「アルフィリースは戻ってくるんだな?」
「そのための手は打とう。私ならアルフィリースの打つ手も、ある程度予測ができる」
「いいだろ、ならアルフィリースのことはお前に任せた。俺にはやることがあるからな」
「冷たいな、心配じゃないのか?」
「信頼していると言ってほしいな」
からかった影だが、ラインはあっさりと切り返したので、つまらなそうにため息をついていた。
そして上空からゆっくりと降りてきたウィスパーに向けて、敵意を放った。
「で、お前はどうするんだ? まさか真竜の体を乗っ取って、それで終わりということはあるまい」
「・・・私はアノーマリーの始末をお願いされただけでしてね。工房を徹底的に破壊しろとね」
「私は信頼がなかったのか?」
「さあ、どうでしょう?」
ウィスパーとしても本当にオーランゼブルの意図を読み切れなかったのかもしれないが、言い方が皮肉に聞こえるのは腐っている体のせいか、それとも彼の歪んだ性格によるものか。
だがウィスパーもまたこの出来事に困惑していたのか、彼には珍しく自分から語り掛けていた。
「きっと、オーランゼブルはアノーマリーを恐れていたのですよ」
「アノーマリーを恐れる? なぜ」
「考えてもごらんなさい。下地があったとはいえ、これほどの魔王の研究を短期間で推し進めたのです。彼の頭脳は人間のそれを遥かに凌駕していた。彼がその気なら、いったいどうなっていたのか。
それはサイレンスも同じです。彼の人形が稼働しなくなってからわかったのですが、いくら簡単な命令式とはいえ、同時に千体以上を各地で操っていたのです。同じくサイレンスがその気なら、世界中で争いを起こせる。オーランゼブルとはまた違いますが、彼らも大陸の命運を左右できるだけの人物であったことには違いない。
それはそこにいるティタニアもライフレスも同じ。オーランゼブルはとかく懐疑的な人間だ。自分の部下も、おそらくは自分自身でさえも信用はしていないのでしょう。だから徹底的にアノーマリーを始末しようとした。彼が裏切った時、オーランゼブルの内心たるやいかほどざわついていたのでしょうね?」
「なるほど。では――」
「ティタニア、貴様はここを離れるべきだな」
影が何か言う前に、ライフレスがティタニアに告げていた。突然の発言に、ティタニアが驚く。
「私を始末しないので?」
「師匠殿の命令は、アノーマリーの始末だけだ。それに俺も直接命令されたわけではなく、ドゥームの口車にのってここに来ただけだしな――お前は既にオーランゼブルの魔法を解除したのだろう?」
ライフレスの言葉に、ティタニアがどきりとした。まさかライフレスの口からその言葉が出てくるとは思っていなかったのだ。
続く
次回投稿は、9/17(金)12:00です。