封印されしもの、その130~目覚める怪物⑩~
だがバイクゼルが飛びかかると同時に、その手が届きそうなほど近かったアルフィリースとユグドラシルが、ふいに遠くなり、そして近くなりを繰り返し始めた。そしてバイクゼルは悟る。自分が出口のない、空間どうしをつなげた牢獄に閉じ込められたことに。
そしてアルフィリースが手をかざすと、バイクゼルはぴくりとも動けなくなった。まるで体の中から、何かに強制的に押さえつけられているようである。かろうじて動く一つの頭から、絞るように声を出した。
「何を・・・したっ」
「あなたの体は氷でできているようなので、氷の精霊の支配権をいただきました。それだけであなたは指一つ動かせなくなるのです。自分で知りませんでしたか?」
「そんなことが・・・」
「氷の精霊なら全て自分が支配できるとでも? 驕っていたようですね」
アルフィリースが手のひらをすうっと下に向けると、バイクゼルは地べたにそのまま伏した。それは屈服の姿勢であり、かつてない屈辱をバイクゼルは覚えていた。
「この拘束はそう簡単には解けません。このまま時を動かしていただければ、ライフレスの魔法が直撃し、『これ』は死ぬでしょう。それなら、我々が介入したことに誰も気付かない」
「アルフィリースは?」
「まだ私の存在を認識できるほどではありません。そこまで彼女の力は強まっていませんので。ですが、なんとなく察してはいます。これは能力云々ではなく、単純に持って生まれた勘の鋭さですね。生来聡く、鋭い子なのですよ」
「そうか。ではそのようにしよう」
「アルフィリースと話さないのですか? 随分とお気に入りのようですが」
アルフィリースに代わった何かが、くすりと面白そうに問いかけた。それが意地の悪い質問だとユグドラシルはわかり、ため息をついた。
「お前も冗談を言うのだな。そんなことは必要ない」
「無駄も時に重要ですよ。私はアルフィリースからそれを学びました」
「そなたにまで影響を与えるとは、罪深い女だ」
「罪深いから人間なのですよ。原罪という言葉があるでしょう? あれは人間のために設えられた言葉なのですから」
「なるほど、そうだったな」
ユグドラシルは納得すると、再度バイクゼルを見た。その瞳には、何の感情もない。
「では目覚めたばかりで悪いが、さらばだ。お前のお蔭で助かったことも多々ある。一応礼を言っておこう」
「お前たちは俺を何だと――」
「蓄電池のようなものだ。元々、そうだっただろう?」
ユグドラシルの言葉で、ふっとバイクゼルの脳裏にある光景が浮かび上がる。鎖につながれていた――周囲には同じ姿の同胞が雁首を揃えて項垂れている。誰も彼もが多数の頭部に光のない眼を飾りつけ、ただ死ぬまで命を吸われる姿はまるで家畜のようだった。
外の音は聞こえなかったが、時折周囲から話し声が聞こえてくることもあった。ただその姿は思い出せず、また思考も霞の中にいるように要領を得なかった。
「(――生産――――順調――自我は――廃棄――)」
「(――――生命の系統樹――逸脱――書は――――保存――)」
「(――――異形――――対抗策は―――無駄――)」
「(時計の針が進み過ぎて――デルワイスの結論――)」
「(――滅亡―――長はなんと―――)」
「(―新しい―――希望――――眠りに――)」
話の内容はどうでもよかった。ただ、声の調子から決して良くない内容なのだとわかっていた。徐々に周囲から感じる焦燥感は募り、急かされるようにバイクゼルは行動を起こした。どうやったのか、何が起こったのかは覚えていない。ただ目が覚めると、そこはとても広い土地だった。周囲の木々は凍り付き、バイクゼルはその中で目を覚ましたのだ。
目を覚ましてからは、出会った相手と戦い、力を競った。どうしてそれ以外の選択肢がなかったのかは今でもわからない。ただ、戦うことこそが自分にとっての存在意義だとでもいうように。自分は使い捨てられるだけの存在ではないと、バイクゼルは主張していたのかもしれない。
バイクゼルはようやく理解した。自分が何をしたかったのか。だからといって、今更戦うのを止める気にもなれないし、止めるわけにもいかないのだ。
そしてバイクゼルの理解と同時に、時が元に戻っていた。
「うおおおおお!」
突然時が戻ったことで、バイクゼルは完全に虚を突かれた。そうでなくとも、体の動きを制限されていたのだ。目の前に迫る魔法を回避することは不可能だった。
魔法に飲み込まれたバイクゼルを見て、多くの者が作戦の成功に歓喜した。
「よし!」
「うまくいったか」
「俺の魔法ならば、無傷というわけにはいくまいよ」
「・・・ユグド?」
ほとんどの者が魔法に飲み込まれたバイクゼルに注意する中、アルフィリースだけがユグドラシルの気配を感じて振り返っていた。
魔法に飲み込まれたバイクゼルは吹き飛んでいく。魔法は直進し、ライフレスの計算では1000も数えた頃爆発する予定だった。その間に、魔術で防御すれば十分間に合う。だが――
「止まった!?」
「馬鹿な、魔法を止めることなどありえ――」
ライフレスが否定しようとしてやめた。ドラグレオは事実、詠唱途中の魔法とはいえ受け止めていたではないか。絶対など、この世には在り得ない。魔術士ならばそのことを知っていなければならないことを、改めてライフレスは思い出していた。
それよりも、今この場をどう切り抜けるか。解けかけた緊張感が、再度高まっていくのを感じる。それも、先ほどよりも明らかに状況は悪化していた。
「ガアアアアアア!」
バイクゼルが魔法に呑まれながら吠えていた。それどころか、徐々に押し返そうとしている。氷風が吹き出すの感じると、クローゼスがはっと気づいた。
「氷の精霊がざわめいている?」
「俺は・・・死なんぞ! こんなところで――俺は使い捨ての木偶じゃない! うおおおおおっ」
「木偶・・・?」
バイクゼルの怒号は、吹きすさび始めた氷風に流されほとんどが聞こえなかったが、ただ微かに木偶という単語だけが何人かの耳に入っていた。
だがそれよりも気になるのは、バイクゼルの周囲に集まる膨大な魔力の量だった。これだけの魔力が集まれば、ライフレスの魔法をかき消すことも可能かもしれない。いや、かき消すだけですめばマシな方か。危険を感じたクローゼスが叫んだ。
「いけない! このままでは魔力同士のぶつかりあいで暴発する!」
「暴発で済めばいいがな! 下手をすると相反する属性同士の衝突で、対消滅が起きるぞ!」
「対消滅なんて起きたら――」
周囲一帯が消し飛ぶはずだと、アルフィリースが叫んだ。途端、全員の表情が真っ青になる。
ここに至って影は覚悟を決めた。その視線がちらりとティタニアに向く。
「仕方あるまい、もはやなりふり構ってはいられない・・・むうっ!」
影がテトラポリシュカの魔眼を使用し、宙に浮いたままになっていたライフレスの魔法の支配権を奪う。さしもの質量と魔力量に、影の表情が苦痛で歪む。
「さすがに魔法ともなると、簡単にはいかんか――だが!」
影の支配するもう一つの魔法が、バイクゼルに向けて放たれようとする。その光景を見ながら、全員が色を失くして佇んだ。
「ちょ・・・そんなことしたら!」
「俺たちまで吹き飛ぶだろが!」
「もはやこれまで」
ティタニアが突然くるりと振り向くと、アルフィリースたちの方に向けて黒い大剣を振りかぶった。突然の行動に、全員の驚愕した視線がそちらに集まる。
「ティタニア?」
「お前、何して――」
「お許しを」
ティタニアが一際大きく振りかぶると、謝罪の一言と共に大剣を全力で振り下ろす。剣風は黒い衝撃波となり、一瞬でアルフィリースたちを飲み込んだ。そして背後では影の操るライフレスの魔法がバイクゼルに直撃し、容量を超えた魔力のぶつかり合いに、周囲一帯が光に包まれた後、大爆音と衝撃波が雪原ごと彼らを飲み込んでいった。
続く
次回投稿は、9/5(土)13:00です。次回から新しい場面になります。感想ありましたらお願いいたします。