封印されしもの、その129~目覚める怪物⑨~
ただ一人、バイクゼルを除いては。
「・・・危なかったな。これで死んだかどうかはわからんが、冷や汗をかいたのは事実だ。目覚めてこれだけの闘争にいきなり恵まれるというのは、俺の願いはかなったのか・・・くくっ、こうなると神や運命なるものに祈ることも悪くないと思えてしまう」
バイクゼルは感電のよる痺れがとれると、一瞬で体を修復し悠然と歩き出した。頭の数は既に30を超える。悠然と歩くバイクゼル以外の周囲は、全て停止していた。宙にいる影も、ライフレスの魔術も、風や雪花さえも、ぴくりとも動かない。バイクゼル以外の全てが、凍り付いたように停止していた。
「時間停止の魔法。俺は時すら凍らせるから、氷帝と呼ばれたのだ。もっともそのことを知っているのは、当時俺と戦っていた連中だけだがな。この力を用いても決着のつかぬ連中ばかりだったが・・・さすがにこやつらでは無理か。今つつけば、まさに氷細工のごとく壊れるだろう」
バイクゼルは余裕とも、残念ともつかないため息をこぼした。良き戦いだと思っていたが、終わる時はいつもこういう気分になる。この能力を使えば戦いはだいたい終わってしまうため、バイクゼルは出来る限り使わないようにしていた。だが、危機に瀕して咄嗟に使ってしまった。そこまで自分を追い込んだ者たちに、彼は素直に称讃を送った。
「見事なものだ。及ばぬ力を工夫し、ここまで戦うのは実に見事。俺も学ぶところがあった。お前たちなりに、余程の研鑽を積んだのだろう。だがこの能力を使った以上、俺の言葉も届くまい。そして死んだ時もなぜ死んだかもわからぬままだ。あっけない、実にあっけないのだよ。
だから弱い種族は嫌いなのだ。戦いの終わりに、満足感が得られないからな」
バイクゼルは再度ため息をつくと、止まっている者たちを見回した。そのうち最も近くにいたのがティタニアだったので、その首を落そうかと手を振りあげる。だがその手を振り下ろしかけて、バイクゼルはやめていた。これほどの戦いをして見せた者たちをこのまま殺すのは惜しいと思ったのだ。
もし草原竜イグナージや溶岩魔人エンデロードが目覚めなければ、ただ退屈な時が流れていく。それならば、この連中を生かすことで退屈しのぎの保険にならないかと考えたのだ。バイクゼルは、この場にいる者たちを殺すことを止めた。
バイクゼルの気まぐれで、アルフィリースたちは殺されなかった。だがバイクゼルはアルフィリースの前に来ると、あらためてその表情をまじまじと見た。バイクゼルが感じた感情を、影は恐怖だと言った。その言葉に怒りを感じたのはバイクゼルも否定するところではない。そして今また、改めてアルフィリースの表情を見ても、やはり背筋がぞわぞわする感覚は続いていた。
「(これは・・・本能の警告か。かつてここまで警戒心が湧いたことはない。戦いに際して危機感を持つことはあっても、その感覚とはまるで違う。この者は、俺が生存するうえで非常に邪魔になると本能が告げる。ならば非常に強力な相手となり、戦いを楽しめる可能性もあるはずだが・・・その割に、奮えるような高揚感が全くない。どういうわけか)」
バイクゼルは長く生きて、このような感情を抱いたことはなかった。だが、その本能がこの女を殺せと告げていた。どうしてそんなことを考えるのかはわからない。自分が殺されたとして、それは一つの結果にしかすぎないこともわかっているのに、なぜかアルフィリースを殺さなくてはいけないような気になっていた。
バイクゼルはいつの間にか、腕を振り上げていた。60を数える眼が、一斉にアルフィリースの首筋に向けられる。
「・・・許せよ」
バイクゼルが思わず謝罪の言葉を漏らしたのは、自分ですらわけもわからぬまま行動に出たからである。破壊魔、暴君として知られるバイクゼルも、不意打ちは恥だと思っている。望まぬ形で命を奪うことに、罪悪感がないといえば嘘になった。だがバイクゼルが振り下ろした手刀は、なんとアルフィリース自身が受け止めていた。
さしものバイクゼルも、時間が止まった世界で動かれたことに驚愕で目を見張った。真竜の体表も斬り裂く全力の手刀を、人間の娘が片腕で受け止めたこともすっかり忘れるほどであった。
そしてアルフィリースは余裕たっぷりに話し始めた。口元には微笑みを浮かべ、何事もなかったかのように歩き始める。
「・・・危なかったですね、あと一瞬反応が遅ければ殺されてしまうところでした。まさかそのような行動に出るとは・・・どうやらよくない仕組みに囚われている生き物のようですね、あなた」
「馬鹿な、馬鹿なっ! なぜ動ける!」
「そんなもの、時間操作の魔術を使えるからに決まっているからではないですか。しかしこれは好都合です。この空間なら、あなたを私が始末しても誰にもわからない。そう思いませんか、ユグドラシル? いえ、別の名前で呼んだ方がよろしいかしら?」
「・・・ユグドラシルという呼び名は気に入っている。そのままでいい」
「そうですか」
アルフィリースとは全く違う口調でしゃべる存在。そして停止したはずの空間にふいと現れるユグドラシル。バイクゼルは、生まれてこのかたないほどに狼狽していた。
「何者だ、貴様ら! それに・・・どうして時間が動かない? とっくに俺の魔法は効果が切れているはずだ」
「それは、私が代わりに時間を止めているからだ。だが私が何者かも答えてやる義理はないな。
しかし、やはりお前を『御柱』にしておくのは無理があったか。ダレンロキアとイグナージの懸念は当たったわけだが、まあ当時の状況ではどうしようもあるまいな。しかし困った。お前はどうやら『欠陥品』らしい。だからこそこのような自我があるわけだが・・・アルフィリースに対して本能的に殺意を抱くようでは、生かしておくこともできんか」
「再度封印し、御柱として再起動させては?」
「無理だ。既に空いた穴に埋めることは非常に困難だ。埋めたとして、欠けた鍵を無理矢理鍵穴にはめ込むようなものだ。すぐに封印が解けて目覚めるだろう。アノーマリーの馬鹿者がこいつから魔力を吸い上げねばもう少々封印も持ちこたえたのだが、私もうかつだった、奴の研究がそこまで進んでいるとは考えてもいなかったのだ。もはや解けてしまったものはしょうがあるまい。ここで処分する」
ユグドラシルの冷徹な物言いに、バイクゼルは再度背筋が凍るような思いになった。ユグドラシルのことをバイクゼルは知らない。だがこの物言いを聞いていると、さも自然にそうできてしまうかのように聞こえてしまう。
そしてこのアルフィリースの言い方もまた、同じように温度が血の気が引くほど、恐ろしかった。
「そうですか、やむを得ませんね。しかしあなたが手を下すのは、掟破りでは? あなたは純然たる傍観者のはずです」
「その掟を最初に破ったのはオーランゼブルだ。私はあるべき姿に戻したいと思っているだけだ」
「あるべき姿を決めるのは、あなたではありませんよ。それこそ越権行為です」
「わかっている。だがオーランゼブルのやり方では、奴の方法以外の全ての可能性が消滅してしまう。選択肢は残しておきたい」
「一つ間違えば、時計の針が大幅に進んでしまいますが」
「それならそれで、それもあるべき姿なのだろう。それよりも、そなたこそルール違反ではないのか」
「だから、アルフィリースを守る以外には何もしませんよ。どうしてもこのバイクゼルなる者が私を排除しようとするなら、話は別ですが」
「こいつを倒せるのか?」
「愚問です」
その時、アルフィリースとユグドラシルが同時に首をひねってバイクゼルの方を見た。瞬間、バイクゼルは本能の危機に従い全ての頭部を解き放ち、彼らに飛びかかっていた。頭部の数、全部で67。全てを解放したことでバイクゼルも大きな痛手を被ることになるが、なりふり構っていられなかった。たとえ、ここで殺されるとしても。
続く
次回投稿は、9/3(木)13:00です。