封印されしもの、その124~目覚める怪物④~
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「なんだ? なんだこれは!?」
ティタニアの叫びも無理からぬことだったかもしれない。ライフレスですら圧倒的な魔力の放出を前に、言葉を失っていた。大地がその中身を全て吐き出したのかと紛うほど、魔力が噴出されていた。全員がこの場から吹き飛ばされないことを不思議に思っていたが、永遠に続くかと思われた噴出は突如としてぴたりと止まると、足の緊張が取れたせいか多くの者が体勢を崩して後ろに倒れるか、あるいはここで初めて吹き飛んだ者すらいたのだった。
そして魔力の放出がぴたりとやんだあと、ぽっかりと空いた穴から出てきたのは、人間の大きさ程の青く輝く生物だった。体表が青く輝くことからも人間でないことは明らかだが、その者は人間のような姿をしていた。髪一つないつるりとした頭に、無機質な瞳。手も足も二本だが、指は三本しかなかった。そのどれにも、鋭い鉤爪がついている。体も同じく体毛が一本もないのか、何一つ彼らの体を覆うものはなかった。いや、性別として彼と呼ぶべきかどうかも怪しいのだが、その体は非常に筋肉質で、またダロンほどではないが、普通の人間よりは二回り以上も大きい体躯を誇った。
穴から飛び出て出てきた『それ』は、外に出てひとしきり周りを眺めると、無表情な瞳のまま誰となく語り掛けていた。
「腐った真竜、魔力の塊に過ぎぬ存在、それに多数の・・・人間か? 随分と不思議な世の中になったものだ。猿だと思っていた人間が、それなりに上等な物を身に纏うようになったか。その中身は大して変わってないようだがな。誰か喋れる者はいるか。今の世の中のことを知りたい」
「・・・なんだこいつは?」
「とりあえず会話はできるのか」
「・・・今はアルネリア歴401年ですよ。魔王と人間の戦いが収束し、既に数百年が経過していますが――」
リサが様子を探るために世の中の歴史を語ろうとした途端、その者が何かを吐き出してリサを攻撃していた。傍にいたラインが反射的にダンススレイブを使ってその何かを弾いたが、完全には逸らしきれなかったのか、弾いた何かはライフレスの乗っていた巨鳥を直撃し、一撃で腹をぶち抜いて絶命させていた。
ライフレスがふわりと宙に飛んで魔術を使い、ゆっくりと降下していたが、リサは何が起きたかわからずただ茫然としていた。むしろ青ざめたのは周囲である。ライン以外、ほとんど誰もこの青い人物の行動に反応できなかったのだ。もし狙われていたのがたまたまラインの隣にいたリサでなかったら、間違いなく死んでいた。
ダンススレイブを本能的に使用したラインが吠えた。
「何しやがる!」
「畜生にも劣る猿ごときが、私と口をきけると思うな。そこの腐った真竜でよい、今の世の説明をしろ」
「・・・気に入りませんね」
ウィスパーもまたこの青い生物を前にして、気分を損ねたのを隠せないようだった。別に人間に愛着があるわけではないが、ウィスパーもまた人間の世界で生きる者だ。人間を虫けら扱いされて憤るとはウィスパー本人にも意外だったが、確かに強い不快感を覚えていた。
だが不快感を覚えたのは青い生物も同じだったのか。真竜がどうやら自分の意志で動いているのではないと感じると、一挙に不快感を露わにしていた。
「貴様、真竜ではないな・・・真竜も堕ちたものだ、何者かに操られるとはな。ハイエルフか、亜人か?」
「そんなことはどうでもいいのです。ただあなたの、その上からの物言いが気に食いませんね」
「ふん、おかしなことを言う。実際に生物として上なのだからしょうがあるまい。真竜なぞ、もとはといえばただの――」
「バイクゼル!」
生物の言葉を遮るように飛び出したのは、影だった。魔力で補強し、魔術で加速した渾身の一撃を影が青い巨漢――バイクゼルに叩き込むと、不意を突かれたのかバイクゼルは吹き飛んでいった。
同時に影が叫ぶ。
「貴様ら動け! でないと死ぬぞ!」
影の一喝に我に返る仲間たち。同時に、ウィスパーが真竜の体を使い、ブレスを放出した。使ったのは、雷鳴のブレス。空を斬り裂く雷鳴がバイクゼルに直撃し、巨大な雪煙を上げる。
「なんて一撃だ。ボクを振るった時よりも遥かに威力が上なんじゃないのか」
雷鳴剣となったインパルスが、巨大な雪煙を見て唸る。多くの者がその威力に期待したが、影だけは違っていた。先ほど殴りつけた一撃。アルフィリースの右腕は折れていた。
「(くそっ、基本が人間の体ではやはりだめか! 少し力を入れるとこれだ!)」
「(ちょっと、人の体になにすんのよ!)」
「(うるさい。加減してどうにかなるような相手ではないのだ!)」
「(バイクゼル――管理者と言っていたかしら。氷の多頭生物と言っていたわね。何者なの?)」
「(アノーマリーの言葉通りだ、私も詳しいことは知らん。だがあまりに強すぎた生物たちは、かつて皆眠りについたのだ。草原竜イグナージ、古竜の長ダレンロキア、そして氷帝バイクゼル――他にもいたが、特にバイクゼルは他の連中に叩きのめされるようにして眠りにつかされた。彼らが争うと、この大地自体が終わりを迎えかねない。だから彼らは自らを律して眠りについたのだと――そう思っている)」
「(じゃあ真竜や魔人というのは――)」
「(本当に強い者たちがいなくなったあと、縄張り争いで戦争を起こした弱小種族だ。本当に危険な連中というのは、別にいる。
ああ、だがなぜこの時に、よりにもよってバイクゼルが目覚めるんだ。アノーマリーの馬鹿者め、破壊願望でもあったのか)」
影が悪態をついていたが、アルフィリースだけは影に全く余裕がないことを悟っていた。そして、めまぐるしく回る影の思考を同時に想像していた。そして影はある結論にたどり着く。
「(アルフィリース)」
「(わかっているわ。少しの間、離れるのね?)」
アルフィリースの返事に、影が一瞬きょとんとした。
「(なぜわかった?)」
「(今までの行動から想像したのよ。あなた、その気になれば私から離れることもできるんでしょう? だけど、おそらくは元に戻ることができない、あるいはとても困難になる)」
「(・・・その通りだ。私は今からこの体を離れ、テトラポリシュカの体を使う。あの体なら、一時なりとも戦うことが可能だろう。だがそれでも決定打にはならず、勝ち目は限りなく薄い。だがお前たちを逃がしてやることくらいはできるかもしれない)」
「(どうしてそこまで私のことを? あなた、私を憎んでいるのではないかしら?)」
アルフィリースの問いかけに、影は少しぐっと詰まった。やがて息をふうと吐くように、影が本心を語っていた。
「(・・・最初はそうだった。今でも憎いことに間違いはないが、それでもお前そのものを今失うわけにはいかないとも思う。少なくとも、暴力に任せて暴れるだけのバイクゼルなんぞに殺させはせん)」
「(なんだか気に入られたみたいね)」
「(お前は自分の希少性をわかっていない。これは賭けだ。だが必ずお前の元に帰ってみせる)」
「(帰ってこなくていいって言ったら?)」
アルフィリースの楽しそうな言い方に、影は苦笑した。
「(面白い女だ。だがわかって言っているだろう? お前に私はまだ必要だ、色々な意味でな。お前はなんとなく、それも察しているはずだ)」
「(・・・まぁね)」
「(では行く。せいぜいいい子にしているんだな)」
「(なによ、保護者ぶって)」
アルフィリースがふくれっ面をしたのを感じ、影は微笑みを漏らした。いつの間に自分たちはこんなに親しく話をするようになったのか。これがこの女の力なのかもしれないと、影は考える。憎しみを越えて、その先へ――こんな風に笑うのも、いつ以来だろうと思うのだ。
影がテトラポリシュカに手を伸ばす。そして一瞬周囲を包み込むような怖気が発されたかと思うと、次の瞬間アルフィリースの体がぐたりとその場に倒れていた。
続く
次回投稿は、8/28(金)14:00です。