封印されしもの、その114~魔王の最後⑤~
「・・・え?」
「要するに、それは魔王の設計図なんだろ? そんなもの、無い方がいいに決まってる。魔王なんて悲劇を生むだけで、何にもならない。スラスムンドだって、魔王さえいなければあそこまで悲惨なことにはならなかった。この大地の幻獣たちだって死なずに済んだ。
次の時代に悲劇は残さない。お前はここで、その狂った知識ごと滅びてしまえ!」
「貴様、何してる!」
ドゥームの悪霊の槍による一撃をひらりとレイヤーは避け、マーベイス・ブラッドの血を振り払う。その目には酷薄な色が浮かんでいた。
「ここで張っていて正解だったね。工房内を探索していた時にここを見ていたんだけど、かなり頑丈な作りにしてあったから、最後に逃げこむならここだと思ったんだ。いろんなところに出たり消えたりしていたから、戦いの最中でも逃げたりすると思ってた。しぶとそうだから、本当に殺すつもりなら油断しきった時に、不意打ちでないとやれないと思ったんだ。当たっていたようだね」
「お前・・・レイヤーだったか。サイレンスがご執心だった・・・」
アノーマリーが崩れ落ちながら自分を刺した敵の方を見た。その目は本当に予想外だと言わんばかりに瞬いていたが、不思議と恨むような視線ではなかった。
レイヤーもまた冷たくはあったが、憎しみの色は瞳にたたえていない。ただ冷静に、滅ぼすべき者を滅ぼした。そんな作業を思わせるような行為だった。
「そんな奴もいたね。最近見ないけど、死んだんでしょ?」
「ふん・・・殺したのはお前じゃないのか」
「逃げたよ? 確か、テトラスティンとかいう人に連れられて。今日会ったから思い出したんだけど」
「何? ならサイレンスは――なるほど、そういうことか。テトラスティンは埋伏の毒か。一人ずつ用済みの連中は殺すと、そういうことなのか。最初からそのつもりでボクたちに近づいて――なんて大胆な奴だ。侮っていたのはボクたちの方か」
アノーマリーはなんとなく察していたが、ここではっきりと理解した。やはりテトラスティンは危険な男だった。わかっていて仲間にしていたが、黒の魔術士を内部から崩壊させるつもりだったのだと。どうも生命の書に興味があったようだが、『ついでに』黒の魔術士たちも倒してしまおうと考えるのが何より恐ろしかった。
一方で、ドゥームはここまでの経緯を全部知っていた。記憶の杖を使い、サイレンスの死因なども全て調べていたのだ。もちろんテトラスティンが胡散臭いと思ったから調べたのだが、サイレンスを殺したのがテトラスティンと知りつつ、彼を放置しておいた。それはドゥーム自身がオーランゼブルを恨んでいたので、何らかの方法でテトラスティンを利用できないかと考えていたからである。
だが今はそれどころではなかった。生命の書は霧散して消えかかっており、アノーマリーもまた核を正確に貫かれて体が崩壊していたのだ。ドゥームはアノーマリーの方に駆け寄り、その体を抱きかかえようとしてやめた。触った部分から崩れ始めたからだ。
アノーマリーもまた目でドゥームを制した。どうやっても助からないと、悟ったのだ。
「ふふ、これが因果応報って奴か。ロクなことをしてこなかったから、死に方すら選べないらしい。当然の報いだね」
「何しおらしくなってんのさ。ちょっとはその悪知恵であがいてみせなよ」
「そんな美学は持ち合わせていないさ。それに人間ほど生に執着するように造られていないのさ。それよりも」
アノーマリーが崩れかけた手を差し伸べた。
「友人として最後の忠告とお願いだ。クベレーだけは何としても殺してくれ。あれには寿命を設定していないし、生殖能力がある。その気になれば、自分を王として無限に増殖することが可能だ。移動能力がないのはそのためさ。もし世に解き放てば、際限のない増殖を繰り返す。クベレー自身がこの世の終末になりかねない。
そしてオーランゼブルの工房に入れるとしても、決して黒の区画だけは――」
アノーマリーの遺言は、レイヤーの投げた石によって遮られた。レイヤーはアノーマリーの遺言すら許さなかった。レイヤーの投げた石はアノーマリーの顔面と胸、それに両腕を正確に抉っていた。
ドゥームはアノーマリーがもう駄目だと悟ると、無意識に手を消えかかる生命の書に伸ばしていた。どういうつもりだったのかはドゥームにもわからない。アノーマリーのことを友人だと思い、せめてその思いを成就させてやろうと思ったのかもしれないし、単に惜しいと思ったのかもしれない。だがその手を伸ばしたことで、ドゥームの運命もまた変わることになった。
生命の書に書かれていたのは、魔王の設計図だけではない。そこには、アノーマリーが考えたあらゆる魔術、化学、生物学、その他諸々の知識も詰められていたのだ。その生命の書に触れ――それが記憶の杖の作用なのか、はたまた書が崩壊していたからなのかはわからなかったが――生命の書に触れたドゥームの頭の中には、アノーマリーが持っていた大量の知識が流れ込んできた。
「う――があぁあああっ!?」
「ドゥーム?」
生命の書に触れたドゥームが突然絶叫し、その体をくの字に折っていた。知識の奔流にドゥームが耐えられないのである。
ドゥームの悲鳴の様子がおかしいことに気づき、オシリアが走り寄った。そこに、隙ができていた。
「ひゅうっ!」
「あっ!?」
剣をしまおうとしていたレイヤーが猛然と突進し、オシリアに斬りかかった。オシリアはレイヤーの剣の起動を捻じ曲げるべく力を使おうとしたが、凄まじい殺気がレイヤーから迸り、オシリアは悪霊ながらその身を硬直させていた。まさか悪霊たる自分に、これほどまでの殺気を向ける人間がいるとは思わなかったのだ。
そしてオシリアはレイヤーが手にしていた剣を魔眼で操作しようとしたのだが、レイヤーはオシリアの視線を察したのか、咄嗟にシェンペェスに持ち替え、オシリアの目を横一文字に斬り裂いていた。オシリアの目は横に斬り裂かれたのだが、悪霊である彼女に何の対策も講じていない剣は通常効果がない。オシリアもそのことを理解していたのだが、なぜか傷は消えず視力が戻らなかった。
視界を奪われたオシリアに動揺が走った。
「・・・目が戻らない!?」
「あ・・・が・・・」
「ドゥームっ! 助けて!」
オシリアに斬りかかろうとするレイヤー。ドゥームはびくびくと体を痙攣させていたが、オシリアの危機を訴える声に反応し、無意識に悪霊を操作した。オシリアの前にできた悪霊の壁の前に剣は弾かれ、レイヤーはすぐさま飛びずさる。その先で、ドゥームとオシリアが逃げ出すのが見えた。
そして、彼らの背後にあった袋の一部が破れ、そこからほっそりとした人の手がだらりと垂れさがったのが見えた。そして白くなった髪も一部見えた。髪は老人の白髪というよりは、白銀に染まったと表現するのが正しかったろう。非常に美しい髪だった。
「女の人・・・誰?」
レイヤーはふとそんなことを思ったが、後は追わなかった。助ける意味もないし、ここでやるべきことがあった。
目の前には体の崩れかかっているアノーマリー。彼は何かを言いたげにレイヤーの方を見ていたが、その瞳は不思議と称賛のような穏やかなものであった。憎しみを向けられるのは慣れているが、逆にレイヤーは気味が悪くなり、アノーマリーをなます切りにして、今度こそ確実にとどめを刺した。
続く
次回投稿は、8/8(土)15:00です。