封印されしもの、その108~ヘカトンケイル⑫~
「・・・! 見事だよ。だが、空中じゃあ姿勢の制御ができないだろう?」
アノーマリーが目の前に巨大な氷塊を作り出す。
「潰れろよっ! 《巨氷塊砲》」
影に向けて巨大な氷塊が放たれたが、影はふっと笑って魔術の詠唱をしていた。
「発想の貧弱な男だな。出直してこい!」
影の背後には風の魔術。壁となった風を一蹴りして姿勢を変えると、氷の巨魁の下をくぐるように影はアノーマリーに接近し、そして魔術を放ったままの体勢でいるアノーマリーに肉迫した。右腕だけがいつのまにか、金属の塊に変化していた。
《剛拳》
影の拳はアノーマリーのどてっぱらを打ち抜くにとどまらず、その体を肉塊に変えていた。もちろん吹き飛んだのはアノーマリーの全質量にしてみれば一部に過ぎないわけだが、この攻防にはそれ以上に、二人の間の力の差を知らしめるだけの内容があった。影はアノーマリーの心を折りにいったのだ。
そしてその効果は確かに出ていた。アノーマリーはわずかにまともに戦うとした気概を、完全になくしていた。
「(・・・だめだね、これは。こちらに準備が足らなすぎる。ここはさっさと出直すが吉だね・・・でも転移も巨体だと使えないし、巨体が仇となったなぁ。さて、どうしよう?)」
アノーマリーの思考はどれほど追い詰められても変わらない。彼は元来頭脳労働者であり、焦りが良い結果をもたらさないことは経験で知っている。焦った時の判断はろくなものではないと思っているし、この状況でもアノーマリーの思考が焦りで鈍ることはなかった。
またアノーマリーの信条の一つに、いかなる時も優雅たれという発想があった。まるで貴族のよな発想だが、その内容は些か時代錯誤、あるいは内容そのものが人が貴族と呼ぶそれとは異なっていたかもしれない。
影もまたアノーマリーの戦闘意欲がなくなったのを感じながら、決め手に欠けることも承知していた。これだけの質量を持つ敵を限定された空間で、また慣れない体を使って仕留め切るのは骨の折れる作業だった。せめてこの工房ごと押しつぶせれば話は違うのだが、それだけの規模の魔術にアルフィリース体が耐えられるかどうかも賭けだったし、悩んでいたのは確かだった。
だがそこに、変化が訪れた。メイソンが光の魔術で合図をすると、影は突如としてティタニアを引っ掴んで飛んでいた。
「何をする!?」
「時間稼ぎは終わりだ。仕留め切れなかったということで痛み分けだな、この戦いは。とどめは奴が差してくれるさ」
「メイソンが?」
メイソンは地面に錫杖を刺し、座り込んで魔術を詠唱していた。いつの間に準備したのか、地面には複雑な魔法陣が書かれていた。その規模は通常魔術で使用するものの三倍はある。
「なるほど、先に地面に魔法陣を描くことで発動と詠唱を省略しているのか。いつ見ても力ない者の努力は涙ぐましいな。だがあの規模は、広範作用型か。それに地の精霊もざわめいているし――いかんな」
「何の魔術だ、あれは?」
「地の大規模魔術だ。この工房ごと潰すつもりだ!」
影とて考えなかったわけではない。ここは地中深くなのだ。天井を崩せば、大量の岩石でアノーマリーをまるごと叩き潰すことも可能であることはわかっていた。ただそれは自分が生き埋めにならなければの話だ。
これはまずい。影はそう考えたが、地の精霊の巡り方が普通と異なることに気付いた。
「・・・? なんだ、規模の割に集まる精霊の数が少ない? それにこれは・・・妙に規則正しく」
「欲しいのはあいつの生き埋めだけだ。『天井だけ』崩せば十分だな。工房ごと、なんてのはダセェ発想だぜ。おっと、お下品な発想ですよ、と」
メイソンは得意げな笑みを浮かべながら、アノーマリーをにらみつけた。アノーマリーはその表情を見て、これから起こることを察した。
「お前・・・まさか!」
「はっはは、潰れりゃどこに本体があろうが関係ないよなぁ!? くたばれ!」
メイソンが錫杖をがんと地面に刺すと、地の精霊が地面づたいに迸り、部屋は一斉に崩落を始めた。メイソンが戦いの最中に準備していた魔法陣が作動したのだ。
アノーマリーの思考は一瞬絶望に浸り、だが一瞬で閃いていた。追い詰められれば人間は一瞬を何時間にも感じることがあるが、アノーマリーもまた同様に瞬間的に何通りもの作戦を考え付き、生き延びるために行動に移すための想定を行ったのである。
結果として、アノーマリーは天井にむけて突き進む道を選んだ。
「ありがとう、メイソン! これで脱出の手間が省けた!」
「何!?」
「地面が崩れるってことは、地上までの距離が短くなるってことだ。ここから地上までどのくらいか、ボクは正確にその距離を覚えているんだよ! これなら脱出ができるのさ!」
「・・・ああ、そうかい。『やっぱり』そう動いたか」
「え?」
メイソンが気になる一言を告げた気がしたが、アノーマリーは突如として差し込んだ光明に飛びついていたため、その方針を変更するほどではありえなかった。その時メイソンは非常に苦々しげな表情をしていたのだが、アノーマリーにも確認する余裕はなかったのだ。
そして天から降り注ぐ岩石の雨をよけながら、あるいはくらいながらもアノーマリーは地上を目指して必死で進んでいた。全身を常に変形させながら、壊れた体表は内部にしまい込み、折れた腕や脚は収納しながら、必死で崩れる天井を掘り進んだ。そしてその闇雲な突進が効を奏したのか、腕が突き抜け宙を掴んだ目の前には、確かに熱いほどの日の光が差し込んだのである。
アノーマリーは快哉を叫びたくなるほどに歓喜し、だが一瞬でおかしなことに気付いた。
続く
次回投稿は、7/29(月)16:00です。連日投稿になります。